155話 向原運河
永禄6年(1563年)11月中旬 安芸 高田郡 戸島村
中野村を出発して、久喜銀山で有名な久喜村で一泊。智教寺を越えて、ようやく安芸に到着しました。
ようやくとはいっても、富田のお城を出てから六日なんですけどね。
杵築大社で二泊していますし、道中もわりとのんびりと進んできましたので、時間が掛かったといえるでしょう。
月山富田と吉田郡山の間は、無理をすれば三日でたどり着くことができるのです。
早馬の場合では、途中で馬を三回交換すれば、一日で到着することも可能なんですよね。
街道整備をした甲斐があったというものです。
まあ、さすがに雪が深い冬場は不可能なんだけどさ。
それで今回、乳飲み子の葉月を放り出してまでわざわざ安芸までやってきたのは、運河が完成したとの知らせがあったから視察に訪れたのですよ。
そう、私が二年半前に毛利元就に提案した、江の川と太田川を繋ぐ向原運河のことです。
「おー! これは、まごうことなき人の手によって造られた運河だね!」
「姫様の先見の明に感服いたします」
「見事なものでござりまするな」
「多胡殿も太郎左もそう思うか? 見事なもんじゃろ」
たとえ、小早程度の小舟しか通行できなくとも、運河にはなんら変わりはありません。
小早と馬鹿にするなかれ、小早でも馬の五頭か六頭分の荷物は運べるんだぞ!
「二年半振りに来ましたけど、まさかこんなにも景色が変わっているとは驚きました」
「うむ、ワシもちょくちょく顔を出しておったのだが、作事の光景は圧巻じゃったわい」
「工事も順調に進んだみたいでなによりでした」
人間やる気になってやれば、大抵のことは人海戦術で何とかなるものなんですよね。
もう既に過去には、この向原運河よりも距離も幅も数倍ある斐伊川の付け替え工事をしているので、運河の建設が成功するのは確定事項であったとはいえ、やはり完成すれば感慨もひとしおであります。
まあ、私が直接工事をしたわけではないのですがね!
ほら、私は指示を出す側の人間ですから。
「最初は賦役に対して領主が銭を出すなど、如何なものかとの思いもありましたけど、銭を払ったら領民の動きが違いましたので驚きました」
「大膳大夫殿、タダ働きは誰でも嫌なものなんですよ」
「それは、玉殿が申す通りでしたな」
この時代では、いくら領民が領主の財産の一部という感覚があったとしても、タダ働きをさせられる領民からしてみればたまったものではないですしね。
罪人でもない限りは、労働には正当な報酬を払うべきだと思います。
「それで、水門と水車は常に動かせるようにしておくことを忘れずに」
「と、申されますと?」
「所詮は人の手によって、人工的に無理やり運河を造ったのですから、自然の脅威には弱いと思いますので」
建築土木技術が発達した未来でも、台風や集中豪雨とかで川が氾濫して、堤防が決壊したり橋が流されたりしていますしね。
それだけ、自然の猛威というのは凄まじい力を持っているのです。
科学の力では、完全に自然の力に打ち勝つことは不可能といえるのでしょう。
人間に出来ることといえば、自然の力を受け流すとか分散させるのが精一杯ではないでしょうかね?
「大雨や野分のことか?」
「ええ、大雨で水嵩が増した時には、本流である三篠川から運河に流れ込む水を遮断しなければ、戸島川と江川が合流する地点である下小原の一帯が洪水で水没する危険はあります」
下小原とは、未来でいうところの芸備線の吉田口駅の北の辺りにある場所のことですね。
「下小原であったら、過去に二度三度ばかし洪水で水浸しになっておるの」
「左様でしたか……」
「なるほど、だから三篠川の入り口の水門は逆向きに開くようになっていたのでしたか」
隆もっちゃんは、良いところに気が付きましたね。さすがは毛利家の跡取りで、毛利元就と大内義隆の薫陶を受けただけのことはありますよね。
内政に関していえば、謀略好きのチートジジイよりも、息子の毛利隆元のほうが上のような感じがしますね。
「三篠川の流れに沿うように扉が開けば、洪水時には水圧に負けて開きっ放しになっちゃうからね」
「合点がいきましたぞ」
つまり、こういうことです。
\/こうじゃなくて、/\こんな感じから、│ │縦に開く感じでしょうか。
ちょっと分かり難かったかな?
図にしたら、こんな感じになるのかな?
上から垂直にゲートを落とす水門でもよかったのか知れないですけど、この時代の技術水準だと何かの拍子にギロチンみたいに、勝手にゲートが落ちる可能性も否定できませんでしたので、安全を考えたら観音開きの扉となりました。
舟が水門を潜り抜けている最中に、ゲートが落ちてきたら大惨事になりかねないもんね。
「それにしても、この新たな漆喰は便利ですな」
「その漆喰は私が命じて、たろさと宇喜多直家が開発したんだよ」
「なんと、太郎左衛門がですと!?」
二年ほど前に、たろさと宇喜多直家にコンクリートの試作を頼んだのですよね。
そのコンクリートの開発に成功したので、水門の一部にコンクリートを使用したというわけであります。
「新たな漆喰を世に送り出した太郎左も有能だが、それを作るように命じた姫巫女の知恵が一番じゃろうて」
ふふーん、チートジジイはよく分かっているじゃないの。
そう、私の頭脳がなければ、日本でコンクリートが使われるようになるのは、二百年以上は遅れていただろうしね。
つまり、私が一番偉いのであります!
まあ、知識チートというインチキを使ってはいるのですけれども。
「父上がおっしゃる通りでして、ちゃんとしたモノになったのは、玉姫のおかげであります。それがしと宇喜多殿だけでは、難儀しておりましたので」
「なるほどのぉ」
たろさが試行錯誤しているのを見ているうちに、「そういえば、火山灰を混ぜれば、ローマコンクリートもどきが出来るよな?」
そうピンと閃きまして、思い立ったが吉日、火山灰を購入することにしたのです。
尼子領内にも、三瓶山や大山などの火山があるにはあるのですけど、最後に噴火したのが数千年や数万年前とかのはずですので、火山灰も地中に埋もれてしまっているのですよ。
だから、生きのいい活火山がある九州の島津家から火山灰を購入することにしたのであります。具体的には、重さ一貫目を二文の値段で。
値段は買い叩いた安い値段のような気もしますけど、作物の生育に邪魔になるだけの火山灰を僅かながらもお金を払って、尼子家が船を出してまで引き取ってくれるのだから、島津は喜んでくれましたよ?
一貫目は3.75kgですので、千貫目で3.75トン。一万貫目で37.5トン。南蛮船もどきは、200トン以上の荷を積めますけど、大事を取って四万貫目、150トンを積み込んでの出航にしました。
つまり、島津に払ったお金は、八十貫文ということになります。
安っ!
しかし、これが商人に頼んだ場合ですと、十倍の値段で収まればまだ良心的な値段じゃないでしょうか?
薩摩から出雲に荷を運ぶだけで、それだけの船賃が掛かってしまうのですよね。
南蛮船もどきの運航に限って言えば、尼子家が主体になって運航を取り仕切っていますので、商人が出しゃばる余地は介在しないのであります。
尼子が直接に島津と取引をすれば、島津に八十貫文払ったとしても、火山灰を出雲に運ぶのに全部で三百貫文ぐらいで収まるのです。
コンクリートの値段を抑える意味においても、コストの削減は大切なんですよね。
コンクリートの値段が高すぎると、公共工事をする時の値段に跳ね返ってきちゃいますので、尼子家の財政にも悪影響が出かねないのです。
それでこの火山灰を、コンクリートを作る時に全体の一割を火山灰にして混ぜ込んでみました。
詳しい配合比率とかは残念ながら私も知りませんので、火山灰の割合を5%、10%、15%、20%とか色々と試してみまして、最終的に10%に落ち着いた格好となりました。
これが本当に正しいのかどうかまでは知らんけど、まあ、たぶん一割の配合で大丈夫でしょう!
それで、大友は毛利と敵対していますので、毛利と婚姻同盟を結んでいる尼子も、間接的に大友と敵対しているということになります。
だから、遠方の薩摩まで火山灰を買い付けるために、わざわざ平戸と天草回りで船を出したのですよね。
まあ距離的には、豊後水道経由でも天草経由でも大して変わりはないのですけど。
あと、尼子は島津と同盟を結んでいるわけではないですけど、対大友の絡みがあるから毛利は島津と同盟に近い関係を結んでいるのですよ。
島津の領地の周辺には、菱刈に肝付に伊東とかの戦国大名がいますので、まだ島津はそこまで大きな戦国大名に成長してないのですけど、将来的に島津は周辺の大名を蹴散らして大大名に出世するはずであります。
だから、今のうちから誼を通じておくのも悪くはないと、そう私が思ったのも大きなウエイトを占めていたのですよね。
鬼島津みたいな凶暴な輩は、敵対するよりも手懐けて使うに限りますしね。
そう、琉球や台湾、ルソンとか将来を見据えての、島津懐柔でもあるのですよ。
ちょっと話がそれましたか。
「しかし、新たな漆喰をあまり過信なさいませんように」
「玉殿、それはどういった意味ですかな?」
「運河と同じく、コレも人の手によって作り出されたモノですから」
「ああ、なるほど」
「形あるものは、いつかは壊れますので」
「それもそうでしたな」
まあ、ローマコンクリートは二千年以上もの長きにわたって風雨に耐えていますので、人間の時間軸でいえば半永久的な感じもするのですがね。
そう考えると、古代の文明と古代人って凄いと思います。
ロストテクノロジーとかも一杯あるみたいですしね!




