100話 木花咲耶姫
永禄4年(1561年)5月 出雲 神門郡 常楽寺村 安子神社
『それにしても、お主は本当に安子神社に縁がある人間であったか』
「前世の私のご先祖様が、ここの出身だったと聞いております」
魂が惹かれ合うとか、そんな類いのことがあって、もしかしたら私は出雲に転生して、ここに辿り着く運命だったのかも知れませんね。
『そうであったか。これも運命というヤツなのかも知れんのぉ』
「神様よりも上の存在が居て、その存在に操られて転生した可能性もあり得るのかな?」
『うーむ、我等よりも上の存在のぉ…… 居るとしたら、それは創造神かの?』
「なんだか頭がこんがらがりそうですね」
神様の上の神様が居るとしたら、それは創造神以外にはあり得ないと思いますけど、それはそれで、なんだかもにょりますね。でも、宇宙を創造したのが神様で、宇宙や星々自体が神様の箱庭の可能性も否定出来ないんだよね。
それで、人間は地球に巣食う癌細胞とかなんとか、ニーチェだか偉い誰かが言ってましたけど、その言もこうやって考えてみれば、あながち間違えではないのかも知れないのが、なんともはや。
まあ、哲学なんぞ、暇人で空想癖がある人間の妄言と切って捨てたほうが、精神衛生上は良いのでしょうがね。
『それはともかく、杵築大社の巫女として活躍してくれたのは感謝するぞよ』
「こちらこそ神様の名は助かりましたので、ありがとうございました」
『信心深い巫女は神降ろしも出来るのじゃが、最近は神降ろしが出来る巫女が少なくて困っておったのじゃよ』
神降ろしが出来る巫女って、卑弥呼みたいな人でしょうかね? 私が卑弥呼と同じ存在と言われると、なんだか面映ゆいじゃありませんか。といいますか、昔の巫女は神降ろしを普通にやっていたのが驚きなんですけど。
でも、この時代に比べて、昔は神様が身近な存在だったのでしょうね。人の営みが進歩するにつれて、人々から神への畏敬の念と崇拝する心が消えて行ったのは、未来でも同じでしたしね。その代わりに、変な新興宗教が蔓延ってしまったけどさ。
科学技術が進歩した時代に、新たな宗教が生まれるのが私には理解出来ないのですが、宗教は金に成るとかいうアレですかね? おぉ怖っ!
話が逸れた。
「それはそうと、木花咲耶姫は、なんで私の前に現れたのですか?」
『富士山を抑えるためにも、暫らくの間は駿河に居続けなければならないのじゃ』
「富士山?」
富士山を抑えるって、噴火する予兆でもあるのかな? 私の記憶が正しければ富士山が噴火するのは、江戸時代の宝永年間だった気がするのだけど。宝永の年号が西暦の何年かまでは知らないけど、確か1700年代だったよな?
「富士山が噴火するのは、あと150年ぐらい後じゃないですか?」
『だからそれは、我が抑えて先延ばしにするから150年後になるのじゃ』
なるほど。神様の力で富士山の噴火を取り敢えず押さえ込むということでしたか。そういえば、木花咲耶姫は富士山信仰の浅間神社の主祭神でもあったのでしたね。だから、木花咲耶姫が富士山を鎮めるのは、神様の仕事の一つということですか。
それでも、木花咲耶姫が力尽くで押さえるのにも限界があって、その限界が150年ぐらいということなのか。しかしこれは、問題の先送りの気がしないでもありませんね。
「それって、自然の摂理におもっくそ逆らってませんかね?」
抑えないで、鹿児島の桜島みたいに適度に小噴火させてたほうが、大噴火にならずに被害を抑えれそうな気がするのですけど? なんせ、江戸時代の噴火は、宝永の大噴火と呼ばれていたはずですしね。大量の火山灰の所為で飢饉に見舞われたはずですし。
『なに、気にするでない』
「いや、気にしますがな」
『仕方あるまい。そうせいと、我の魂に刻み込まれているのじゃからのぉ』
「神様も不便なんですね」
神様でも、地球の大自然の息吹には敵わないみたいですね。まあ、地球があって人間が生存しているから神への信仰があって、神の存在価値も生まれるということなのかも知れませんね。なんか、私自身が哲学者になった気分だよ。
人間は考える葦である。とは、良く言ったモノだと思いますね。
『そうじゃの。神とて万能ではないのじゃよ』
「なるほど」
『お主の言う所の、魂のでぃーえぬえーというヤツじゃ』
魂に刻み込まれたDNAだなんて、犬がフリスビーを追い駆けるのや、猫が猫じゃらしに喰い付くのと一緒みたいで、神様の価値が一気に急降下まっしぐらじゃないですかやだー。
『お主、なんぞ失礼な事を考えとらせんか?』
「ソ、ソンナコトナイデスヨ……」
『まあよい。それで、お主を待っていたのは、我が駿河から暫らく離れられんから、お主に我の代わりを務めて貰おうと思うての』
「私が神様の代理ですか?」
我は、玉。ターマ・ヒサコ・アマーゴ。尼子出雲斎宮勅別当従五位上、源久子朝臣。神の巫女にて、地上での八百万の神々の代理人。我は信仰の守護者にて、日の本の代弁者。すなわち、神罰の地上代行者。
ぐふふふ…… うん、いいかも。神の代理も中二心的に悪くないですね。
『うむ。今までも散々神の名を騙ってきたのじゃから、その延長だと思えば良いのじゃ』
「拒否権は?」
『そんなモン、あると思うとるのかえ?』
「ですよねー」
傲岸不遜、天上天下唯我独尊。これぞまさしく、神様のあるべき姿ってヤツですよね。命令される方としてみれば、たまったモノではありませんけど。
『なに、我の力の一部を授けるのじゃから、心配は無用じゃ』
「は、はぁ……」
『お主は元々天穂日命の子孫でもあるのだから、素質に関しては申し分ないからの』
おー、神様直々に出雲国造衆は天穂日命の直系との、お墨付きを貰えたのは嬉しいことですね。
『ちと、屈んでくれぬか』
「これでよろしいでしょうか?」
『うむ。では、いくぞよ』
「こ、これは……?」
木花咲耶姫が私の頭に手を載せると、私の身体が眩い光に包まれたのでした。
『力の受け渡しじゃ。そういうことだから、あとはよろしくー!』
「あっ!? ちょっと待って!」
なにが、そういうことで、あとはよろしくだよ。まだ聞きたいことが沢山あったのに、いきなり消えやがって。神とは、斯様に理不尽な存在であったか……
幼女の姿でチビ巫女衣装の木花咲耶姫の姿が消えると、神域っぽい清らかだった聖域も無くなり、辺りには鳥の囀りと虫の鳴き声が戻ってきたのでした。
しかし、神の力でしたか? ここは一つ、神の力を試してみるのも一興ですね。
「ファイアボール」
しーん……
「魔法が出るわけないか……」
ファイアボールを撃てたら、それこそファンタジーの世界になっちゃいますし、魔法が使えないのは当たり前のことでしたか。でも、それだったら、神の力とはなんぞや? まあ、考えても埒が明かないから、暇な時にでも検証してみましょうかね。
こういう場合には、普通は親切に教えてから去って行くのが普通のはずだと思うのですが、木花咲耶姫は不親切でしたね。見た目が幼女だったから、中身も幼女化していたのかも知れませんね。
木花咲耶姫じゃなくて、ただの咲耶ちゃんだったみたいでしたね。
「玉姫、ふぁいあぼーるとは如何なるモノでございまするか?」
「法術みたいなモノだよ。使えなかったけどね」
「なるほど。某も安芸に居た頃は、法術を使えるようになる為に、一時期は鍛錬に嵌まりましたなぁ」
なんと、たろさも厨二病に罹患していたとは!? 既にこの時代にも厨二病があったとは、なんて業の深い病気なんでしょうか…… 厨二病は、恐ろしい病気だよ!
そういえば、何をしに安子神社まで来たんだっけ?




