106話 祝言の席での出来事
前話を少し加筆修正しています。
永禄4年(1561年)8月 出雲 杵築大社 尼子会館
「いやはや、本日は誠に目出度い。尼子との絆も深まったので、これで毛利も安泰じゃのぉ」
「義父上様は下戸なのですから、酒は程々にしておきませんと身体に毒ですよ?」
「なに、まだ大丈夫じゃわい」
大丈夫じゃない人に限って、大丈夫って言う気がするのですが気のせいでしょうか? 酔っている人が、酔ってないと言うのと同じ気がしますよね。
「父上、玉殿は父上の身体を慮って仰ってくれてるのですから自重して下さい」
「固い、隆景は頭が固いぞ」
このジジイの態度は、酔った振りじゃなくて、これは完全に酔ってますよね? まあ、今日からが正式に尼子と毛利の婚姻同盟のスタートですから、目出度くて嬉しい気持ちは分かるけどさ。でも、ジジイは少しはしゃぎすぎの気もしますね。
チートジジイも歳を取って老いたという事なのでしょうか? まあ、私はジジイになってからの毛利元就しか知らないのですがね。でも、これが演技、酔った振りで、ジジイが狙ってやっているとしたら、さすがとしか言いようがありませんが。
「左衛門佐殿、取り上げちゃって」
「むぅ、祝いの席なのに別当様は無粋じゃのぉ」
「父上、失礼つかまつる」
「むぅ、隆景は無体じゃのぉ」
むぅ。だなんて、ジジイが拗ねても可愛くなんかありませんから! それに、普段は姫か姫巫女呼ばわりで、別当様なんて呼ばないクセにさ! まあ、位階はジジイの方が上ですし、別当様呼ばわりはジジイ流の茶目っ気なのでしょうが。
「義父上様の酒はお仕舞いです。それで、少し真面目な話しをしても良いかしら?」
「祝いの席で真面目な話しとは、些か興醒めの気もするが、なんでござろう?」
「筑前の志摩郡にある柑子岳城は落としたのよね?」
「うむ。姫が申しておった通り、臼杵鑑続は既に死んでおったみたいで簡単に落城したわい。これも姫巫女のおかげじゃの」
なるほど、城主不在の城は存外脆いということでしたか。柑子岳城は、博多から見て博多湾を挟んで西北にある糸島半島に築かれた城のことです。怡土郡と志摩郡に跨る半島だから、糸島半島ですかね?
大昔には、この辺りに伊都国が存在していたみたいなのです。もしかしたら、その当時の糸島半島は島であって、博多湾と唐津湾が海で繋がっていた可能性もありますよね? 伊都国にある島だから、糸島。怡土と志摩で糸島。
地名の由来は得てして、その地の風景などを単純に命名したのに由来している気がしますね。広島→太田川の河口に広い島があったから。島根→島の付け根からかな? 兵庫→兵器武器の倉庫があったから、などなど……
「柑子岳城一帯は、もう既に誰かに恩賞として与えてしまったのでしょうか?」
「いや、とりあえず毛利の直轄領に組み込んだが、まさか姫巫女が柑子岳城を欲しいとでも申すのか?」
さすがに酔ってはいても、判断力が衰えていないのは、生き馬の目を抜いて生き残ってきた戦国屈指の謀将の謀将たる所以なのかも知れませんね。
いくら婚姻同盟を結んだとはいっても、ここ出雲は数年前までは敵地だったんだし、前後不覚になるまで飲んでしまったら、この時代では大名失格の烙印を押されかねませんしね。
逆に酔いつぶれるまで飲むのは、それはそれで、胸襟を開いている、心を許しているとも受け取れるので、相手に対して好い印象を与えるのかも知れませんが。まあ、油断しているともいいますけれども。
でも、チートジジイは、もう既に隆もっちゃんに家督を譲って隠居をしている身だから、べつに前後不覚に陥っても良いのかな?
しかし、私も随分と穿ったモノの見方しか出来なくなってしまっているような気がしないでもない。でも、こんな殺伐とした時代で、戦国大名として生き抜いて行くのは、心が擦り減ってしまうのですよ……
「そのまさかですよ」
「なんと、そのまさかであったか」
「柑子岳城を含めた志摩郡の半分ぐらいを売ってくれないかしら? 具体的には5万貫程度で」
志摩郡の半分だと、だいたい1万5千石ぐらいでしょうか? 一応は、1反で1石が基準になりますから、1町歩で10石の米が収穫出来ると計算すると、1500町歩。つまり、私が5万貫と言った値段は、1町歩あたりの田んぼの値段は34貫文ぐらいになります。
仮に、1万5千石の領地を買う場合には、不動産価格の適正な値段よりも高いはずなのであります。京の都や畿内の土地の値段はもう少し高いみたいなのですけど、九州の田舎の田畑の値段で、1町歩あたり34貫文は水準以上の価格だと思います。
まあ、この時代に領地である郡の半分を売買するだなんて発想自体がありませんので、あくまでも机上の空論みたいなモノなのですがね。でも、個人個人での田畑の売り買いはありますので、規模は小さくても似たようなやり取りはあるのですよ。
「ふむ…… しかし、そんな飛び地を買って如何するつもりなのじゃ? 大陸との交易の拠点にするのか?」
べつに私としては、宗像郡の津屋崎と宮地岳城でも構わなっかたのですけど、あそこは宗像の領地のはずですから、買い取るにしても調整が難航しそうですので、大友から奪ったばかりの柑子岳城一帯を要求することと相成りました。
柑子岳城一帯は、元の領主が居なくなったのだから、調整する手間も少なくて済みそうですしね。
「対馬の宗氏にあげるのよ」
「姫自身の直轄領にして使わずに、宗にあげるとな? さすがに、その発想はワシにも出てこなんだわい。つまり姫は、宗を完全に取り込む気なのじゃな?」
「ええ、5万貫で対馬の宗を取り込めるのであれば、安い買い物だとは思いませんか?」
「むむむ、柑子岳城を宗に気前よくあげるなど、姫巫女は相変わらず突拍子もない事を考えつくのぉ」
そんなこともアルよ! まあ、秀吉と家康の真似をしてみただけともいえるのですがね。
1万5千石の領地で、年貢が6公4民だったら領主の取り分は9千石。銅銭に換算したら約4千5百貫です。例えば、収入の二割にあたる900貫を毎年返済に充てるとして、金利手数料なしの56年ローンで志摩郡の半分を5万貫で買ったようなモノですかね?
しかし、金利があって更にその金利が複利だったとしたら、とてもじゃないけど5万貫の高値では買えそうにありません。返済が滞って自己破産しちゃいそうな気がしますね。人類最大の発明は複利であるとかなんとか、アインシュタインも皮肉気に言ってましたね。
でも、これはあくまでも、米のみの収入で米を換金した場合だけを想定した内容ですので、他の換金作物や商品、交易等によって得た利益があれば話も違ってくるのですけれども。
まあ、私も5万貫で対馬の宗さんに柑子岳城を売りつける気は毛頭ありませんので、この計算自体がナンセンスなのですがね。これは、土地の価値と値段は、こんなモノだよということであります。
「対馬の宗氏は、九州本土に領地を持つのが長年の悲願みたいですから」
「恩に着せるのじゃな。相変わらず姫巫女の腹の中は真っ黒じゃのぉ」
腹黒いだなんて、失礼しちゃいますね! 私が腹黒だったら、チートジジイには、なんて称号を与えればよいのでしょうか? 悪辣の称号ですかね?
「これからは、水軍衆の需要は増えるのだから、取り込めるうちに取り込んでおかないとね」
「うーむ…… 九州での戦で戦費も嵩んでいるから、姫に売りましょうかのぉ。じゃが、対馬の宗が尼子だけの紐付きでは面白くない者も出てこよう」
「義父上様の家中にですか?」
まあ、いくら5万貫で売買するとはいっても、毛利が血を流して勝ち取った領土を餌にして、尼子が宗を取り込んだら面白く思わない者が出てきてもおかしくはありませんか。ここは一つ、妥協しておいた方が無難みたいですね。
人間関係を円滑に回すためには、穏便に穏当に、これ大事なことだと思いますので。
「うむ。そこで、5万貫のうち半分は毛利が持ちますので、対馬の宗氏は尼子と毛利、二家の紐付きにしては如何ですかの?」
「兼帯ですか? まあ、私は交易の為の水軍衆が欲しいだけですので、それでも構いませんが」
そんなこんなで、前話の冒頭に戻るのであります。
といいますか、5万貫のうち半分って、毛利は銭を出す必要はないではありませんか! ……チートジジイに言い包められたような気がするのは、気のせいでしょうかね?
解せん……