11話 秋空を見上げ憂い沈む
天文24年(1555年)9月 出雲 杵築大社 近郊 菱根村
「うわー、今年は、おひいさまのおかげで豊作ですね!」
「そうじゃの。姫様、神門郡と出東郡併せて、7万石は確実ですぞ!」
「ふはははは! そうでしょ! そうでしょ!」
高笑いをする私の目の前には、辺り一面に広がる黄金色をした稲穂の海だ。
誰がこの高笑いを抑えることなどできようか?
否! 断じて否!
私じゃなくても、笑いは止まらないであろう。
あれ? なんだかデジャブ感が……?
今年は出雲の過半で田植えのやり方を玉姫式に変えたのです。その結果が、私が郡代を任されている神門郡と出東郡では、4割以上の収穫増。合計で2万石以上の米の増産に繋がったのです。稲刈りをするお百姓さんたちの顔にも笑顔が見えますね!
米の収穫が増えれば、その分お百姓さんたちも稗や粟とかを食べる回数が減るのですから、そりゃ嬉しいですよね。
私も稗と粟を試しに食べてみましたけど…… うん、アレは鳥のエサでしたね。それらを食べなくてもよい環境、毎日米を食べれる環境にいる私は恵まれているのだと、改めて思いました。
それで、出雲の他の郡でも玉姫式にした田んぼでは、2割以上は米の収穫が増えました。これならば、玉姫式の田植えは来年はもっと広がるでしょう!
自分で玉姫式、玉姫式って連呼するのは恥ずかしいですね……
ちなみに、玉姫式の命名者は多胡爺です。
「ここ菱根に限って言えば、姫様の50町で800石は固いですな」
「でも、まだこれからだよ。やる事やれる事は、まだまだあるんだから」
そう、やる事は山ほど残っているのだから。
まずは、稲刈りをした田んぼで秋蒔きの麦を育てる。これは、そこそこの数の田んぼで昔から行われているけど、私が目指すのは、米→麦→大豆→休耕→米→麦→大豆→休耕の2年で1サイクルの1.5毛作?です。
このやり方の正式な名前は忘れてしまったけど、前世で読んだ異世界転生モノの小説に書いてあった方法だ。取り敢えずは、私の田んぼの一部から実験したいと思います。
でも、このやり方では仮に実験に成功したとしても、どの作物も2年に一度の収穫になるから、当然サイクルの調整とかは必要でしょう。
米→麦→米→麦や、米オンリーはもちろん、畑では大豆→麦→蕎麦→麦→大豆→麦→蕎麦とか色々と試してみたいですね! 失敗が怖いから小規模からスタートしよう。
「ふむ。しかしながら姫様は、ちと、生き急ぎの気も某には感じますぞ?」
「そうかな? でも、人間五十年っていうしさ。多胡爺なんて五十路をとっくに過ぎてるから気を付けなさいよ」
「お気遣い痛み入ります。しかしながら、この多胡辰敬。まだまだ若い者には負けませんぞ」
「まだまだって言葉を使ったのなら、多胡爺も私と同じになるんじゃないのかな?」
「ははは、これは姫様に一本取られましたな」
21世紀の日本の食生活に少しでも近づける為にも、食べ物に関しては妥協の余地はないのです! 私は早く蕎麦が食べたいのです! めん汁の製造が、目下のところ喫緊の課題であります。
「しかし、やっぱりこうやって見ると、この五文銭は稲穂の色に似て綺麗ですよね」
マイペースにそう言った春姉は、私鋳した銅銭を指で摘まんで太陽に翳してみせた。キラキラと日の光が反射して綺麗ですね。
「そうじゃの。これが、一文銭よりも使われている銅が少ないとは、未だに信じられんわい」
私は、永楽通宝を私鋳させたつもりだったのだが、出来上がってきたのは五円玉モドキであった。
そりゃ言ったよ? 「銅が10割ではもったいないから、倭鉛を入れちゃえ!」それで出来上がったのが、黄金色によく似た色をした五円玉モドキなのでした。
どうしてこうなった?
つまり、真鍮ですね。たしかに綺麗ですもんね真鍮は。言い訳をさせてもらえれば、仕方がなかったんですよ。銅と一緒に亜鉛も取れちゃうのですから! ちなみに、倭鉛が亜鉛のことです。
それで、この時代の技術では真鍮にするぐらいしか、亜鉛の使い道がないんですよ。まあ、溶ける温度は低いみたいなので、多少の試行錯誤をしたら亜鉛メッキはできるかも知れませんけど。でも、亜鉛メッキって何に使えばいいんだっけ?
私の中途半端な知識では思い浮かびませんね。取り敢えずメッキというのだから、何にでも塗りたくってみて用途を見つければ良いか。そう開き直りましょうか!
そうじゃなくって、父上に許可を貰って私鋳銭の試作を始めて色々と試してみたのです。
銅10割→もったいないから却下。
銅8割、鉛2割→重くなるから却下。それに鉛は、そのうち鉄砲の弾として大量に必要になるしね。
銅8割、錫2割→錫が出雲では、ほぼ産出しないから却下。錫のメイン産出地は但馬なのです。モロ敵国ですね。
そんなこんなで、亜鉛をぶち混ぜ込んで出来たのが、金色に限りなく近い真鍮でした。真鍮自体は昔からあるのですけど、銭に使用する発想にはならなかったみたいです。
それで、田植えシーズン前に先行して治水作業していた工事の最後の方で私鋳銭の一部がギリギリ間に合ったので、試しに渡してみたら……
「こんな綺麗な銭こさ見たことないだ!」
「んだんだ!」
「金ではねえのけ?」
「まるで金みたいだが!」
「んだんだ!」
「姫様、オラにもごせるだか!?」
なんだか、みんなの目の色が怖いんですけど。
「ちゃんと、みんなの日当分もあるから落ち着いて!」
「「「おーっ!」」」
「こんな綺麗な銭さ15枚も貰えるだか!」
「姫様、オラが持ってるこの銭と交換もできるだか?」
「ええ、そのうち古い宋銭5枚と、この新しい永楽銭1枚を交換できるようにするわよ。でも、まだ数が少ないから先の話ね」
「「「「「おおーっ!」」」」」
次の日
「おひいさま、握り飯も酒も干物も売れませんね……」
「そうだね……」
今日から作業現場で買い物をする場合は、昨日渡した永楽銭のみを使うようにしたら、ほとんど誰も昼飯を食べないし、仕事が終わっても酒を買わないでやんの!
どうしてこうなった?
お百姓さん曰く、
「もったいなくて、新しい銭こさ使いたくないだ!」
銭は使ってこそ銭だろうが!
「昨日まで、1文だった握り飯が今日からは5文だべ。高くて買う気にならないべ」
ちょっ!? 5文じゃないし! その永楽銭は1文だし!
「だったら、あなた達に日当で渡す新しい銭を3枚にしてもいいの?」
こう言えば、みんな渋々ながらも銭を使うでしょうね。意地でも握り飯を買わさすからな!
「姫様がボロの宋銭5枚と交換してくれるって言っただ。したら、3枚でも15文だからオラは別にいいだよ」
なんで、そうなるの!?
「あなたたちが良くても、私が困るのよ! この新しい銭は1枚1文にしたいのよ!」
「そったらこと言われても、この銭こさ綺麗だがね。5文の価値はあるだよ」
綺麗だからって、勝手に5文に価値を引き上げるなよ!
「んだんだ」
「オラは悪銭10枚とでも交換して欲しいだ!」
それはそれで、胴元の私が儲かりそうな話ではあるけどさぁ…… 今回に限って言えば、その誘惑は罠なんですってば!
悪銭10枚と交換したら永楽銭が10文になっちゃうじゃない!
「んだんだ」
「昨日帰って母ちゃんに見せたら腰抜かして、おったまげよっただ」
不味い不味いぞこれは……
まさか、いくら交換比率が1:5だからといって、そのまま素直に5文の価値を認めてしまうとは。つまり、昨日貰った永楽銭は使わずに貯金したいということなのか?
このままでは、悪銭5枚→永楽銭1枚→使わない→悪銭で買い物→余裕のある悪銭5枚→永楽銭1枚→使わない…… ループの完成ですかね?
もしかして、いや、もしかしなくても、これが所謂、悪貨は良貨を駆逐する。という法則ですか?
まさか、私が目の前で、この法則を見ることになろうとは……
予定では逆に、良貨が悪貨を駆逐する。その予定だったのに。やっぱり、人間の心理や市場経済の原理原則には逆らえないってことなのかも知れません。
これが、神の見えざる手の入り口なのか? そうなのか? でも、アダム・スミスよりも、今の時代はケインズなんですよ!
どちらも詳しくは知らないけれどさ!
失敗した。もっと大量に造ってから、一気に放出するべきだったのかも知れない。
そんな事がありまして、試作した永楽銭は回収して一時使用中止にして、慌てて、永楽5文銭として作り直す破目になったのです。
ムカついたから、裏に【玉】【五文】って刻印させてやった。後悔も反省もしてない。まあ、価値を表すのに【五文】の刻印は必要ですし。
それで、5文銭の大量生産を始めるとともに、試作段階で10円玉に似た色が出来ていたので、それを1文銭用に、これまた大量生産せざるを得なくなって、てんやわんやのドタバタ騒ぎになったのだけども、この話は割愛させて頂きますね。
新しく試作した1文銭を見た、みんなの反応といえば、
「綺麗は綺麗ですけど、5文銭には敵いませんね」
「そうじゃの」
ちょっ!?
「その1文銭の方が、銅の比率が3割も高いのに!」
春姉さんや、あなた騙されているのよ。目を覚まして下さい。資産価値は、1文銭の方が高いですよー。
「おひいさま、いくら銅の量が多いといっても、見た目は大事ですよ?」
銅の価値よりも見た目なのか? そうなのか?
『人間は見た目よりも中身が大事です』そう、先生たちは言っていたじゃないですか! あれは嘘だったんですか?
やっぱり、人間もお金も宝石も見た目が大事なんですね!
こんな出来事が春にあって、秋から正式に始まる治水作業の為に必要な銭を四苦八苦して揃えたのです。私ではなくて、主に鋳物師がくたばってましたが。ご苦労さまでした。
はぁ…… ため息を一つ吐き、私は秋の空を見上げながら、
「どうしてこうなった?」
そう呟くのでした。
 




