104話 守護大名と戦国大名
永禄4年(1561年)9月下旬 出雲 月山富田城
「建前上、関東管領は室町幕府が設置した鎌倉府の下の役職でしょ?」
「ふむふむ」
「左様でしたな」
古川村の出雲斎宮から月山富田城に戻ってきた玉です。川中島で上杉謙信と武田信玄が激突したとの知らせを受けて、あ、上杉謙信は、まだ上杉政虎ですけど、面倒だから謙信と呼びますね。
一連の流れの裏に潜む出来事を春姉にレクチャーする破目になったのです。オマケで多胡爺とたろさと源五郎兄ぃも居ますが。
まあ、私も偉そうに講釈を垂れるほど、詳しくは知らないのですが、多少は前世の記憶から引っ張てこれる知識を活用して、知ったか振りを発揮させてもらいましょうかね! 既に前世の記憶も多少なりとも、あやふやになっている気もするのですけれども。
木花咲耶姫も神力をくれるなら、記憶力とかの底上げもついでにしてくれれば良かったのにとか思わなくもないですよね。愚痴の一つもこぼしたくなるのが人情ってものですよ。
「事の起こりは、古河公方を巡る争いなのよ」
「古河公方ですか?」
「うん。昨年に亡くなった前の古河公方である足利晴氏の二人の息子による争いだよ」
「なるほど、読めてきましたぞ」
「私にはチンプンカンプンですよ」
うん、さすがは多胡爺ですよね。二人の息子の対立というヒントだけで、古河公方を巡る家督争いの背後に潜むモノを見抜きましたか。春姉は、まあ、頑張れ……
「その息子というのが、足利藤氏と足利義氏の二人なんだけど、義氏の母親は北条氏綱の娘なのよ」
「義氏殿を推す北条と、藤氏殿を推す公方様と関東管領という事ですな?」
「そういうことだね。諱で分かる通り藤氏は、大樹の改名前の諱である義藤から偏諱を賜っているよ」
「おひいさま、それでしたら義氏殿の義も公方様からの偏諱ではないのですか?」
この時代で、身分の高い武家で諱に義の字を使っている武将の殆どは、足利将軍家から偏諱を賜って義ナントカって名乗っているはずですしね。私の兄であった尼子義久しかり、大友義鎮、今川義元、大内義隆、六角義賢、島津義久、朝倉義景、
などなど、名前を挙げたらキリがありませんよね。それに、下の字を偏諱で賜っている人も、上の字を賜った以上に居るのですから、似た名前の戦国武将が多いのも納得ですよね。まあ、ややこしい事このうえないともいいますけれども。
上の字を与えるのと下の字を与える差が、何を基準にしているのかまでは知りませんがね。
ちなみに、坂東太郎こと鬼義重と言われている佐竹義重の場合は、新羅三郎義光から続く由緒ある佐竹家の通字が義ですので、別口なのであります。
「それは春姉が言う通りなんだけどさ。でも、順序でいったら、兄である藤氏が先で、腹違いの弟である義氏が後になるけどね」
「と、いうことは、嫡男であった藤氏殿は廃嫡でもされたのですか?」
「私も詳しくは知らないけど、廃嫡されてたみたいだね」
「先の古河公方が北条の圧力に屈したのですかな?」
「そういうこと」
河越合戦で関東諸侯連合軍が惨敗して北条が躍進したから、足利晴氏も藤氏を廃嫡して、北条と血で繋がっている義氏に家督を譲らざるを得なかったのだろうね。
「おひいさま、その古河公方のお家争いと公方様との関係がイマイチ理解できないのですが……」
「相模の北条家の大元が誰に繋がっているのかは知っているでしょ?」
「鎌倉の執権である北条家ですよね」
ズコー!
春姉は知らなかったのかよ…… まあ、春姉にしてみれば関東は遠い国ですから、知らなくても仕方がないのかも知れませんね。
「春よ、それは違うのじゃよ」
「え? 違うの? お爺様は知っているのですか?」
「室町の政所執事を世襲する伊勢氏の一族の出でしたな」
「多胡爺が正解だね」
北条早雲を源流とした後北条家は、鎌倉幕府の執権であった北条家にあやかって、伊勢から北条に改姓したはずでしたよね。関東の諸国を統治するのには、さっきの春姉みたいに誤認する人が多そうですし、北条の名は都合が良かったのでしょうね。
もっとも、上杉謙信なんかは、後北条家を認めたくなかったみたいなので、生涯にわたって伊勢の奴輩呼ばわりしていたみたいですしね。
「大樹にとってみれば、政所を握っている伊勢に、幕府を壟断されていると感じているかも知れないわね」
「ふーむ、なるほどのぉ」
「おひいさま、公方様は伊勢の一族が嫌いということですかね?」
「少なくとも好い感情は持ってないだろうね」
自分が認めて、偏諱を与えた足利藤氏を北条に蔑ろにされているのですしね。
政所も伊勢、古河公方を傀儡にしている後北条家も伊勢。坊主憎けりゃ袈裟まで憎いではありませんが、それに近い憎悪が足利義輝の胸中に渦巻いていたとしても不思議ではありませんよね?
「それと、大樹にとってみれば、甲相駿の三国同盟も、室町幕府への重大な挑戦と映ったのかも知れないわね」
「武田と北条と今川の同盟が、ですか?」
「うん。吉良を差し置いて、大きな顔をしている今川も、恐らく大樹は気に入らないと思っているんじゃないかな」
今川と北条は、二重三重の婚姻によって結ばれているのです。北条早雲の姉または妹が、今川義元の祖父である今川義忠に嫁ぎ、北条氏康には今川氏親の娘が嫁ぎ、今川氏真には北条氏康の娘が嫁いでいるのです。もう、わけわかめちゃんですよね?
そう考えると、昔の日本って、ある程度以上の格式が高い家は近親婚ばっかりなんだよなぁ。よく血が途絶えなかったよなと思わなくもない。
それはさておき、足利宗家である足利義輝からしてみれば、今川と北条。つまり、伊勢が二重三重に結び付くのは、見ていて好い気分ではいられないと、私は思うのですよ。
「今川は、足利の継承権を有しているのでしたな?」
「それもあるけど、問題は足利の継承権だけではないのよ」
「なにが問題なのですか?」
「今川の分国法である、今川仮名目録。なかんずく追加21条の第20条」
私も駿河から今川仮名目録を、甲斐から甲州法度を、豊後から大友義長条々、肥後の相良氏壁書、等々それぞれの国の分国法を取り寄せてみたけど、うん、この時代の人の倫理観や価値観といいますか、考え方が良く分かった気がしましたね。
前世の記憶がある私からすれば、それってどうなのよ? とか、思ってしまう法律が多々見受けられるのです。しかし、今回の問題点は、分国法の全部ではないので割愛させてもらいますね。
尼子も大きくなったのだから、父上の時代の法を少しづつ弄りながら誤魔化し誤魔化し使うのではなくて、ちゃんとした法体系を整備しなければならない時期に差し掛かっているのかも知れませんね。
諸大名の分国法の中で良さそうな法度を取り入れて、新たな尼子家諸法度を作りましょうか。
それはさておき、
今川仮名目録の問題点は、22条と23条。そして、一番問題になると思われるのが、今川仮名目録追加21条の中の20条。これは、幕府の定めた守護不入の否定。守護大名の否定。すなわち、室町幕府の完全な否定。それに尽きると思います。
まあ、誰も彼もが幕府の命令なんぞ無視している時代ですので、今川だけを悪く言うのは、お門違いではあるのですが。
それにしても今川義元は、よくもまあ堂々と文書にして幕府を否定したよな。奢っていたのかな? 私ならば、コソコソと否定しますがね!
幕府を無視して、今川氏親は遠江に侵攻して遠江守護である斯波氏から遠江を奪ったのです。もっとも、元々の遠江守護は今川氏だったのですから、今川からしてみれば、幕府に遠江を奪われたと思っているはずですので、故地を奪還した程度に思っているのかも知れませんが。
つまり、桶狭間の合戦とは、守護の斯波氏の代理である守護代の織田と今川の戦だから、今川と斯波との百年以上にわたる因縁の帰結とも言えるのかも知れませんね。この時代の日本ってこんな因縁ばかりなのですよ。救いようもありません。
そりゃ、後世から戦国時代とか言われる訳だよ……
「守護使不入地の否定でしたかな?」
「うん、私も守護不入なんて無視しているけど、足利一門である今川が足利尊氏が創った室町幕府を否定するのは、私とか他の大名に比べて訳が違うはずだよ」
「それは、公方様からしてみれば、面白くないでしょうね」
足利の分家と家臣に、足利幕府を否定されているのと同義なのですから、そりゃ、足利義輝が懲罰的な行動を取っても不思議ではありませんよね。義兄である近衛前久が越後に下向したのは、もしかしたら足利義輝の思惑も入っていたのかも知れませんね。
足利幕府という体制に服するのが守護大名で、自分で体制を確立するのが戦国大名と言えるのかも知れません。同じ国持ち大名でも、この違いは大きいと思います。
「長尾景虎の関東管領就任は、落ち目の上杉を助ける意味もあったけど、大樹自らが許可したのだから、甲相駿の三国同盟を掣肘する意味合いが強かったんじゃないかな?」
「なるほど、そう繋がるのですね」
「まあ、私の推論だけどね」
「いや、十二分にあり得る話だと思いますぞ」
それに、古くから関東に土着している坂東武士には、関東では新参の後北条家は受けが悪いし、名門の上杉の名の下で関東が静謐を取り戻したら、今川に圧力を掛けれるようになるとでも足利義輝は思ったのかも知れませんね。
つまり、足利宗家を頂点とする、旧来からの秩序で日の本を統治するのか? それとも、新たな秩序を確立して、新しい日の本を創り上げるのか? 守旧派と革新派との争いともいえるのでしょう。
まあ、日の本各地の戦国大名で、天下を統一して新しい日本を創り上げるだなんて、発想をもって動いている大名がいるとは思わないのですがね!
足利幕府はオワコンだとは思いますけど、正義とは多面的な側面がありますので、なにが正しいかだなんて人それぞれなのですから、私にもこれが正しい道だなんて確信は持てないのです。
でも、私は私が正しいと思った道を進む以外の方法は知りません。
つまり、私が〇ンダムだ!
違った…… 自分でも言ってて寒かったぜ。
私は私が信じる道を切り開いていけば、今よりも少しはマシな未来を創れるのではないかなぁ。と、そう思うのであります。そう信じなければ、私の命令で死んでいった人たちにも申し訳が立たない気がしますしね。
幸せも明るい未来も自分の心が決める! ……なんだか、みつをさんみたいな格言になってしまったではありませんか。
だがしかし、
政治家など、前世でニートだった私には重労働な仕事だよ……
ニートだった前世が懐かしいですね。誰か代わってくれませんかね?
たろさと源五郎兄ぃが空気でした… 場には居たんだよ?