君にまた会いたくなった
「人の心が分かったら、お喋りって簡単なのかな?」
小岩井さんが一体何を思ってそう尋ねてきたのか。
俺は悩む振りをして彼女の顔に浮かぶ文字を追いかけた。
《他人がどう思うか分からない私の心も分かってくれるかな? いっつも私は怖くて選べないんだ》
心を直接覗けることで嫌なことも多かった。
でも、どうしてだろう。俺は今、小岩井さんの心が読めて良かったと思っている。
「そうかもしれないし。そうじゃないかも知れない」
「そうなの?」
「例えばそうだなー……」
彼女が欲しい言葉を見つけ出そう。色々考えすぎてしまって、一歩を踏み出せない彼女のためになる言葉が良いだろう。
心が見える俺だから言えることを言うんだ。
「話しかけたら、顔はにこやかでも心の中では凄い拒否されるかもしれないし。それが分かったらそれ以上は話しかけられないんじゃないかな?」
「そう……だね」
「だから、勇気を持って話しかけるしかないんじゃないかな」
「そっか」
小岩井さんはやはりそっけなく返してきた。
《やっぱ私がダメなのかなぁ》
「でも逆に相手から話しかけられ時は便利そうだよね。何をして欲しいのか分かるし、嫌なことは上手く逃げられるし」
言い争うこともなく、相手を傷つけずに穏便に済ませる。そうやって俺は生きてきた。
それが残念ながら柳に捕まって、占い師なんてやらされている訳だけど。
「早瀬君ってさ」
「うん?」
「まるで体験したみたいに言うんだね」
小岩井さんの言葉がちくりと心に刺さった。
「これでも占い師だからね。後、そういうテーマの小説も多いから」
その言葉で逃げるように俺は目を反らした。
「柳君の言った通り、星座占いより当たってそうだね」
「分からないことも多いけどね。直感みたいなものだから」
「羨ましい」
本心かどうか分からないその言葉を、真っ直ぐ言われて俺は胸が苦しくなった。
さっき逃げた時と同じだ。
自分の捨てたい力を欲しがられて、俺は動揺している。
この力を実は捨てたくないのか。それとも、小岩井さんに自分と同じ目になって欲しくないのか。
そのどちらかは自分でもまだ分からなかった。
「まぁ、そんな直感を持っててもさ。未来は見えないんだ。だから、実はすげー勇気出してお願いしたよ。文芸部員なのにラノベ買うの? ってバカにされないかってさ」
「そうなんだ」
「うん、そういう物だと思う」
だから、俺は小岩井さんがこの力を諦められるように嘘をついた。勇気を持って誘ったなんて嘘だ。色々と見えて知っていたから、確信をもって話しかけられただけだ。
「早瀬君変わり者って言われない?」
「まぁ……占い師なんてやってる時点で」
「うん。お人好しの変わり者」
俺の愚痴を遮るように、少し嬉しそうな小岩井さんの声が聞こえた。
「柳にも同じことを言われてるよ」
「そっか」
「そうなんだよなぁ。っと、危ね。通り過ぎるところだった。ここが学校の帰り道にある本屋」
小岩井との会話と心を読むことに夢中で、三階建ての本屋の横を通り過ぎかけていた。
「一階と二階が本で三階がゲーム売り場になってるんだ。漫画とかラノベは二階にある」
ゲームソフト高価買い取りと張られた階段を上り、出版社ごとに本が詰められた棚の前に立つ。
平積みにされている新刊にも小岩井さんは目を通していた。
「えーっと、オススメ……オススメ」
《早瀬君はファンタジーとかバトルが好きなんだよね。私はどっちかっていうと青春系とか恋愛系が好きなんだけど》
ぶつぶつ呟いていた横顔から小岩井さんの心を読み取った。
そうか。小岩井さんの好きなのは青春系なのか。
「えっと、バトル系じゃなくても青春系とか恋愛物とかも読むから、小岩井さんが好きな物を薦めてくれると嬉しい」
「え? それなら……うーん」
本を前にして真剣に悩んでいる彼女の頭の中に、色々なタイトルが浮かび上がっていく。
少し時間がかかりそうだなと思った俺も、新刊の方に目を移した。
その中から青春系っぽい物を選びとり、手に取った本を小岩井さんに向けた。
「ねぇ、小岩井さん。これ読んだことある?」
制服姿の可愛らしい女の子がヒマワリ畑に立っている表紙絵を見つけ、何となく青春系だと思ったのだ。それに最後の一冊だったし、人気な作品なのだろう。
きっと話題にしやすいはずだ。
「あ、えっと、前に恋愛物を書いた人だ。私はまだ読んでないけど、すごく雰囲気が良いよ」
「そうなんだ。あ、小岩井さんの手に持ってる奴。俺も買おうかなと思ってた奴だ」
「え? そうなの? 残り一冊だったからたまたま手に取ったんだけど」
小岩井さんが手に持っていて本は、少年と少女が剣と銃を構えている表紙だった。
「評価も良くて買おうと思ったんだけど、売り切れててさ。そっか。入荷したんだ」
お互いに欲しい物が相手の手の中にある。そうなると、持っている物を交換すれば良い訳なのだが、それでは当初の目的は達成されない。
「早瀬君、どうする?」
もともとお互いの趣味を認め合って仲良くなろうと思っていたのだから。
だから、俺は必死で小岩井さんの心を読んだ。
《どうしよう……。私も早瀬君の持った本を読みたいんだけど。オススメしたやつを私が買っても良いのかな? あ、でも、せっかくだからこの本も読んでみたいけど、どっちも最後の一冊だし》
「ねぇ、小岩井さん。もし良かったらなんだけどさ」
すごく恥ずかしいことを言うと自覚はあるけど、今なら確信を持って言える。
ずるいと思いつつも、柳の言う通りこの力は便利だ。いや、便利すぎる。
もし、小岩井さんの心が読めなかったら、絶対こんなことは言えない。
「今持ってる本をお互いが買ってさ。一週間後に交換するっていうのはどうかな? そうすれば、お互いのオススメ本を読めるし、自分の好きな本も読める。お互いの趣味が分かるし。どうかな?」
小岩井さんは少しの間、考える素振りを見せるとゆっくり大きく頷いた。
「うん。分かった。それで良い。つまらなかったらすぐ渡す」
《早瀬君、早く読みたそうにしてたし。あ、でも、早く渡したら今から買う本を読む時間なくなっちゃうかな? あ! しかもまた変な言い方してた。面白かったらすぐ読み終えるし、つまらなくて読み進めるのが遅くなったらいつまで経っても渡せないと思ったんだけど、こんな言い方したら怒られるかな?》
小岩井さんの気の使い方だけ見れば、小岩井さんの方がよっぽど変わり者だ。
俺は小さく笑うと、しっかり頷いてあげた。
「面白かったらすぐ読めるしね。趣味に合わなくて読み進めるのに時間がかかっても、ゆっくり読んでもらっても構わないよ。あ、もちろん、ちゃんと読め。って訳じゃないぞ。つまらないならそれはそれで貸してくれると助かる。ほら、つまらない理由をお互いに考えるのも文芸部として悪くない活動だろ?」
「そ。ありがと」
小岩井さんの小さな感謝の言葉を最大限の肯定だと受け取った。
《私の考えてることをちゃんと分かってくれた。早瀬君は怒らないんだ……優しいな》
「どういたしまして」
「会計を早く済ませましょう」
「だな」
俺達はそれぞれ会計を済ませると、本を鞄にしまい込んだ。
これで小岩井さんの誤解は解けたはずだ。俺は決して小岩井さんをバカにしていないと伝わった。
だが、それでも小岩井さんの顔は黒いままだ。
「もう私に用はない?」
それにかけられる言葉は変わらず愛想がない。でも、そこから心を読むのも慣れてきた。
《もうちょっと試してみたいなぁ。他のことを話しても分かってくれるのかな? でも、いつまでも一緒にいてもらったら迷惑だよね。早く帰って本を読みたいだろうし。私にこれ以上用事なんて無いだろうし》
「どこか寄りたい所ある?」
「ふぇっ!?」
意識の間隙を突くように、俺は小岩井さんに声をかけた。
思考が全部吹き飛ぶほど驚いて、俺の顔をジッと見つめてきている。
頬はほんのり紅く染まっていて、口までぽっかり開いていた。
驚いたらこんな顔をするんだ。ちょっと間抜けな感じがするんだな。
「ついでに色々案内するよ。どこか寄りたい所ある?」
「良いの?」
「乗りかかった船だ。本を選んでくれたお礼に、最後まで付き合うよ」
《何処に行ったら早瀬君と行きやすいかな? カラオケは行ったこと無いし……。喫茶店? うーん、でもいきなり二人きりで喫茶店に入ってもお喋り出来ないかもしれないし。あ、スーパーで晩ご飯の材料買わないといけないんだ。でも早瀬君を付き合わせる訳のは申し訳ないし》
一つのことを聞いただけで、こんなにも沢山のことを考えてくれる。
「鞄片手に荷物運び出来る?」
でも、肩肘はって色々考えて出た言葉がこれだ。
何も知らなかったら怒るような返事だよな?
付き合うと言ったら荷物運びに任命されていた。しかも、上から目線で挑発的なんだ。
《鞄も教科書入って重いだろうし、晩ご飯の買い物に付き合わせる訳にはいかないよね。断ってくれないかな? そうすれば、迷惑かけずに今日は帰れるし》
心の中ではこんなことを考えている。気遣いしているせいで、人を怒らせることを言うなんてな。
俺が呆れてため息をつくと、黒い霧の向こうからもため息が聞こえた。
「あ、ごめん。ちょっとメールが来た」
俺はそういって携帯を取り出し、メールの操作を小岩井さんに見られないようにおこなった。
「母さんが帰りにカレールウ買ってこいってさ。スーパーに寄りたいんだけど」
「え? いいの? 実は私も晩ご飯の買い物がしたくてスーパー行きたかった。すごい偶然」
小岩井さんの表情をまた見ることが出来た。それが何か楽しくて段々癖になってきた気がする。
もちろんメールが来たというのは嘘だ。小岩井さんが罪悪感を抱かずにスーパーに行くためには、何らかの理由が必要だったと思ったんだ。
「あ、でも家はどこにあるの? 荷物増えて大変じゃない?」
「駅前のマンション」
「ちょうど良かったかな。駅の近くにスーパーがあるから。そこにしようか」
俺も電車に乗って帰るし、本当にちょうど良い。
ちょうど繋がりで俺は手にした携帯のアドレスを表示した。
「アドレス教えて貰っても良い? 文芸部で連絡することもあるし」
「あ、なるほど。良いよ」
小岩井さんも飾り気の無い携帯を取り出して、俺のアドレスと電話番号を打ち込み始めた。
《ビックリしたなぁ。でも、連絡用か。そうだよね。ちょっと舞い上がり過ぎたかも。落ち着け私。この人は同じ部員だから連絡先を見せただけだよね。メールとかしたら困るかな?》
「もちろん、いつでもメールしてくれて構わないから。慣れてないことも多いだろうしね。気楽に聞いてくれ」
「あ、うん。分かった。困った事があったら聞く」
小岩井さんは頷くと携帯をしまい込んで、前を向いた。
その横顔を俺は目を反らさず見つめる。
《良かった。今日帰ったらメール出してみようかな? なんて書こうかな? あ、やっぱり今日はありがとうございましたかな? ん?》
あ、気付かれた。
でも嫌われてはいないみたいだし、少しワガママを言っても大丈夫かな?
「何?」
「えっと、その……俺からもメールは出して良いのかな?」
「いいよ」
あっけなくOKが出て俺は短く息を吐いた。
心が分かっているとは言え、やっぱり少し緊張した。
「早く行こう」
まるで何でもないと言ったような雰囲気で、小岩井さんが呟く。
大丈夫だ。俺はきっと彼女と上手くやれる。
だって、俺には人の心を読む目がある。
柳が言った通り、この目はもしかすると凄く便利なのかもしれないな。
「だな。こっちだよ」
やりきった気分で小岩井さんの一歩前を進む。
小岩井さんの心を読みながら、他愛のない話をする帰り道を俺はゆっくり楽しんだ。
スーパーで買い物を済ませた後、小岩井さんは白いビニール袋と学校の鞄で両手が塞がっていた。
「荷物持とうか? 俺はルーだけだったし」
「大丈夫。ここからなら家近いし。手伝いはいらないよ」
今度は何を考えているんだろう? 単純に遠慮しているのかな?
それとも、俺が怖がられているのかな?
《早瀬君は優しい人だけど……。まだ早瀬君のこと全然知らないし……。まだ家に呼ぶのは怖いな。でも、これで今日はお別れなんだよね。もうちょっとお話しても良かったかな》
「そっか。なら気を付けてね。んじゃ、俺はこのへんで。また明日学校で」
荷物持ちを申し出たが、家に来られるのは怖いという心を読んで止めた。
自分の善意を押しつけるつもりはない。
善意を受け取って貰えないだけでなく、拒否されるのはとても辛いから。
俺は自分が傷つく前に逃げた。
「さよなら」
《メールでならもっとちゃんとお話出来るかな……? 考えてたこと全部、うまく言葉に出来るかな?》
事務的な挨拶の影に隠れた小岩井さんの心の声にもしっかり触れる。
その気遣いを少しでも外に出してくれれば、みんなに心配されたり、怖がられたりしないのに。
ったく、だから、放っておけないだろうが。
俺は小岩井さんに背を向けると、携帯を取り出した。
登録したての小岩井さんのアドレスを見つけ出し、急いで文章を打ち込んでいく。
そして、俺は迷わず送信ボタンを押した。
数秒遅れて後ろから着信音が聞こえたのを確認して、俺は振り向いた。
小岩井さんが真っ黒な顔を傾げたので、俺も携帯を取り出して電源をつけるようにボタンに指をさす。
小岩井さんの表情は見えないし、心の文字は遠くて分からないけど、小岩井さんはきっと驚いたのだろう。
小岩井さんの顔は携帯と俺の顔を何度も交互に行き来していた。
その反応に何だか照れくさくなって、俺は恥ずかしさを消すために作り笑いで頬をかいた。
《えっと! えっと! えっと!》
小岩井さんの心の声が一つに集まっていく。そこまで動揺されるとはさすがに俺も思っていなかった。
「あ、あの小岩井さん?」
「待って。何も言わないで」
俺の戸惑いの声を、小岩井さんは手の平を前に突きだし遮った。
そして、髪をなびかせながら後ろへ振り向くと、小走りで曲がり角へと逃げていった。
逃げられた!?
さすがにこれは予想外だった。
ちょっと待て。俺はそんなに変な内容を送ってないはずだ。もっとちゃんと心を読んでから送れば良かったか?
今から追いかけたら怖がるだろうし、心も読めないでどうすれば良い。
「ん? メール? 小岩井さんから?」
手元の携帯が震えてメールが来たことを知らせている。
そのメールをすぐに開いて俺は動揺が収まった。
《これからよろしくお願いします》
メールになると心の声と同じで、言葉遣いが丁寧になるのか。
それにしてもと思う。俺もこれからよろしく。としか書いていないのだから、逃げなくても良いのに。
でも、これでお互いにメールをしても良いというサインは出せたはずだ。
その期待通り、曲がり角から身体を出した小岩井さんが笑顔で手を振ってくれている。
柔らかい笑みはほのかな赤で染められている。
この光景を写真に切り取って見つめていたい。
あぁ、何も考えずに笑ってくれると、あんな素敵な笑顔が見られるんだ。
だけど、その表情は彼女が振り向くことで見えなくなった。
ほんの数秒の出来事だったけど、小岩井さんの笑顔が脳裏に焼き付いて離れない。
「また明日か」
その言葉を噛み締めて俺も帰路につく。
明日はどんな顔を見せてくれるのか。それが楽しみで楽しみで仕方がなかった。