109話 奴隷 【地図8】
永禄4年(1561年)11月 筑前 那珂郡 博多
「神屋殿、あの見窄らしい姿の連中は、もしかして奴隷かな?」
「あれは、龍造寺と高橋と秋月の連合軍に負けて捕まった大友側の奴隷ですな」
奴隷が居ましたよ。私が奴隷をこの目で見るのは、今世に転生してから初めてのことであります。いや、前世でも奴隷なんか見たことなかったけどさ。堺に行った時にも、偶然なのか知りませんが奴隷は見掛けませんでしたしね。
それに、私が戦場に出るようになった時には、尼子軍は戦場で奴隷を捕まえてなかったのですよ。まあ、私の周囲が偶々そうであっただけなのかも知れなかったのですがね。だから、私が奴隷を見るのは今回が初めてなのです。
「あー、先月に筑後との国境周辺であったという合戦かぁ」
「はい。蜂起して旧領を奪還した秋月か、謀反を起こして毛利方へと鞍替えをした高橋を攻める為に、大友は侵攻して来ましたが、返り討ちにあって大友が惨敗した戦です」
先月の下旬に、筑前の夜須郡の甘木周辺の筑後との国境近くを流れる小石原川を挟んで、毛利方の連合軍と大友軍が激突したのですけど、小石原川を迂回して渡った龍造寺軍の別動隊に横槍を入れられて、戦線が崩壊して大友が負けたのでしたね。
大友で、そこそこ名前の知られている武将も数人が討ち死にしたほどの激戦だったみたいです。秋月は奪還した旧領を再度大友に奪われないように、高橋は寝返った毛利への忠誠を見せる為に、龍造寺は毛利への手土産欲しさに、それぞれ必死だったのでしょう。
でも、大友は立花道雪、今はまだ戸次鑑連でしたか。戸次鑑連が出陣していたのだから、大友の惨敗ってことはないと思うのですが、そこんトコどうなんでしょうかね? 唯一、立花道雪に対抗出来そうな気がする龍造寺の鍋島直茂も、まだ23,4歳の若造ですしね。
大友軍に横槍を入れたのは、恐らく鍋島直茂だとは思うのですがね。それとも、高橋鑑種の指揮統率が良かったのかな? まあ、毛利方連合軍の勝ちは勝ちなのでしょう。
それはさておき、
尼子でも以前は、戦で奴隷を捕まえるのは、戦に勝った者の権利みたいな風潮がありました。でも、私が当主の座に就いてからは、正式に乱捕りの禁止を通達しましたので、戦に託けて無辜の民が攫われるような事態はなくなったのです。
多分だけれども……
しかし、尼子と敵対する勢力で捕虜になった者の中で、尼子に帰順しない者への労役という名の奴隷制度はあるのです。三年間、鉱山での強制労働ですね。その三年の期間が過ぎれば、故郷へ帰っても良いし、尼子の民になっても良いという法度になっています。
私の代で、この法度が適用されたのは、但馬山名の将兵ですね。約150名ほど存在します。因幡の民で但馬山名に従軍した足軽雑兵や、美作や備前の民で後藤や浦上に従軍した者は、そのまま尼子の領民として扱っているので、別枠になります。
え? ダブルスタンダードではないのかですって? のーぷろぐれむ問題なっしんぐであります! だって、尼子領内の民になる領民なのに、敵方で仕方がなく従軍した雑兵を捕虜にしたからといって、奴隷として強制労働させるのはいかがなものかと?
領内には、家族だって住んでいるのだから、その家族からも私が恨みを買ってしまうじゃないですか? そんなの私は嫌だよ。私は、寛大寛容公明正大な領主を目指しているのですから。あくまでも、目指している。つまり、努力目標ではありますがね!
努力目標。うん、良い言葉だ。
それで、戦争捕虜の奴隷とは言っても、ちゃんと、お給金は支払っているのですよ? 労働した日には一日に付き、5文も! まあ、雀の涙程度ともいいますがね。さらに、一食に付き、1文徴収されちゃいますしね。
しかし、三年間の労役が終わった時には、節約した人で3貫文、嗜好品とかに散財してしまった人でも1貫文程度は、銭が貯まっているのではないでしょうか? 未来の刑務所よりも銭は貯まるはずですから、良心的だと自負しておりまする。
労役が終わって鉱山から無一文で放り出してしまったら、奴隷から野盗や山賊にジョブチェンジしかねませんしね。とりあえず最低でも1貫文あれば、なんとか生活の糧を探すまで食い繋ぐことも出来るのではないでしょうか?
それに、そのまま正規の鉱山労働者になってもらっても一向に構いませんしね。むしろ私としては、そうなって欲しいですね。正規の鉱山労働者の賃金は奴隷時代の10倍ですので、オススメします!
いかん、奴隷を見てテンパってしまったようでしたね。
「それで、あの奴隷は何処に売られるの?」
「あの奴隷の行き先は、恐らく大陸の明でしょうな」
「明? 南蛮ではなくて?」
「別当様、博多には南蛮船は入って来ませんよ」
へー、南蛮じゃないんだ。そういえば、博多の港は水深が浅くて、南蛮船が入港出来ないのでしたか。だから、九州で最大の都市である博多から遠いにも拘わらず、天然の良港があった平戸や長崎に入港していたはずでしたよね?
つい最近になって平戸では、日本人と南蛮人との間で騒動が発生したとかなんとか言ってましたので、南蛮船は平戸から撤退して長崎に寄港するようになるのかな? 横瀬浦とかいう名前もあった気もしましたが。
といいますか、明にも日本から奴隷を輸出していたのね。初めて知ったわ。倭寇の船とかに乗せて水夫にでもするのでしょうか?
「そういえば、博多には南蛮人が殆どいないね」
「博多ではキリシタンに改宗する者が少ないゆえ、伴天連も布教のしがいもないのでしょう」
なるほど。博多は裕福な町だから、食うや食わずの貧しさから異国から新たに入ってきた新興宗教の信仰に、あえて縋る必要もないということでしたか。貧困とかの絶望が信仰への最大のマリアージュとかいいますしね。
まあ、マリアージュが何なのかは知らんけどさ。フランス語で結婚でしたっけ? モンペットクワトマリアージュ?
「日の本には、既に八百万の神々と仏が居るしね」
「左様ですな。我々には南蛮人との交易は魅力的ですが、異国の宗教は胡散臭く感じられますな」
まあ、仏教も元々は異国の宗教なんだけど、それは黙っておいてあげましょうかね。私は空気の読める為政者を目指しているのですから!
「それに、大友や有馬などは、南蛮人に火薬と引き換えに奴隷を売り付けているとも聞き及んでおります」
あー、やっぱりでしたかー。それもあって、神屋さんは南蛮人のことは眉に唾を付けて見ているのでしたか。火薬一樽で奴隷が数人とかでしたっけ? なかなかに楽しげで愉快な世界ではないですか……
世紀末、奴隷輸出大国、戦国ニッポン万歳! まったく万歳じゃないですよ…… まあ、現在は西暦で言ったら1561年ですから、世紀の中盤を少し過ぎたあたりで、全然世紀末じゃないけどさ。でも、言葉の綾的に、戦国時代は世紀末だと思います。
人権云々はどうでもいいけど、同じ日本人を外国に売り飛ばすだなんて、同胞としては許し難い暴挙であります。仮に、売り飛ばすとするならば、まずは自分の身内から率先して売り飛ばして、模範を示してもらいたいと思いますよね?
日の本の中の他国で奴隷を使役するならまだしも、海の向こうの外国に売り払うだなんて馬鹿じゃないの? そう思いますね。まあ、この時代では、日の本の他国も海の向こうの外国も、似たようなモノとして捉えている人間が大多数なのですがね。
だがしかし、大友軍の将兵だった捕虜を奴隷として、倭寇に売ろうとしている毛利方に属する私が言えた義理ではなかった! でも、仕方ないよね? これは戦の結果なんだからさ。ダブルスタンダード万歳!
でも、おかしいですね? 捕虜を奴隷として外国に売り払うのは、毛利も得策ではないと知っているはずなんだよなぁ。主に、私の政策に同調して毛利領内の開発を推し進めているから、人手があるに越したことはないのですよ。
これは、アレかな? 龍造寺と秋月と高橋の三者は、毛利傘下とはいえ、完全な毛利の家臣ではない協力者、従属大名みたいな立場なのだから、戦利品である捕虜の扱いに関しては、三者に委ねるのが筋なのでしょう。毛利と三村の関係と同じ感じですかね?
今回の戦に関していえば、毛利は少数の軍監しか派遣していなかったみたいですし、毛利も口が出せないのかも知れませんね。
まあ、私が買えるのなら買ってあげましょうかね。鉱山労働者や干拓に従事する労働者は、人数が沢山いても困ることはないのですから。尼子領内は猫の手も借りたいほど、慢性的な人手不足に陥っているのであります。
そんなに無計画に手を広げているつもりはないのですが、おかしいですよね?