103話 川中島合戦
永禄4年(1561年)9月下旬 出雲 能義郡 古川村 出雲斎宮
「越後と信濃との間で大戦があった模様です」
「長尾、いや、もう既に上杉か。上杉と武田かぁ」
長尾景虎。つまり、上杉謙信は、今年の閏三月に上杉憲政から山内上杉家の家督と関東管領職を譲られて、上杉政虎と改名していたのでしたね。
小田原城を包囲したり、鶴岡八幡宮で関東管領の就任式を行ったりしていたとの報告は受けていたのですけど、私には直接の関係が無い出来事だったものですので、『ふーん』この、ひと言で済まして聞き流していました。
関東なんて、出雲から見れば遠い国の出来事ですしね。前世の記憶がある私ですら、そう思ってしまうのですから、この時代の畿内から西国の人間だったら、なおさら関東は遠い外国みたいに感じるのかも知れませんね。
まあ、私は日本海を使って交易をしていますので、越後には多少の関心は持ってはいるのですがね。尼子で作っている火薬に使う硫黄の三割は直江津から船で運ばれて来るのですから、どうしても関心を払う必要があるのですよ。
太平洋側は、どうしても尾張ぐらいまでしか関心は寄せれないのですがね。頑張っても駿河まででしょうか? これは、人はそれぞれ住んでいる場所によって、目を向ける場所が違うからなのでしょうね。
距離の問題が壁として立ち塞がっているからなのか、奥州の人間が四国や九州に関心を示さないのと同じことだと思いますね。
しかし、上杉政虎は今年の終わりか遅くとも来年中には、今度は足利義輝から一字を拝領して、上杉輝虎に改名する予定でしたね。
一年も経たずに、輝虎と改名されるだなんて、一字を与えた上杉憲政さんが少し可哀想に思えてきちゃいますね。でも、関東管領と征夷大将軍とでは、後者のほうが偉いのですから仕方ないよね。
「直江津の商人の話では、去る九月十日に北信濃の善光寺平、川中島とも八幡原とも言われている土地で、上杉と武田、双方の大規模な軍勢同士が衝突したとの由にて」
わずか半月足らずで、北信濃からの情報を持ち帰るだなんて、鉢屋衆を筆頭に尼子の諜報機関は相変わらず良い仕事をしてくれますよね。今度、ボーナスでもあげましょうか。元手はタダ同然だから、私の懐も痛まないですしね。
「それで、どっちが勝ったの?」
「越後勢が、徳栄軒信玄の実弟である典厩信繁と重臣の諸角虎定を討ち取ったので、上杉の勝ちと言っておりましたが、」
「言ってましたが? 実際には違うということ?」
ふむ。史実と同じように、武田信玄の弟の武田信繁が戦死したのか。諸角ナントカさんは詳しくは知りませんね。私の前世の記憶では、武田の武将で諸角という人物がいたような気がしたなぁ。残念ながら、その程度の記憶しかありませんので。
でもまあ、諱に虎の字が付くのだから、武田信虎の時代からの老臣の一人だと推察は出来るのですが。
ちなみに、武田信繁の典厩とは、左馬頭と右馬頭の唐名であります。武田信繁が僭称していた官職は、左馬頭よりも下の官職である左馬助の気がしたのですけど違ったかな? 左馬助も典厩と呼んでも良いのでしょうかね? まあ、些細なことでしたか。
しかし、武田信繁が戦死したということは、妻女山に陣取っていた上杉軍を啄木鳥戦法で追い出すのを失敗したのでしょうから、信玄の軍師と目されている山本勘助も討ち死にしている可能性が高いですね。
「どうやら、武田も今回の戦を勝ったのは自分達だと吹聴しているようでして」
「つまり、痛み分け、引き分けが正しいみたいだね」
「そのようですな」
上杉謙信と武田信玄が戦を回避することは、ほぼ不可能だとは思ってはいましたが、やはり、川中島の合戦は発生してしまいましたか。戦の結果も史実と同じく引き分けみたいでしたね。
多少は不謹慎だとは思いますけど、今回の合戦で謙信と信玄のどっちかが死んでいたのなら、カオスな世界が見れたのにと思わなくもないのですが。そう甘くはなかったということか。
もっとも、もし、そうなったのならば私の知識も使えなくなってしまうので、この結果で良かったのかも知れませんね。私の想定の範囲外、イレギュラーな出来事が発生したら、その対処に余分な労力を割く破目になるのですから。
うーん、そう考えると、前世の記憶でこれから発生するであろう出来事を考えるのは、思わぬ所で足元を掬われる可能性があるのか。知識チートも技術系は役に立つから良いけど、歴史の記憶系は痛し痒しって気がしますね。
前世の記憶に引きずられ過ぎないように、気を引き締めて物事に取り組んだほうが無難ということなのかも知れません。でも、引きずられちゃう気がしますね。前世の記憶が便利すぎるのですよ。デメリットよりもメリットの方が大きすぎるのです。
まあ、今回の件は私も東国情勢には関与していませんので、史実と似たような戦が起こって、史実と似たような結果になるのも当たり前といえば、当たり前なのかも知れませんね。
武田は甲相駿の三国同盟がありますから、甲斐の南の駿河と東の相模と武蔵に勢力を拡大出来ませんので、必然的に切り取れる他国の領土は、北の北信濃と越後や西の美濃や飛騨に限られてしまうのです。あと、碓氷峠を越えて上野もありましたか。
私が信玄ならば、美濃一択なんですがね。でもこれは、私の頭の中に日本地図が入っているからこそ、進出経路を美濃に絞れるのかも知れませんよね。でも、信玄ならば信長が美濃を切り取る前に、サッサと美濃を切り取れたと思うのですがね。
謙信や上野の長野業正とキャッキャウフフとじゃれ合っているうちに、信長に美濃を取られてしまって、信玄自身の寿命も尽きてしまうのでしたね。そう考えると、私が知っている地図というのは、大きなアドバンテージなのだと改めて気付かされますね。
何故に信玄は、川中島に拘り続けたり、飛騨や越中、西上野などに侵攻したのでしょうかね? 美濃や尾張を切り取った方が、よっぽど割りが良い気がするのですけれども。謎ですよね?
しかし、史実の武田は、北アルプスの険しい山々を越えてまで遠征して、よく飛騨なんて山国を勢力範囲に治めたよなぁ。ある意味、感心しちゃいますよね。常識的に考えたら、飛騨は美濃か越中からしか入れない気がするのですがね。
冬になれば、飛騨と信濃の山越えは完全に出来なくなってしまいますやん。飛騨は陸の孤島やでぇ。そういえば、武田は最盛期には越中にも影響力を行使していたんだっけ? 信玄って、どんだけ山越えが好きなんだよ……
それとも、信玄は海が欲しかったのかな? 南の駿河の海は今川と同盟しているので取れないから、北の越後の海を取ろうと思ったのかも知れないですね。その事実に、信玄は後日、今川と手切れをして北条をも敵に回してまでして、駿河に侵攻しましたしね。
まあ、ただ単に、川中島の肥沃な平野が欲しかっただけなのかも知れませんが。こればかりは、信玄本人に聞いてみないと私の頭では分からないですね。まあ、武田信玄に会う機会はなさそうだとは思いますけど。
もしかしたら、直江津の港での交易関連で、謙信には会う機会があるのかも知れませんが。謙信と会って何がしたいとかは、今のところありませんが、上杉謙信が女性なのかどうか? それは確かめてみたいと少しだけ思っている自分がいるのですよ。
っと、思考が脱線していましたか。
「しかしこれで、長尾景虎の山内上杉家継承と関東管領就任からの、一連の流れの中での最後の大戦が終わったということだね」
「おひいさま、それはどういう事ですか?」
「姫様、某にも詳しく説明して下され」
うーん…… 春姉は論外としても、尼子家中では一二を争うほど頭の切れるはずの多胡爺でも理解が追い付かないかぁ。やはり、こういう謀略の類いを見破れるのは、チートジジイクラスの能力が備わった武将でないと難しいのでしょうかね。
我が尼子家は、謀略系の武将が少ないのがネックなんだよね。ノブヤボでいったら、私の曾爺ちゃんでもある尼子経久は、チートジジイとタメを張れるぐらいの能力はあったみたいですけど、曾爺ちゃん以降の武将で謀略が得意な武将が思い浮かばないのですよね。
私が見た限りにおいても、みんな朴訥な感じがする武将ばっかりなんだよなぁ。これでは、史実で毛利に滅ぼされるのも納得がいくというものであります。逆に滅んだから、ノブヤボ的には謀略が得意な武将がいなかったのかも知れませんがね。
あー、そういえば、尼子には宇喜多直家が加わっているのだから、尼子家中で謀略系の一番手は宇喜多直家でしたね。宇喜多直家は普段は備前に居るから、すっかり忘れてたよ。
だけど、宇喜多直家は備前の旗頭ですので、現状では備前から動かせないから、彼の頭脳も宝の持ち腐れなんだよなぁ…… でも、備前と出雲を頻繁に往復させるのも可愛そうな感じがして気が引けますし、悩ましいところですね。
それはそうと、
「この一連の流れは、恐らく全部が大樹の仕掛けた糸だと思うよ」
「なんと!?」
「公方様がですか?」
まあ、普通は驚くよね。逆に理解出来ていて驚かない人間の方が、頭が切れるということで要注意とも言えますしね。 足利義輝は腐っても鯛。京の都で三好や細川、おまけに朝廷とも日々暗闘に明け暮れているだけのことはあります。
さすがは、足利将軍家の棟梁ですよね。自前の武力を殆ど持っていないのは朝廷と同じだから、謀略の方面に才能が伸びるのも当然なのかも知れませんね。
「詳しい話は、富田のお城に戻ってからにしよっか」
「では、早速お城に戻りましょうか」
春姉のお勉強タイムになりそうな気がするのは、私だけでしょうかね?