君の心を覗く
「いつまで廊下を眺めてるんだ? 優」
「へ?」
「いや、小岩井が帰ってから十秒以上そうやって固まってたらな?」
「俺そんなに固まってた?」
柳に言われて驚いた俺は、何故か恥ずかしさを誤魔化すために頬をかいた。
「何か見えたのか?」
「逆に見えないから困ってる」
嘘はついていない。いつもの勝手と違いすぎて困惑しているのは本当だ。
「優にも分からないことあるんだな」
「俺は見えたことしか分からないからな。別に未来が見える訳じゃない」
「なら物の試しに占って欲しいんだが、この鍵って小岩井のか?」
柳は椅子から立ち上がると机の影に隠れた。
すると、鍵がぶつかり合う音がして、柳がウサギのキーホルダーがついた鍵束片手に起き上がった。
「優のじゃないよな?」
「……占うまでもなく、小岩井さんのだろ」
「戸締まりは任された」
心の声を見ずとも、知っていたと柳の顔が言っている。
「柳が行く気は全く無いんだな。はぁ、仕方無い」
柳から鍵を受け取った俺は、諦めてため息をついた。
《走って追いかけたら校門辺りで追いつくかな? 今のところ優が一番小岩井さんと話せていたし適任だろ》
全く、余計なお世話を考えているな? 柳の方がよっぽどお人好しじゃないか。
よくよく考えてみれば、柳の計画に乗っかった方が後で色々気楽だ。
隣にいる小岩井さんに敵意を向けられてしまったら、俺の目と心が安らぐ時間がなくなってしまう。
毎日胃が痛い思いをするぐらいなら、今ここで小岩井さんと話をして、問題を解決してしまう方が楽だろう。
俺はとにかく自分が行かなければならない理由を並び立て、強引に自分が行かなくてはならないと自分を納得させた。
「行ってくる。戸締まり頼むよ。またな」
「ん。また明日」
鞄片手に部室からゆっくり歩いて廊下に出る。
落ち着いた足取りでいつものように廊下を進んだ俺は、階段の踊り場で後ろを振り向いた。
柳は追いかけて来ていない。
今からなら大丈夫だろう。
階段を駆け足で三階から一階に一気に降りた。
そこから息を整えることもせず、下駄箱に向かって全力で廊下を走り抜く。
下駄箱で息を切らしながら靴を交換すると、俺は校門に向かってまた全力で走り始めた。
だが、校門についても小岩井さんの姿は見当たらなかった。
俺は何で必死に走ってきたんだろうな……?
普段全力で走ったりしないせいで、息が完全に上がっていた。
ひざに手をつき、肩で息をしながら呼吸を整える。
「すれ違ってないよな……見間違える訳ないし」
顔が黒くて見えない女子は小岩井さん一人しかいない。
廊下ですれ違えば確実に気がつくはずだ。
「もしかして自転車?」
小岩井さんが自転車に乗って下校しているのなら、追いつけなかったのも無理はない。
仕方無い。小岩井さんが鍵をなくしていることに気付いて、戻ってくるまで部室に残るか。遅くなるようだったら先生に事情を説明して鍵を預けよう。
徒労感に襲われて回れ右をしたら、驚きすぎて変な声が出た。
「早瀬……君?」
「っ!?」
振り向いた瞬間黒塗りののっぺらぼうが現れるとか、どこのホラー番組だ。
思わず飛び上がったよ。
「何で驚いたの?」
渦巻く文字のせいで表情は見えないし、声の調子も淡々としている。
だが、考えてみれば俺は今、すごく失礼なことをしたのではないだろうか?
何とか目を凝らして彼女の意識をすくい取る。
《どうしよう……私何かしたかな? すごくびっくりしてるし、汗かいてるし、どうしたんだろう? って、あー……どうしよう……なんかすごい怖い目で睨んできてる。なんて謝れば良いのかな? こういう時はえっと――》
その文字を見た時、俺はうたた寝している中、ハッと意識を取り戻したような感覚に襲われた。
こうやって誤解されないための力だろ。もうあの時の失敗はしない。
「あぁ、ごめん。小説みたいな展開でちょっと驚いてさ?」
「へ?」
俺の誤魔化しに、小岩井さんが出した声と心の声が完全に一致する。
きょとんとした表情も、無防備でとても愛嬌のある顔をしていた。
「ほら。よく人を探しに行くとさ全然見つからないってシーンが良くあるでしょ? でも、大概もうダメだ。見つからない。ってなったらポッと出てくるような。そんな感じだった」
「あー、うん、私もよく使う演出だ。って、私を探してたの?」
小岩井さんが確認するように尋ねてくると、彼女の顔がまた曇った。
《なんだろう? 何で探されていたんだろう? あ、やっぱりさっき部室を出るときにぶっきらぼうすぎたかな》
違う。そうじゃないんだ。お願いだから、そうやって自分を責めないでくれ。
昔の自分を思い出すから。
「鍵落とさなかった?」
「鍵? あ、あれ? 鍵がない!? 教室の時はあったし、となると部室か職員室?」
慌てて鍵を探し始めた小岩井の顔がまた晴れた。
本に集中している間と、驚いて思考がパニックになっている時は、一つのことしか考えられないからだろう。
小岩井さんはぶっきらぼうなんかじゃなくて、考えすぎて言葉がうまく出ない子なんだ。
「落ち着いて。部室の床に鍵が落ちていたから、届けたかったんだよ」
鍵を見せて手渡すと、小岩井さんは小声で何かぶつぶつと口走った。
何を言ったか聞き取ることは出来なかったが、俺の目にはしっかり彼女の心が映っていた。
《ありがとう》
「どういたしまして」
このまま別れの挨拶をして帰ればいい。
これ以上関わったら俺は気疲れで倒れる気がする。
《あ……そう言えばさっきの話まだ覚えてるのかな? ラノベとか漫画好きって、もうばれちゃってるよね。早瀬君も読むって言ってたけど、やっぱり文芸部だし固い本が好きなのかな》
ただ、目の前で俺が絡む心の声が止めどなく溢れているせいで放置する訳にもいかなkった。
ちょうど新刊が発売する日だし、この誤解を解くのに最適なことをすれば良い。
彼女は自分の趣味がばれたことに対して焦っている。その上、俺が軽蔑しているのではないかとあらぬ誤解まで生んでいた。
なら全ての不安を解消する手段は簡単だ。
「帰りに本屋に寄るつもりなんだけど、一緒に行かないか? まだ街になれてないだろうし。やっぱり本屋の場所くらいは抑えた方が良いと思って」
それらしい理由を言っても、ほぼ初対面の異性に突然誘われたら誰だって不安になる。
《怖い。何考えているか分からない。信じて良いの? 何で? 本当に親切心なの?》
黒い顔に映る断片的な文字を拾っただけでも、酷く怯えられていることが分かる。
だから早く帰れば良かったんだと思いながらも、俺は精一杯の作り笑いを浮かべた。
「ラノベ買おうと思って。オススメ教えてくれるとありがたい。ファンタジーでバトル要素があるやつが良いんだけど」
「分かった。案内して」
頷いた小岩井さんの表情は相変わらず見ることが出来ないが、少しだけ霧が薄くなったように見えた。
誤解をとくための選択肢は間違っていなかったようだ。
雑居ビルが並ぶ道を足早に歩く彼女の歩幅に合わせて、俺も大股で道を歩いて行く。
《どうしよう。どうしよう。何か言わないと――》
彼女の顔の端に浮かんだ言葉を読み取り、俺は話しやすそうな話題を提供した。
「アメリカにいたなら、やっぱり英語はぺらぺら?」
「別に」
短い返事に少しがっくり来たが、諦めずに小岩井さんの顔を見た。
《やっぱり、英語が得意って見られちゃうよね。日本人学校にいたから別に英語の勉強ばかりしてた訳じゃないし》
「そっか。日本人学校に行ってたの?」
「そう」
何とか心の声をくみとり、会話を続けようと努力してみる。
だが、俺の努力を小岩井さんは尽く踏みつぶしていってくれた。
《ガッカリされるよね。帰国子女って言ったら英語が出来て当たり前みたいな感じだし。天才設定とか五カ国語喋れるとか、そんな特別な能力もないしなぁ……。なんて言えば良いんだろう》
小岩井さんが気遣ってくれるせいで、俺の気遣いが無駄にされている。
きっと他の人に対しても同じように気遣っているのに、気付いてくれないのだろう。
それであのそっけない返事だ。
無視されているように感じるのも、仕方ないかもしれない。
「ちょっとホッとした」
「え?」
「帰国子女の人って英語が出来て当たり前で、日本語分からないから英語で話してよ。と言ったあげく、発音が悪い。とか言われるのかな? って思ったからさ。でも、小岩井さんはそんな風に言わないからホッとした」
「そんなこと思ってたの?」
「うん。何言って良いか分からないほど緊張してたけど、今は少し気楽になった。小岩井さんは俺の知ってる女の子達と変わらないって分かったから」
歯が浮きそうな台詞に頬が引きつりそうになるが、必死に耐える。
心が見えてなかったらとっくに心が折れてる自信があるせいで、俺は珍しく自分の力に感謝した。
「……変な人だね」
変な力を持っている人だからね。そう思って小岩井さんの顔をちらりと盗み見ると、彼女の顔が晴れて、一つの言葉だけが浮かんでいた。
《私の考えてることが分かるみたい》
その通り分かるんだ。今小岩井さんがそう思っていることが。
急に色々考えられると全然分からなくなっちゃうけど。
「ねぇ、早瀬君」
尋ねてきた小岩井さんの顔は既に黒い渦が隠している。
「人の心が分かったら、お喋りって簡単なのかな?」