第一章「恋愛占い師、早瀬優」
小岩井智美に対する皆の興味は二つに綺麗に分かれた。
どんな質問に対しても簡潔で素っ気ない返事しか返さない彼女を、つまらないと思ったのが五割。緊張しているのかと心配していたのが三割。皆の注目を独り占めしていることに嫉妬しているのが一割。
例外として一人だけ踏まれたいと望む男がいた。両肘を机の上に置き、組んだ手の上に顎を置いた彼は、真面目な顔して一体何を考えているのだろうか。
一名を除いて皆不安を感じていたのだろう。昼休みに占いを頼もうとするクラスメイトに俺は囲まれた。
「まだ初日だから緊張しているだけだと思う。海外にいたみたいだし、きっと慣れるまで時間がかかるんだよ」
そうやってありきたりなことを言ってお茶を濁すことには成功したが、俺も訳が分からなかった。
考えを読もうと目を向けると、小岩井も文字が渦巻く真っ黒な顔をこちらに向けてくる。
表情すらも分からないので、不気味で仕方無かった。
結局、一度も小岩井の顔は見ることが出来ずに、この日の授業は終わってしまった。
早く部活に行って、目を休めたい。そう思っていたが、三人の少女が入れ替わり立ち替わり俺の前の席に座った。
「ねぇ、早瀬君。私もお願い」
薄く茶色に染めた髪を地毛と偽り続けている少女が、頬を朱に染めて意を決したかのように目を瞑っている。
《高谷君は私のことどう思っているんだろう? 好きな子とかいるのかな? 今日転校生を心配して早瀬君に何か聞いてたし。絶対に負けないんだから》
彼女の顔の前に、そんな文字が浮かび上がってきた。
その文字は誰にも聞こえていない。聞こえていたら応援やツッコミが入ってもおかしくはない。
俺はわざとらしく悩む振りをしながら、彼女の掌を見つめた。
「うーん……えっと、榊原さん」
「は、はい!」
俺が声をかけると、榊原さんは肩をぴくっと震わせて返事をした。
既に戦う気満々でいるのに、何故そこまで怯えるのだろうか。
俺は気が滅入るのを悟られないようにするために、作り笑いを浮かべた。
「君の思い人に恋人はいないよ。ただ、好きな人もいない。転校生に関してはクラスメイトとして心配していただけ。一目惚れはしていないから安心して。あぁ、バスケの話をする時は本当に楽しそうにしているから、趣味の話を合わせられるのなら合わせると良いよ。可能性はあるから頑張って」
「そ、そうなんだ。ありがとう早瀬君。次またお願いね」
「どういたしまして。それじゃあ、俺も部活があるから」
「うん。本当にありがとう!」
三人の恋占いという名の恋愛相談が終わる。
わざわざ手を見る必要など無いのだが、人の心が読めることをハッキリ感じさせると気持ち悪がられる。
無理も無い。彼女達がしょっちゅうカワイイと言い合っていても、頭の中で本当にカワイイと思っていることはそんなに無い。
男同士の会話でも、適当な相づち代わりの言葉など山ほどある。
そうやって隠し合って生きていることを否定するような力は、嫌悪されて当然だろう。
だが、この手の占いという形にしておくと、人の心を読む。といった力もそれなりに受け入れられるから不思議だ。
とは言うものの、受け入れられるからと言って、文句が無い訳じゃない。
《バスケかぁ……別に興味ないんだけどなぁ……。元気で優しい子っていうのも多いし。どんな食べ物が好きとか。もっと他の情報知りたかったなぁ。他の二人はもっとアドバイス貰えてるのに。でも、私は一回目だし、早瀬君の占いは二回目からがすごいって聞くし。でも、それでダメって言われたらどうしよう?》
不平不満は顔を見れば見るほど溢れ出てくる。
仕方無いだろ。そもそも俺は視たことしか言えないんだから。
その高谷君は本当にバスケバカで、恋愛二の次って感じなんだから。
「それじゃまた。何かあったら占うよ。あくまで占いだから、決めるのは自分だよ」
これ以上は時間の無駄だと思ったので俺は話を切り上げるて、そそくさと席を離れて教室から出て行った。
窓からは暖かい春の風とともに運動部の号令が聞こえてくる。
既に部活動の時間は始まっていて人通りの少ない廊下を、俺はあくびをしながら歩いていた。
そして、目的地である文芸部の部室に入ると、柳亮太が漫画本片手に手をあげた。
「遅いぞ部長」
部活には必ず入らなくてはいけないため、彼は一番楽そうだから。という理由で文芸部に所属している。
何故楽だと思ったのかも知っていたが、俺にはどうこう出来る問題ではなかったので、深入りは止めていた。
「誰のせいだ」
「んー、お人好しな優のせいじゃね?」
「柳が俺を恋愛占い屋にしたのが、原因だろ」
責任転嫁するつもりはないが、その言葉には若干の諦めと恨みを込めた。
柳の言う通り俺のお節介が原因で、俺の悩みは加速した。
俺はあの時ただ背中を押しただけのつもりだったのに、今や絶対当たる恋愛占いとか、気になる人がいるのなら、早瀬優に聞けと言われるほどになった。
「そりゃ、あそこまで完璧に言い当てられればな。それに俺はバレンタインデーのあの日のこと、本当に感謝してるぞ。お前が恋をしたと言ったら応援するぐらいに」
「そりゃどういたしまして」
ぶっきらぼうに返したが、俺はつい柳の顔をチラッと見てしまった。
《受けた恩は返したいからな》
その言葉を見ただけで、俺の中にあった小さな怒りは消えていた。
同時に柳の表裏の無さに、どこか安堵を覚えている。
「でもさ、何で手相とか面相で分かる訳? 人の悩みとか好きなこととか人とか」
「何となく見れば分かるんだ。手と顔の感じで」
興味を示す柳の目から逃げるように、俺は目を反らしてお茶を濁した。
「すごかったよな。あの日の出来事はいつまでたっても忘れそうにないわ」
「あの日以来、俺は面倒事だらけだよ……」
○
一年のバレンタイン、世間は逆チョコを流行らせようとしていたのか、至る所で逆チョコの宣伝を見かけた。
色々な思惑が校舎内で飛び交い、男子は終始そわそわしながら、気になる子の動向を見つめ、女子達は楽しそうにチョコどうする? と言い合いながらお互いの思い人を探っていた。
残念ながらその思惑が一致することの方が珍しいのだが、たまたま一致した組み合わせが目の前にいた。
それも同じ文芸部員であり、基本的におちゃらけているような男の割に、女子からは人気の高い柳だった。
逆チョコに手を出そうとしていた柳は逆チョコそのものに悩んでいた。
だが、決意は固かったようで数日前から何を渡すか、いつ渡すか、どうやって渡すか、そのシミュレーションが延々と繰り返されていた。
それも同じようなパターンを何度も見させられたあげく、成功二割、失敗八割とみているこちらも気が滅入りそうになる状況だった。
当日になると柳は何も出来ずにいた。もちろん、何個もチョコを貰って人懐っこい笑顔でお礼は言っている。だが、俺の目に見える文字はひたすら焦りと恐怖の言葉だった。
相手の女の子も、柳がチョコを貰う度に勇気がしぼんでいき、結局柳にチョコを渡すことは無かった。
結局放課後になってもお互いにチョコを渡せず、柳は週刊漫画雑誌を枕にして机に突っ伏していた。
「柳……。いい加減、そのシミュレーション止めたら?」
「へ?」
「いや、だから、渡せば良いじゃん。逆チョコ」
ついポロッと口から出てしまった言葉に、俺はしまったと後悔した。
いつまで経っても終わらない自己否定の言葉と、自分を奮い立たせようとする言葉が柳の中に渦巻き続けていた。そんな柳のせいで本に集中出来なくなったせいだとは言え、軽率過ぎた。
「何で逆チョコのこと知ってるんだ?」
「え、あー……」
お前の頭の中を何度も見せられたからだよ。とは言えず、本棚に視線を泳がせていた時にたまたま目についた言葉を口にした。
「手相。恋愛占いの本読んだから」
「マジか……すげーな……。だったら、ついでに俺の恋愛運占ってくれよ」
投げやりな柳の回答に、俺はため息をつきながら彼の手をとった。
人の話を全く聞いていない。わざわざ焦って言い訳する必要もなかった。
だから適当に言っても大丈夫だと思ったんだ。
「あー……うーん……。十六歳の時に両思いの子が出来る。実は同じこと考えてるのに、お互い怖くて一歩踏み出せないでいる」
「……マジ?」
「斉藤薫さん……だろ?」
トドメと言わんばかりに、俺は柳の心を読んでその人の名前を告げた。
すると、柳は身体を動かさず瞬きを何度もしてきた。
「斉藤さん。今日チョコレート持ってきてたけど、柳の周りに女の子が大勢居たから渡せずに困ってそうだったぞ」
「お前、それ本当?」
すがるような柳の目に俺はつい頷いてしまった。
「そう見えたから、多分この占いは当たる。だから、そんなにうだうだ悩むのは止めてくれ、うるさくて本に集中できない」
「行ってくる!」
俺が全てを言い終わる前に、柳は椅子から跳ね起きて部屋の外へと消えていった。
あの時の歯を食いしばって、何かに耐えていそうな表情がすごく印象的だった。