ダブルサプライズ
「あれ? 今日は早いな部長」
「占いはさっさと終わらせてきた」
「そか」
一足先に部室に行っていた柳から声をかけられた。
相変わらず漫画を片手にゴロゴロしている。
そのやりとりで小岩井さんも俺に気付いてくれたのか、真っ黒な顔をこちらに向けてくれた。
「適当なこと言ってない?」
「言ってないつもり」
さて、今度は一体なにを考えての言葉なんだろうか。
《変なこと言って信頼失ってないよね? 外れたら色々言われそうだし。私は遅れて来て貰っても大丈夫だから、困ってる人とちゃんと向き合ってるのかな?》
「プライベートなことだからハッキリは言えないけど。まだ見えないっていうのかな? まだ片思いだから、がんばって気を引いてとしか言えないんだ」
ってことで頑張れ榊原さん。高谷君は現状バスケしか興味無いぞ。
「そ。それじゃこれ。メールの内容通り」
「お、ありがとう」
カバーのつけられた本が小岩井さんの鞄から取り出され、俺に手渡された。
タイミングはここしかないかな?
《良かった。ちゃんと渡せた。楽しみだなぁ。感想言い合うの。早瀬君の買った本は楽しめたのかな?》
それでも本を渡す前に、俺は小岩井さんの心の声を読んでいた。
何かの確信を得られたことで俺は短く息を吐くと、鞄を机の上に置いて中から本を一冊取り出した。
「はい。小岩井さん。俺からも」
「へ?」
本を手渡すと作戦通り小岩井さんの意識をそらすことに成功した。そのおかげで小首を傾げた無表情な顔が映った。
「実は俺も昨日の夜に読み終わっててさ。面白かったよ。すすめてくれてありがとう」
「そう。昨日は暇だったの?」
頬を少し紅く染めた小岩井さんが本を受け取り、始めのページを開く。
ただ、言葉尻は相変わらず冷たい。
《すごい偶然。あ、でも、私が早く読み終わったってメール出したから、早瀬君も無理して読んだとかないよね? ちゃんと時間に余裕があったからだよね。宿題ちゃんとやってたみたいだし、寝不足じゃないみたいだし》
こんな気遣いを暇だったの? に変換する過程を是非教えて欲しいよ。
下手したら嫌味に聞こえるかもしれないんだから。
「課題も少なかったしね。ちょうど小岩井さんがメールくれた時にほぼ終わりだったんだよ」
「そう。私も暇だった。……同じだね」
「そうだね。俺も早速読ませてもらうよ」
「うん」
小岩井さんは本に視線を落としたまま、顔をこちらに向けずに頷いた。
でも、表情はずっと晴れている。
本のおかげなのか、俺との会話にも慣れてきてくれたのか。
後者だったらすごく嬉しいと思いつつも、本の文章が顔に浮かび上がっているあたり前者なんだろうなぁ。
そんな少し残念な気持ちを抱きながら、小岩井さんの隣の席に座って俺も本を開いた。
ただ静かに時間が過ぎていく。
本をめくる乾いた音と、小さな小岩井さんの吐息が近くに感じられる。
今は安心して本を読めているのだろうか?
そこが気になって振り向いてみたくなるが、この静寂を壊して小岩井さんの心に動揺を与えるのも嫌だ。
完全に寝ている柳を起こすのも、かわいそうだし。
また、宿題をやらずに自習を遅くまでやっていたのだろう。
わざと他人の期待値を下げるために。
首を突っ込んではいけないと知りつつ、部室で熟睡する柳を見る度に俺は何故か悲しい気持ちにさせられている。
だから、ここにいる時間はゆっくりさせてあげたいと思う。
三人はそれぞれ無言のまま、日差しが段々と紅くなり、部屋が薄暗く変化していく。
「あ……寝てたか。優と小岩井さんはまだいたんだな」
「あぁ、ずっと本読んでいたから。ってそろそろ六時か」
寝ぼけた柳の声で俺もハッとして時計を確認した。
まだ本は読み終わっていないが、そろそろ帰る仕度をしても良い時間帯だ。
「帰る?」
「そうだね。そろそろ戸締まりをしておこう」
「そう」
小岩井さんは残念そうに本をしまい込んだ。小岩井さんもまだ途中だったらしく、顔には明らかな不満が漏れ出ていた。
「なぁ、二人とも今週の土曜日暇か?」
俺も鞄に物をしまっていると、棚に漫画を差し込んでいた柳が声をかけてきた。
「空いてるけど」
「空いてる」
俺と小岩井さんの声が被る。小岩井さんも特に用事は無いらしい。
柳は俺達の返事を聞いて、そっかと小さく呟くと腕を組みながらこちらにむき直した。
「土曜日の十二時くらいにさ。みんなで遊びにいかないか? ちょうど見たい映画があるんだよね」
あまりに唐突な提案に俺は一瞬眉をしかめたけど、すぐに小岩井さんの顔を見た。
《映画かー。たまには良いかな? 予定もないし。でも、何を見るんだろ?》
嫌がっている様子はない。
この様子だと小岩井さんも一緒に行けるかもしれない。
「おっけー。土曜日の十二時ね。小岩井さんも一緒に行こうよ」
「ん。行く」
俺達の返事に柳は満足そうに頷いた。
二人きりで遊びに行くとか誘えないし、ここは素直に柳に感謝しよう。
そう思った時、扉が叩かれる音がした。
「亮太君いるー?」
斉藤さんが扉をノックしている。柳と一緒に帰る約束でもしていたのだろうか。
「薫か? 入ってこいよ」
「お邪魔します」
斉藤さんの毛先が少し濡れている。顔でも洗ってきたのだろうか。
柳は斉藤さんが来ても相変わらず寝ぼけた表情をしている。
「薫は土曜日の午後暇?」
「何よ藪から棒に?」
「映画見にいこう」
「え? あ、うん。いいよ」
柳の最初の一言で嫌な予感はした。柳はあっさりと斉藤さんをデートに誘い、斉藤さんも戸惑いつつも承認している。
突然のサプライズに斉藤さんは顔を真っ赤にして、視線を足下に向けて泳がせている。
《え? なに? どうしたの? あ、でも付き合ってるんだし、別に変じゃないよね? 最近お互いに忙しかったし、久しぶりに二人きりに》
その顔から心を読んだ俺の悪い予感は、膨れあがるばかりだ。
「柳」
「よっしゃ。これで四人だな」
俺が止める前に言っちゃったか。
斉藤さんが目を点にして固まってるよ。
俺は手を頭にあてて崩れ落ちるのを必死に耐えた。
「亮太君……確認するよ?」
斉藤さんが動き出したと思ったら、頬が引きつっている。心を読まなくとも怒っているのが分かる。
《ちょっとどういうことよ亮太君!? 期待した私がバカだったって言うの?》
「四人って私と誰かしら?」
うん。心の声を読んでも怒っているのが良く分かった。
「ここにいる四人だけど?」
「ですよねー……やっぱそうですよねー……」
「薫。ちょっと良いか?」
「はいはい。亮太君はそういう人ですもんねー」
完全に拗ねてしまった斉藤さんの手を柳が引っ張って、部屋の外に出て行く。
取り残されてしまった俺と小岩井さんは顔を見合わせた。
「ねぇ、早瀬君」
「多分ね。同じこと考えてると思うんだ」
「そう」
「気まずいよなぁ……」
「ん……」
頷く小岩井さんの顔にも気まずいから行かない方が良いか。と浮かび上がっていて、悩んでいるのが良く分かる。
「遊びには行きたかった?」
「……別に」
別にと言ってはいるけど、悩んだということはちょっと楽しみにしていたはずだ。
《映画はちょっと見に行きたかったな。こっちで出来た友達と初めて遊びに行けると思ったし》
「ねぇ、小岩井さん。柳が行けなくなっても一緒にいかない?」
「へ?」
俺の提案に小岩井さんが聞き返してきた。二度目を言う勇気が出ない。
だから、もう一度言うために小岩井さんの心を読もうとした。
《え? 今、誘われたの? ど、どうしよう!? 二人ってことはデートだよね!? 良いのかな!? あ、でも昨日も一緒に本屋行ったし……》
この反応は大丈夫なのか? それともダメなのか? でも、小岩井さんの言うとおり昨日は大丈夫だったんだ。
「えっと、柳が行けなくなっても」
「ってことで、一時に駅前集合な」
勇気を出して言い直そうとしたら、柳が勢いよく入ってきた。
しかも既に決定事項にされている。
「小岩井さんも早瀬君も気を遣わなくて良いからね。小岩井さんとも仲良くなりたいし、一緒に行こうよ」
柳に遅れて斉藤さんもお誘いの言葉をかけてくれた。
さっきまでの憤りはどこへ行ったのやら。といった感じで斉藤さんはニコニコしていた。
同じ事を小岩井さんも思ったみたいで、臆面も無く尋ねた。
「斉藤さん。柳君の彼女は大変だね」
「あはは……うん、もう慣れたよ」
斉藤さんの諦め笑いに釣られて俺も笑っていた。
柳のやつ人の勇気を台無しにしやがって。
「そういえば優が何か言おうとしてたけど、なんて言おうとしたんだ?」
「っ!?」
今ここで掘り返すのか!?
驚いて変な声が出てしまったせいで、余計疑われてしまう。
「何動揺してんだよ? あー、俺が行かなかったら二人きりでデートでもしようと思ったか?」
この野郎言いやがった!? そこは気を利かせて誤魔化せよ!
小岩井さんが何を考えているのか。見るのがすごく怖い。
「うん。斉藤さんに悪いから、二人だけで行く? って聞いてくれた」
小岩井さんっ!? その平坦な声の裏にはどんな心の声が隠れているんですか!?
恥じらいが感じられない平坦な声に、俺は背筋に寒気が走った。
恐る恐る顔を小岩井さんの方に向ける。
「嬉しかったよ? 誘ってくれて」
「え、あ、どう……いたしまして」
ストレートな好意的な言葉に、俺の頭は固まった。
どういうことだ? あの小岩井さんがストレートに感情を表現した?
《早瀬君、これで恥ずかしい想いをしなくて良いかな? ちょっと恥ずかしいけど……》
《え? マジ? 俺めっちゃ邪魔した?》
小岩井さんの気遣いのおかげで、柳は申し訳無さそうにしている。
すごいな小岩井さん、自分の恥すら飲み込むんだ。
「ありがとう小岩井さん」
「別に」
クールに返す所まで、お礼を言わざるをえない格好良さだよ。
「それじゃダブルデートだね。小岩井さん、土曜日はよろしくね」
「ん。よろしく」
斉藤さんの言葉をあっさり受け入れているように見える小岩井さんに、俺は少し不安を感じた。
大丈夫か? さっきも俺を気遣ってあんなこと言ってくれたし、柳の顔を潰さないように頷いているだけなんじゃないか?
《どうしよう。大変なことになってきちゃった》
心を読んでみたらやっぱり困っていた。
「小岩井さん無理してない?」
「ん? なんで?」
「あ、いや。何となくそう思っただけというか」
落ち着け。落ち着いて心を読み取るんだ。
《早瀬君には不安なのがばれちゃったかな? でも、きっとこれが変われるチャンスだと思うから、がんばらないと》
小岩井さんは頑張ってるよ。だから、それ以上自分を追い詰めないで欲しいのに。
でも、友達が欲しいと思っているのなら、止めるわけにもいかない。せっかく誘われているんだし。
《早瀬君が一緒にいてくれるなら……きっと上手くお喋りできるから》
それにこんな心の言葉を見てしまったら、行くな。なんて言える訳がなかった。
「ん? 早瀬君。顔が赤い」
大丈夫かな? と心配してくれる文字だけを顔に浮かべて、小岩井さんは俺の顔を無表情でのぞき込んでくる。
「え? そ、そうかな?」
「うん。メールとかいらないから、早く寝てね」
こんな言葉でも俺を心配しているらしい。
本当にこの力があって良かった。上っ面じゃない本当に信じられているような感覚がする。
それが見えるから、俺は素直な気持ちでこう言える。
「ありがとう」