161話 大根島にて
ひさしぶりの内政ターン
永禄7年(1564年)2月 出雲 中海 大根島
「おー! これは紛うことなき朝鮮人参だね!」
お元気ですか?
今日は多胡爺と一緒に、中海に浮かぶ大根島にやってきました。
それで、私が手に持ってしげしげと眺めながら確認したのは、朝鮮人参です。
人参とはいっても、お馬さんやうさぎさんが好物にしている、オレンジ色をしたキャロットとは全くの別物になります。
朝鮮人参は、完全に木の根っ子と何ら変わらない形状をしていますので。
それにしても、こんな木の根っ子をよくもまあ、食べる気になったものだと感心してしまいますよ。
そう考えると、昔の人の知恵って凄いですよね。色々な野草を食べて効能とかを後世に伝えたのですから。
まあ、それだけ飢饉とかが多くて、野草でも食べないと生き延びられなかったのかも知れませんが。
そういえば、史実の江戸時代も飢饉が連続した時代でしたね。
現在も日の本六十余州全体で見れば、慢性的な食糧不足の時代とも言えるのですけど。
だからこそ、食糧をめぐって土地を強奪するために、戦が絶えないともいえるのですが。
げにも恐ろしきは、食い物の恨みとは、まったくもってその通りだと思います。
まあ、我が尼子家は、今のところは私の政策もあってか飢饉とは無縁なのですがね。
しかし、将来ほぼ確実に起こるであろう飢饉を見越して、今のうちに尼子家でも食べられる野草の種類や、少しでも美味しく食べられる料理の仕方とかを研究しておいて、資料にまとめて後世に残しておいてあげましょう。
それこそが、為政者のやるべきこと、務めだと思いますしね。
「まさか本当に栽培に成功するとは恐れ入りました」
「四年近くの月日を掛けた甲斐があったというものだよ」
「姫様の慧眼でしたな」
ふふーん。なんたって知識チート使いの私だからね!
インチキ万歳!
そう、四年前に朝鮮との密貿易で手に入れた、朝鮮人参の種を蒔いて出雲でも栽培しようと思い立ったわけなのですよ。
この時代でも、朝鮮人参は滋養強壮の生薬として知られており、かなりの高値で取り引きされている薬なのです。
同じ重さの金と同等は言いすぎですけど、同じ重さの銀以上の価値があるのが朝鮮人参なのですから。
だから、この高級品を尼子領内で栽培に成功することが出来たなら、尼子家を潤す財源の一つになると算盤を弾いたという寸法です。
うん? そろばん?
そういえば、算盤もまだ普及していませんでしたね。もう既に日本に伝来はしているみたいですけど、私は見たことないですから、まだ一般的ではないのでしょうね。
未来では、出雲横田の辺りで作られる算盤は有名だったのに、ど忘れしていたとは……
私が計算する時は、ひっ算で計算していたから、算盤まで頭が回らなかったと言い訳をしておきましょう。
けして、私が算盤の使い方を知らないということではないのです。
一円な~り~二円な~り~とか、やった記憶が微かにありますしね。
うん、算盤も作らせて、出雲の特産品の一つにしよう。
そろばんの珠に使う木はツゲの木でしたっけ? 将棋の駒とかもツゲが高級品だったような気がしましたね。
私が春姉に髪を梳いてもらう櫛にも、ツゲの櫛がありましたね。
まあ櫛でいえば、べっこうの方が高級品ですけど。
べっこうといえば、張が…げふんげふん。
うん、まあ、なんだ。段差は高い方が良いとだけ申し上げておきましょう。
それはそうと、ツゲの木って低木で庭木だよね?
幹以外の部分は使える気がしないのですけど……
もしかしたら、ツゲは使える部分が少ないから、余計と高級品になったのかも知れませんね。
話が朝鮮人参から逸れてしまった。
それで、ぶっちゃけて言うと、この大根島が未来で御種人参の産地だったから思い付いただけなんだけど、それは言わぬが花ということで。
でも、御種人参の栽培が始まったのは江戸時代の中期以降だったと思いますので、私が歴史の針を150年ぐらい先に進めてしまったということです。
ちなみに御種人参とは、朝鮮人参や高麗人参と呼ばれている植物の和名のことです。
徳川吉宗だったかな? とくかく将軍様が諸大名に種を下賜して栽培を奨励したことから、御種人参と呼ばれるようになったとか。
徳川将軍家って重要な技術とかを秘匿して幕府で独占してなかったんだね。
つまり、江戸幕府というのは、そんなに悪い政権機構ではなかったみないな感じでしょうか?
まあ、そうだよね。悪い統治機構であったなら、250年もの長きにわたって安定した政権が続くわけなかったか。
江戸時代には飢饉とかも数十年おきに頻発しているのに、戦国乱世に逆戻りとかしてないのだから、及第点以上の点数をあげれる政権だったのでしょう。
どこぞの足利将軍家とは大違いだよ。
もっとも、江戸幕府も鎖国政策はあまり褒められた政策ではなかったような気もするけどさ。
初代の家康は、海外との貿易に積極的だったのに、家光の時代ぐらいにどうして鎖国することになったのでしょうかね?
やはり、キリシタンが問題だったのかな?
でも、家康も国を閉ざすなとか、遺言で伝えておけば良かったのにとか思わなくもない。
しかし、この世界線では、徳川家康が江戸に幕府を開くなんて未来は限りなく低そうな気はしますけど。
「多胡爺も歳なんだから、この根を煎じたのを二日に一回とか飲んだら長生きできると思うよ」
「古希までは大丈夫だとは思いまするが、それ以上になると神のみぞ知るといったところでしょうな」
「多胡爺の古希って二、三年後じゃないのよ」
「再来年ですな」
ということは、多胡爺は今年で数え68歳ということになります。満年齢で言っても、66か67歳ということですね。
この時代では、立派な老人ということですね。
「それに、多胡爺が尊敬する朝倉宗滴だって八十近くまでは生きたのよ?」
「そういえば、そうでござりましたな。それがしも左衛門尉様に負けないように頑張りまする」
「吉法師が元服するまで、死ぬのは許さないからね」
「しかと心得ました」
できたら、多胡爺の玄孫が産まれるまでは生きていて欲しいけど、それはちょっと厳しいかな?
「頼んだわよ」
「それにしても、大根島とは姫様も考えましたな」
「まあね。薬にもなって珍重される高価な作物だから、盗まれたら目も当てられないわよ」
「左様でござりまするな」
しかも、育つのに最低でも三年。良質なモノにするのには五~六年は掛かる作物なのに、それを盗まれでもすれば、確実に発狂する自信があるわ。
もしかしたら、史実の松江藩も盗難防止を考えて、大根島で御種人参を栽培することを思いついたのかも知れませんね。
「コレを盗んだ輩は、死罪にしよう。うん、そうしよう」
「理由を問わずに死罪は、ちと厳しすぎやしませんかな?」
「じゃあ、右手首から先だけ切り落とすというのは?」
「それも、不具になれば田畑を耕すのにも難儀いたしますぞ」
むぅ、それもそうでしたか。死罪よりも障害を負ったまま生きる人生の方が辛そうでしたね。
でも、額に入れ墨だけで勘弁してあげるのも、なんだかなぁって気もしますしね。
「多胡爺も大概甘くなったわね」
「年を取れば丸くなると申しますれば」
「わかったわ。銀山か銅山で死ぬまで穴掘りの強制労働で手を打ちましょう」
「死ぬまではちと厳しい気もしますが、まあ概ね妥当な刑かと」
まあ、可哀想だから、初犯であれば三年ぐらいで出所させてあげましょうかね?
情状酌量の余地を残してあげないと、自暴自棄なって八つ墓村とかやりかねない輩が出るかも知れませんしね。
といいますか、貧しくて薬を買えないから、仕方なく人参を盗むとかいう社会にしなければいいんだよね。
これは、為政者である私の責任ということなのでしょう。
もっとも、欲に目がくらんで盗みを働く輩には、重い刑罰を与えて進ぜよう。
社会のモラルって大切だと思います。
でも、この時代ってモラル低いからなぁ。
早く平和な世の中にして、教育を充実させてモラルの向上に努めなければ。
「それはそうと、コレの名前だけどさ。朝鮮人参じゃ味気ないから、雲州人参と命名しようと思ったんだけど、どうかな?」
「雲州人参、良き名かと存じまする」
「それと、越中のおっさんが造っている消毒液に、この人参を浸けて薬用酒を作るのも面白そうな気がするわね」
消毒液は、ほとんど味がしないアルコールだから、雲州人参や他の薬草を入れれば薬用酒の完成ということです。
効能は知らん。でもたぶん、滋養強壮にはなるでしょ。
「薬用酒でござりまするか?」
「滋養強壮の酒だから、長命酒とでも名付けましょうかね?」
「それはまた、良き名と存じまする」
酒は百薬の長とかの言葉もありますしね。
まあ個人的には、飲兵衛の言い訳に使われている気がしないでもありませんが。
それはそうと、大根島じゃなくて人参を栽培する島なのだから、人参島の気がしないでもない。
人参島に改名させちゃおっかな?
次話→が、頑張る…(汗