102話 馬車と船
永禄4年(1561年)9月下旬 出雲 能義郡 古川村 出雲斎宮
トンテンカンテン
「斎宮もほぼ完成だね」
ほぼ完成しつつある出雲斎宮に来ている玉です。出雲斎宮を建てている古川村は富田から半里程度しか離れていない近所ですから、今日はお腹の大きな春姉も一緒です。もっとも、私が作らせた馬車に乗ってやって来たのですが。
春姉の出産は来月の下旬か再来月の上旬が出産予定のはずであります。ほぼ臨月ということですね。この時代では医療技術も未発達ですので、詳しい出産予定日までは分からないのは仕方ありませんよね。
でも、私が貰った神力が子宝安産だと、木花咲耶姫が夢の中で教えて下さいましたので、母子ともに無事に出産が出来るのは確実なのが安心材料ですよね。妊婦さんのお腹に私が手を当てて祈れば、それだけで安産で赤ちゃんを出産できるらしいのです。
もちろん、清潔な布や消毒も安産には必要ですので、欠かさず実行するつもりですがね。既に出雲では、出産時の手順がある程度マニュアル化されているのです。消毒のおかげで、数年前に比べたら産後の肥立ちが悪くて亡くなる女性も減っていますしね。
私の安産祈念と消毒が合わされば、もっと助かる命が増えるでしょうし、尼子領内の人口増加に拍車がかかりそうですよね。幸いにも、尼子領内は食料に余裕がありますので、口減らしに赤子を殺すなど無体な真似はする必要もありません。
七五三は、うん、まあ、そのなんだ。まだ必要悪といいますか、可哀想とか不憫とかの思いもありますけど、神様の元に戻ってもらうのもやむを得ないのですよね……
人権? なにそれ? そんな時代ですしね。でも、軽度で親が手放した子は、多少なりとも私が孤児院に引き取ってはいるのですがね。自閉症や発達障害の子供の中には、思いもよらない才能を持っている子もいるのですから。
そういう才能のありそうな子は、役に立てそうな方面で才能を伸ばしてもらいましょう。でも、重度な子は産まれた直後に個々の家庭で間引かれてしまうのでしょうね…… 南無三……
私も全部の命を救えるだなんて傲慢な考えではありませんし、現代の倫理観も持ち込みません。ですので、こればかりは、時代が下がるのを待つしか解決する方法はないのかも知れません。
なんか、湿っぽくなってしまいましたね…… ここは一つ、明るい話題を提供しなければいけませんね。
そう、馬車と南蛮船を作ったのです! まあ、既に杵築大社に行く時に乗っているのですから、目新しいモノではないのかも知れませんが。でも、一応は、おさらいといいますか、私自身が確認するのも踏まえて報告をば。
この時代には、ゴムがありませんので、馬車の車輪は木で出来ているのです。だから、乗り心地は余り良くはないのが難点なのですがね。一応は、サスペンションに板バネもどきは使っているのですけど、それでも精々トラックの荷台程度の乗り心地でしょうか?
この板バネを作るのが、また難儀したのですよ。私自身、板バネの詳しい構造なんか知りませんしね。平たくて細長い鉄の板を三枚か四枚重ねてあるのかな? とか、あーでもないこーでもないと職人連中と一緒になって試行錯誤して作ったのです。
板バネは衝撃を吸収する根元の部分に負荷が掛かりますので、試作一号車の馬車でテストしている時に、その負荷の掛かる部分からポキリと折れてしまったのです。ただ単に鉄を薄く伸ばした板では弱すぎたみたいでしたね。
それで、鉄の強度を高めたりして改良した板バネを付けたのが、いま出雲斎宮まで乗ってきた馬車なのであります。板バネもどきを付ける前に試作した馬車に比べたら、これでも雲泥の差ですので、これで良しと妥協しました。
馬車の中は特注の畳敷にしてある贅沢仕様ですし、人が歩く程度の速さでしたら振動もほとんど感じられませんので、これで十分だと思います。現時点では、これ以上の性能の馬車を望むのは酷というモノでしょうしね。
これ以上の性能の馬車は、今後の技術革新に期待しましょう。あとは、道に転がっている石を取り除いたりデコボコを少なくするなど、街道の整備で対応する予定にしています。街道の整備も為政者にとっては重要な仕事の一つですしね。
南蛮船は、南蛮船もどきですね。絵図だけ渡して船大工に丸投げしておいたら、なぜだか、マストが3本ある和洋折衷の船が出来上がっていたのですよ。大きさは、長さ17間とか言ってましたので、31m弱ぐらいでしょうか?
キャラック船みたいな形の船に、帆の他に艪が片側に24挺付いた、ヘンチクリンな船が完成していたのです。船大工にしてみれば、帆で風を受けて進むだけでは心許ないと感じて艪でも漕げるように造ったのでしょうから、これはこれで良かったのかもしれませんね。
無風で海上を漂う難破船みたいな真似など、誰もしたくはありませんよね?
排水量は200トンから250トンといったところでしょうかね? 千石船よりは積載量は少ないのかな? でも、排水量が200トンのうち6割が荷を積めるとして、700石から800石程度は積めそうな気はしますね。
うむ、この船を一度堺に回航して、ボンバーマンや今井宗久に見てもらいましょうかね。それで、日本近海で訓練をしてから、来年にはルソンやマカオなどと南蛮貿易か大陸貿易と洒落込みましょうか!
ちなみに、船の建造費は2500貫ぐらいでしたね。思っていたよりも安く上がったのかな? イマイチ分かりません。あ、船の建造費は2割増で請求させて頂きますので、よろしくお願いしますね!
しかし、満載時の排水量が200トンの船を48挺の艪で漕ぐだなんて、1艪あたり約4トンの負担とかになりますよね? これで、ちゃんと前に進むのでしょうかね? 不安になってきました……
ひいこらひいこら泣きながら水夫が艪を漕いでいるのを想像してしまったではありませんか。でも、あくまでも艪は何かあった時の補助で、メインは帆ということだから艪が少なくても良いのかな?
これからの時代は手漕ぎの船ではなくて、風を受けて走る帆船の時代だしね。筵の帆ではすぐボロボロになりそうだから、帆に使う木綿の生産を増やさなくてはいけませんね。
木綿は色々と応用が効いて付加価値も高い商品なのに、昨年まで放置していただなんて自分の頭を殴ってやりたい気分ですよ…… もっと早くから木綿の生産を開始しておけば良かったと後悔しています。
あと、日の本には石炭は豊富にあるのだから、石炭を燃料にした蒸気船も造ってみたいですよね! 蒸気を高圧にして動力を動かすって漠然とは解るのですけど、私のお頭ではその程度が限界ですので、残念ながら蒸気船は、まだまだ先になりそうですね。
うーむ、出雲斎宮の建築の進捗状況の視察に来たのに、私の頭の中は馬車と船で一杯になってしまったではありませんか。まあ、思考が脱線するのはいつも通りだから、これが私の平常運転ともいいますけれども。
「これで都から皇女が下向して来てくれたら良かったのですがね」
「まあ、それは高望みってヤツだよ」
主上も可愛い娘を近くに置いておきたいのが親心ってものでしょうしね。あと、出雲斎宮自体が私の官位の為に取って付けた役所でもありますし、朝廷も斎宮には力を入れてなかったのは歴史でも証明されていますしね。
あえて言葉を選ばないで言いますと、貧乏公家の娘の都合の良い捨て場とも言えますので、出雲斎宮が、おざなりになるのも致し方なしなのかも知れませんね。まあ、そのほうが、私も好き勝手に出来るので都合が良いのですがね。
斎宮が居なければ、斎宮勅別当の私が一番偉いのですから、私が杵築大社で習った流儀、出雲流の斎宮の神事祭事を創り上げて行きましょう。
もっとも、斎宮が途絶えて200年以上経っていますので、朝廷も斎宮の古式に則った儀式のやり方は既に失われて久しいのですから、朝廷に文句は言わせません。
しかし、斎宮、斎王じゃなくて、勅別当で良かったよ。斎宮だったら、生娘のまま過ごさなくてはならなかったしね。尼子家が衰退しちゃうところでしたよ。まあ、たとえ私が斎宮であったとしても、謹厳実直に斎宮のしきたりを守る必要も無いのですがね。
主上に近しい高名なお寺の門跡の人とかの真似をすれば良いのです。それならば、朝廷も何も言えないでしょうしね。
「大聖寺でしたっけ?」
「うん。日の本の尼寺で一番とかなんとか」
「尼寺に入れられるのも、それはそれで可哀想な気もしますよね」
「斎宮も似たようなモノだけどね」
女子の場合は還俗や退下して嫁に行くとか出来ますけど、家督の継げない次男以降の男子の場合は、寺が終の棲家になる場合が多いのであります。穀潰しの溜まり場が寺とも言えるのかも知れません。
これは、身分が高くて子沢山の家のほうが、より顕著だと思います。皇室も五摂家も将軍家からも、仏門に入る男子が沢山いますしね。なんと世知辛い世の中なのでしょうか。
でも、仏門に入った本人たちからしてみれば、住めば都なのかも知れませんが。お経を読むだけで、門跡とか高い身分も保証されていますしね。戒律を破って女犯をしても罰せられることもありませんしね。
この時代の大部分の寺が、やりたい放題しているのですから。そら、信長に比叡山を焼かれたり本願寺も潰されるわけだわ。生臭坊主の自業自得だから、同情なんてしませんけど。
「姫様、こちらにおられましたか」
「わざわざ多胡爺が自分で呼びに来るだなんて、何かあったの?」
「出雲には直接の関係はありませんが、越後と信濃との間で大戦があった模様です」
あー、そういえば、川中島の合戦って、このぐらいの時期だったかも知れませんね。
話が進んでないような…