110話 奴隷の価値
永禄4年(1561年)11月 筑前 那珂郡 博多
「筑前、宝満城主、高橋左衛門大夫鑑種と申しまする。尼子別当様には、ご機嫌麗しく」
「尼子玉です」
私に対して物怖じしない高橋鑑種の態度は、さすがに筑前の三分の一近くを支配しているだけのことはありますよね。実質的に博多と大宰府を取り仕切っていたのは、この目の前にいる御仁なのですから。
高橋鑑種は、大友宗麟が弟の大内義長を大内に送り込んだ時に、側近として付けられるほどには、宗麟から信頼もされ有能でもあったということです。
大内家での大友側与党の筆頭として、大内義長の代弁者として、陶晴賢とかと家中のパワーバランスの綱引きをやり合っていたのですから、そりゃあ肝も据わっていますか。
それに、陶晴賢の死後の短い間だったとはいえ、大内の家宰みたいなこともしていたらしいですし、高橋鑑種が無能の訳はありませんよね。
ですから、私には尼子百万石の当主の座と、山陰山陽八ヶ国の守護と幕府相伴衆という背景があるといえども、私の仮初めの威厳は、場数を踏んでいる相手である高橋鑑種には通用しなかったみたいでしたね。所詮、仮初めは仮初め、メッキでしかなかったみたいでした。
それに、私の容姿はチンマイ小娘に映りますしね。まあ、私を小娘と見て侮ってくれれば、それはそれで良いのかも知れませんが。そんな、ノータリンな人間であれば、どんなに楽な相手だったか……
しかし、この高橋鑑種の慇懃無礼な態度は、自分の経験に裏打ちされた絶対の自信を持っている方の人種なのですから、油断も隙もありませんよね。なんか何年か前に、こんな人間に会ったことがあるような気がしますね。
なんていうのかな? ボンバーマンを若くしたら、高橋鑑種になるんじゃね? そんな感じでしょうかね。つまり、あっち側の人間ということです。プチボンバーマンでしょうか? 年齢的には、宇喜多直家の方が似ているのかな?
でも、今回は高橋鑑種を相手に丁々発止を繰り広げるわけでも、相手の裏をかいたり知恵比べをするわけでもないのが、救いといえば救いなのですがね。
「早速で悪いのだけど、明の商人か倭寇に売り飛ばす予定で、大友から捕らえて奴隷落ちさせた人数は、何人ぐらいいるの?」
「三百人弱ですな」
「倭寇に売る時の一人当たりの値段は?」
「10貫文といったところですかな?」
うむ。こういう手合いは、余分なことを言わなくて実務的で、話が早くて助かりますよね。相手が何を望んでいるのかを即座に見抜いて、それに合わせることが出来るのも、大内義長の側近を務めていただけのことはありますよね。
それにしても、奴隷の値段は、一人10貫ですか。これが高いのか安いのかは、奴隷なんか買った経験がありませんので、イマイチ判断が付きませんね。
未来の21世紀でいうと、約100万円が奴隷の価値ということですか。これは、私が思っている以上に安いのかな? 100万円で売り買いされる奴隷…… うん、安いみたいですね。人の価値と生命が虫けらの時代に相応しい値段なのかも知れません。
まあ、食糧難のこの時代では、奴隷の値段が高すぎたら売れなさそうですしね。それはそうと、10貫でしたら多少の金額を上乗せして、私が買いとっても大丈夫そうな気もしますね。
「それでは、一人当たり12貫文で私が買い取ってもよろしいか?」
「別当様が高値で買い取って下さるのは吝かではござりませぬが、」
「九州で使役して、反乱でも起こされるのを心配しているのでしょう?」
「左様で」
奴隷の管理にも人手を取られますし、数百人の奴隷の蜂起だなんて、鎮圧するのも手間が掛かりますしね。それが心配の種だから、大友から捕まえた捕虜を倭寇に売り飛ばしているのかも知れませんね。うん、納得したかも。
でも、私が大友の奴隷を購入しても、九州で使うのではなくて尼子領内で使うのですから、その心配は杞憂であります。
「出雲か石見の鉱山とかで使うつもりですから、心配は無用です」
「それでしたら、某に否はござりませぬ」
「商談成立だね!」
うむうむ、即断即決。スピーディーな商談こそが、経済の潤滑油だと思いますね。良きかな良きかな。
「でも今は、そんなに手元に銀がないから、割符でも良いかな?」
「割符でも構いませぬ」
「たろさ、割符用の用紙を頂戴」
「はっ、これにて」
たろさも春姉に仕込まれて、側近の仕事を素早く熟せられているようで、なによりですね。尼子では、割符や手形等の証文を使う場合には、所定の様式で予め書かれた用紙を使用しているのであります。
この統一された様式で書かれた証文は、商人が見れば一目で、尼子が振り出した証文か否かが分かるのですから、この証文も尼子の信用を積み上げるのに、一役買っているのかも知れません。
「神屋殿、割符を引き受けてもらえますか?」
「承りました。別当様の割符を引き受けない商人は、恐らく日の本にはおりませんよ」
ふむ。尼子の信用は、それ程までにあったのでしたか。自分では、そこまでとは気が付きませんでしたね。尼子家は、無借金の健全経営ですので、商人も手形決済を引き受けやすいのでしょう。信用って、とても大切なことですよね。
まあ、佐摩の銀や鷺銅山で造っている私鋳銭という、現物の裏付けがあってこその信用なのでしょう。所詮、紙切れは紙くずに化けかねない代物にすぎないのです。つまり、現物が最強ということです。現物バンザイ!
でも、金銀は重たいから持ち運びには不便ですので、いつもニコニコ現金商売とは行かないのですがね。
「これからも、毛利方ではない敵の足軽雑兵を捕らえたら、神屋殿に引き渡してくれれば、私が購入するから」
「それなら、我が毛利も一枚噛ませてもらおうかの」
むむっ、さすがは吉川元春ですよね。目聡くも即座に、大友の捕虜を奴隷として使役する利点に気が付きましたか。でも、嫌味の一つぐらいは言っても罰は当たらないよね?
「治部の兄上、」
「ん? なんじゃ?」
「本来であれば、この仕事は毛利の役目なのですよ?」
「……そうであったな」
おや? 目を逸らしましたね? ふっ、吉川元春に勝ったぜ! まあ、戦では鬼吉川には勝てなさそうですから、内政で勝負したのですがね。でも、もう既に毛利とは戦をする予定もないのでしたね。
毛利も、まだまだ経済観念が未成熟みたいですから、私がフォロー出来るところはフォローしてあげないと、毛利の台所が苦しくなりそうですね。もっとも、佐摩の銀という担保があるから、母屋が傾く程の酷い状態にまではならないでしょうが。
「では、九州で捕らえた奴隷は、尼子と毛利で半分づつということで如何ですか?」
「うむ、それで構わんぞ。高橋殿、毛利も捕虜一人に付き12貫文払おう」
「ありがたき幸せにて」
おろ? 高橋鑑種も吉川元春には、ちゃんと敬意を持って接しているではありませんか。これはもしかして、私が軽く見られているということでしょうかね?
ぐぬぬ、解せぬ…… 解せぬぞぉぉぉ!
だがしかし、私もいい大人なのですから、(主に精神年齢的に)目くじらは立てないでスルーしましょう。私もスルー検定二級は所持しているのですよ。
高橋鑑種も私に対して、どう接したら良いのか距離を掴み切れてないのかも知れないと、好意的に受け取っておきましょう。
「神屋殿、奴隷の購入と輸送は任せるからよろしく」
「輸送先の割り振りは如何なさいますか?」
「とりあえず尼子の分は、馬路の鞆浦と出雲の宇竜か鷺浦、備前の西大寺に均等に割り振ってくれればいいよ。兄上はどうされますか?」
「馬路の鞆浦と安芸の比治山に半々かの?」
「畏まりました」
あー、そういえば、毛利は比治山に新たに城を築くとか言ってましたよね。そのついでに、太田川の河口の干拓も推し進めるつもりなのかな? 比治山城が広島城と命名される日は来るのか否か? 比治山は比治山だよね……?
「あと、高橋殿にお願いしたいことがあるのよ」
「なんでございましょうや?」
「奴隷となった大友の足軽雑兵の出身地から、尼子領内に移住しても良いと納得してくれた家族を引き抜いて欲しいの」
奴隷も家族に会えてハッピー! 家族も奴隷に会えてハッピー! 私ってば、なんて優しいのでしょうか? 私の後ろから、後光が差していますよ!
「なるほど、大友の国力を削ぐのですな」
「田畑を耕す人間が居なくなれば、大友の米蔵に納まる米も減るからね」
大友の捕虜の家族が尼子領内に移住してくれれば、大友は徐々に衰退して相対的に尼子の国力は高まるのですから。この大友の足軽雑兵だった奴隷購入は、一石で三鳥ぐらいのメリットがありそうですよね!
「姫は相変わらず、えげつない事を思い付くのぉ」
「おほほほ、兄上の親父様には及びませんよ」
えげつなさと腹黒さと辛辣さとか謀略系統では、チートジジイには、まったく勝てる気がしないのですけど?
私は、所詮、二流ですかそうですか…… 自分でも分かってまんがな!
ぐすん……