152話 尼子家中は元近江もんばっか
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一話にするには短すぎたのでw
永禄6年(1563年)10月下旬 出雲 月山富田城
「米原綱寛、ただいま戻りました」
「右兵衛尉、戻りましたか。ご苦労さまでした」
三好義興の四十九日法要に私の代理として出席したり、朝廷の窓口の一つでもある山科言継との折衝とか、畿内での諸々の用事を済ませて、米原綱寛が出雲に戻ってきました。
「三好修理大夫殿からの文を預かってまいりました」
「お預かりいたします。 ……おひいさま、どうぞ」
「ん、ありがとう」
米原綱寛が春姉に手渡した文を、さらに春姉が私の元へと届けたので、手紙を開いて中を改めることにしました。
私は上座から降りないし、下座にいる米原綱寛もみだりに上座には近づきません。
だから、その間を取り持つ人間が必要になってくるのですよね。
面倒なやりとりだとは思うのですけど、きっと様式美ってヤツなのでしょう。
尼子家の場合では、おもに春姉の仕事になっているのですけど、でもこの仕事って本来であれば、小姓とかの仕事でないのかな?
まあ、どうでもいいや。
「ふむ? ふむふむ…… なるほど」
どうやら、三好の後継者争いは起こらなかったみたいでしたね。
いや? もしかしたらだけど、三好長慶が亡くなってからが、骨肉の争いの本番なのかも知れません。
「おひいさま、三好殿はなんと書き送ってきたのですか?」
「ありていに申せば、三好の新たな後継者も決まったので、これからも変わらぬお付き合いのほどをよしなに、その程度のありきたりな文だね」
そう言って私は、この場に居るみんなで手紙を回し読みするようにと、三好長慶からの文を春姉に手渡した。
尼子家は基本的にオープンな職場だと思います。情報の共有は齟齬を防ぐ意味でも大切なことですので、私に宛てた手紙であったとしても私信でもない限りは、できるだけ家臣にも見せるようにしているのですよ。
秘密主義は家臣の猜疑心を生みかねませんしね。
まあ、どっかのジジイ連中は、私が手紙を見せる前から覗き込んでくるような、躾けのなってないジジイも中にはいるのですがね!
毛利元就なんて、私の家臣ですらないのに……
まあ、もう既に毛利家は尼子と二重の縁で結ばれている、半分一心同体の身内みたいなモノだから、べつに毛利ジジイに見られても構わないのだけど。
「して、畿内の様子はどうであった?」
「讃岐の十河重存殿が修理大夫殿の養子に入って、名を義継と改めたとのことです」
そう、三好の後継者は史実と同じく、三好義継が長慶の後継ぎに決まったのでした。
後を継ぐから、義継という名前にしたのでしょうかね?
でも、義の字は足利将軍家の通字だよなぁ。
穿ったモノの見方をすれば、色々と妄想が捗りそうな感じがしますね。
まあ、今ここで私が考えても詮無きことでしたか。
「うん、それは修理大夫殿の文にも書いてあったから、それ以外のことを聞きたいんだよね」
「山科卿からの文も預かっております」
「まあ、それは礼状みたいなモノでしょうから、後で読んでおくわ」
「あと、どうやら近江の六角家で、お家騒動が起こったみたいです」
そういえば史実でも六角家では、ちょうどこのぐらいの時期に観音寺騒動が発生していたような記憶がありましたね。
正確な日時までは覚えてはいませんでしたけど、おそらくはこれが史実でいうところの観音寺騒動なのでしょう。
ほぼ六角家にはノータッチだったのだから、史実と似たような事態が起こったとしても、なんら不思議ではないということでしたか。
大筒の件はノーカンでお願いします。あれは汚い花火みたいなモノですので。
「六角義治が重臣をお手打ちにでもしたかな?」
「姫様はもう既にご存知でしたので?」
「推測にしかすぎないけど、当たらずといえども遠からずなんじゃないのかな?」
「御明察、慧眼の至りにございまするな」
嘘でーす。でも、歴史を知っていたからこそ、その結論に達したとは言えないよなぁ。
しかし、賢者は歴史から学ぶのであります。
つまり、アイアム無罪。これにて、証明終了。
「前当主から仕えている老臣が口煩く諫言でもすれば、新たな当主からは煙たがられるだろうしね」
「前の当主の力量と、なにかと比較されたりしますよね?」
「春姉、大名稼業も楽ではないということなんだよ」
武田勝頼なんかは、老臣に舐められないようにするために、無理をして戦を仕掛けていたような節も見受けられましたしね。
武田が滅亡するその時まで、信玄の亡霊に振り回されていたともいえるのかも知れません。
そう考えると、武田勝頼が不憫に思えてきちゃいましたよ。
これが当主交代の難しさの一つだと思います。
旧臣が粛清されるのは日常茶飯事だもんね。
つまり、当主死して老臣煮られるということです。
粛清を免れたとしても、閑職に回されたりする確率が高い気がしますしね。
また、新しい当主の力が弱くて、旧臣の力が強い場合には、武田勝頼になってしまうのであります。
だから、私の当主交代劇の場合は、きっと運が良かったと言えるのでしょうね。
「それに、私は六角義治に一度会ったことがあるけど、思慮の浅そうな輩であったと覚えているわ。そこから導き出された答えということだね」
「あー、私も思い出しましたよ! 確かにアレでは当主の器ではなさそうな気がしますね」
どうやら、春姉も思い出したようでしたか。あの当時の六角義治は、おまわりさん案件の少年だったんだよねぇ。
まあ、私の勝手な思い込みもかなり入ってはいるのですがね!
しかし事実として、こうして重臣をお手打ちにしてしまって、お家騒動まで勃発させてしまったのですから、なにをかいわんやである。
「そういえば、右兵衛尉の先祖は六角の出であったな?」
「左様にございます。祖父が六角江雲様の甥で、佐々木源氏の伝手で出雲に流れてから、興國院様に見出されたと、そう聞き及んでおりまする」
米原綱寛は家名の由来のとおり、近江の米原が元々の本貫地ということになります。
まあ、読み方は、"よねはら"と"まいばら"で違うのですけれども。しかしそれは、出雲に流れてから読み方を改めたのでしょうね。
尼子家自身も元々は近江の出ですし、家臣も近江源氏こと佐々木源氏の血が流れている家臣が多いのです。
そう考えると、尼子家の家臣の中には、先祖が近江出身の家臣が数多くいるのですよね。
まあ、近江源氏の傍流だからさもありなん。ということなのでしょう。
「年代が多少合わないのは、六角定頼と右兵衛尉の祖父とが、年の近い叔父と甥だったのかな?」
「おそらくは、姫様が仰せのとおりかと存じまする」
もしかしたら従兄弟だったのかも知れませんね。二人の年齢差を考えたら、どっちかというと従兄弟のほうがしっくりときますしね。
※※※※※※
「しかし三好は、なんでまた四男の息子から養子を選んだのでしょうかね?」
「それは僕も不思議に思ったよ」
「普通は次男である豊前守殿の息子が、三好の跡取りになるのが筋でござるな」
まあ、みんなが疑問に思うのも当然ではあるよね。
「たぶんだけど、九条家が絡んでいるからじゃないかな?」
「またなんで、摂関家が絡んでくるんだい?」
まだ若い源五郎兄ぃが知らなくても、これは仕方ないことなのでしょうね。
「新たに三好の後継ぎとなった、三好義継の母親の実家が九条家なのよ」
「そういえば、先年に亡くなった鬼十河の正室は九条家の出でしたな」
さすがに多胡爺はそこら辺の事情を、ちゃんと知っていましたか。
伊達に長生きはしていないということですね。
「そういうこと。これは、近衛と足利、九条と三好という京の権力闘争でもあるのよ」
「僕、争い嫌い……」
「それがしも、玉姫と穏やかに過ごしたいですな」
「戦は負の側面が大きすぎるからね」
源五郎兄ぃとたろさは、どちらかというと内政官向きの気質をしているのだから、争いを好まないのでしょうね。
国を富ませて豊かにすることは、最終的に戦をしなくても済むことに繋がるのだから、内政って重要な仕事なんですよね。
だけど、その重要であるはずの内政をやりたがらない脳筋武将が、これまた多いのが頭の痛い問題なんですよねぇ。
まあ、私が内政の重要性を口を酸っぱくして説いて回ったおかげもあって、これでも昔に比べたら、かなり改善はされてはいるのですけど。
ええ、飲兵衛の本城さんも、酒造りじゃなくて、消毒液作りに精を出してくれるぐらいには、改善されているのですよ。
だがしかし、源五郎兄ぃもたろさも、戦国武将としてそれでいいのか?とか多少は思わなくもない。
いざという時には、戦わなくてはならないのが戦国武将なのですから。
「おひいさまが京の都に尼子の旗を立てるのを嫌がる理由が、少し分かったような気がします」
「京の都は、魑魅魍魎の巣窟だからね」
それに、京の都には公方様がいるのに、その足利義輝を排除してまで京を押さえる意味はないからね。
権力闘争は、権力闘争をしたい人たちにお任せいたします。
私はその醜い争いを横目に見ながら、優雅にお茶でも飲ませていただきますので。
「畿内の政は複雑怪奇ということですか……」
「だから、私は首を突っ込みたくないんだよね」
朝廷に将軍家に管領に三好に畠山に六角…… 畿内は人外魔境やでぇ。
こんな魑魅魍魎が蔓延る場所に、好き好んで首を突っ込みたがる人の気が知れませんね。
私は出雲の田舎者で十分でございますのよ。おほほほ。
書き溜めがないぞー!




