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恋する君の心を読めたら

 喫茶店で本を読みながら、俺は人の顔をちらちらと覗いては心を読んでいた。

 結論から言えば俺の力は戻っていた。

 自分の手で額に触れてみるとコブは完全に無くなっている。

 昔、事故にあって能力に目覚めたからか、コブの部位と何かが連動していたのだろうか?

 考察しても理由なんて分からないけど、心が読めなくなった原因は小岩井さんをかばった時に出来たコブのせいなのだろう。

 そう思うと、小岩井さんの能力もきっとコブが消えれば無くなるのだと思う。

「もう五時を回っているし、そろそろ帰る? 晩ご飯の準備するんだよね?」

「そうだね。そろそろ帰ろう」

「晩ご飯ごちそうになってもいい?」

 きっとこのタイミングしかない。今日ここを逃せば、小岩井さんの両親に会えるのがいつになるか分からない。

「いいよ。気まずくて、ご飯も不味くなってもいいなら」

 突き放したような言い方だけど、心を読まなくても分かっていた。

 両親が迷惑をかけるとまた思っているのだと思う。

 《お父さん達が変なこと……言わないかな。何も言わなくて置物みたいに扱われるだけだし。でもそれってすごい失礼だし》

「大丈夫。智美さんのご飯は美味しいから」

「ん。分かった。買い物付き合ってね」

「おやすい御用」

 俺のやろうとしていることは、小岩井さんの希望を奪うことかもしれない。

 心が分かるというのは、気遣いや優しい嘘を暴くことになる。

 本心が見えないからこそ願うことが出来る。裏では自分のことを思っていて欲しいという想いを完全に否定することが出来る力だ。

 だから、ちゃんと俺は言葉にしないといけないんだろう。

「それに、どうやら力が戻ったみたい」

「え?」

「大丈夫。置物みたいに扱われても、俺はお父さん達の心を読めるから」

「そう」

 短く答えた小岩井さんの顔を黒い霧が覆った。

 あぁ、久しぶりに見た気がするけど、こういう人だったんだ。

 この黒い心の霧は不安だったんだ。

「ねぇ、小岩井さん。俺って学校で何をやってたか覚えてる?」

「占い師?」

「そう。だから、占うよ。さっき占いの本読んでたし。ほら、手を出して」

 そう言って俺は小岩井さんの手に視線を落とした。

「全てが分かったからって、上手く行くとは思えない。傷つくことはあるかもしれない」

 心を覗くとはそういうことだから。

「でも、きっとその不安は晴れる」

「そうだといいな」

「大丈夫。柳も斉藤さんも小岩井さんもいるし、……俺もいるから」

「優君、最後に恥ずかしがった」

「……正解」

 最後までビシッと決められなかった俺がよっぽど面白かったのか、小岩井さんがくすくす笑っている。

「優君はやっぱり変な人だ。早く帰ろ?」

 黒い霧はまだ残っていたけど、少し薄まっていた。

 ちゃんと言葉が届いて良かった。


 ○


 小岩井さんと夕飯の買い出しを済ませた俺は、マンションの一室に共に戻っていた。

 リビングのソファにはニュース番組を見る夫婦が座っている。

「優君がいるから、今日は私が作るね」

「そうか」

 小岩井さんの申し出に、政文さんはあっさり許可を出した。

 しかも、浮かび上がる心の声まで一致している。

 そして、政文さんの心はすぐにニュースの考察へと興味を移していた。

「優君も座って待ってて。私は準備しているから」

 小岩井さんに両親との同席を勧められ、俺は覚悟を決めた。

 不安にさせちゃダメだ。俺が代わりに見極めるんだ。

「失礼します」

「固くならずにくつろいでください」

 玲子さんの言葉にも嘘はない。

 二人と向かい合うように座った俺は二人の表情をジッと見つめていた。

 ニュースの考察は自分の仕事と絡めてしているようで、良く分からない経済的な単語が並んでいるような気がした。

 普段から根っからの仕事人間なのだろう。

 高校生の俺程度ではつけいる隙が見当たらない。

 そう思ってテレビを見ると、台に置いてあった写真立てが目に入った。

 三人仲良く写っている写真のように見える。

「あの、テレビ台の写真はいつの写真なのですか?」

「十年前だ」

「智美さんはどんな子だったんですか?」

「今と同じ賢い子だ」

 政文さんの朴訥とした話し方は智美さんによく似ている。

 浮かぶ心の声も言葉としっかり一致していた。

 こうなれば揺さぶりをかけるしかない。

「あの。何で最初に僕が智美さんを脅したと疑ったのでしょうか?」

「親として当然だ。友人ではなく、短期間で出来た恋人を連れてこられた。何かあってもおかしくないと思うのは変なことか?」

「いえ。当然だと思います。なら何故すぐに信じてくれたんですか? 僕はお前に娘はやらんと怒られるかと思ったのですが」

「言われたかったのか?」

 ずいっと身体を前に出しながら政文さんが尋ねてくる。

 《私はまだ君を信じている訳では無い》

 その顔に浮かぶ言葉を見て俺は背筋に冷や汗をかき始めた。

 政文さんの心を多分俺は揺さぶれている。

「出来れば言われたくありません」

「素直だな」

「取り柄だと思います」

「そうか。で、何故君を信じたかという疑問だが、私は君を信じていない」

 政文さんは全く俺を気遣うことなく、ストレートに不信感をぶつけてきた。

 分かっていたから驚きはしない。大事なのは何故それであっさり引き下がったかだ。

「なら誰を信じたんですか?」

「君は変わった尋ね方をする」

「そうですか?」

「自分を信じてくれ。何をすれば信じてくれるか。と言うと思ったのだがな。信じたのは娘の言葉だ」

 政文さんの表情は変わらないし、低い声も変わらず平坦な口調のままだ。

 でも言葉に嘘はない。

 だから、その先にある本心を見たいんだ。

 《智美は賢い子だ。私達はあの子の選択を信じてあげることで十分だ》

「あ……」

 政文さんの本心を覗くことが出来た時、俺の口から思わず声が漏れた。

 智美さんのことに興味がない訳ではなかったんだ。

 智美さんのことを一方的に信じていたから、言葉にする必要がなかったんだ。

 智美さんの願いの全てを受け入れて、認めてあげようとしていただけなんだ。

「どうした?」

「いえ、なんでもありません。ただその、信じていらっしゃるんですね。智美さんのこと」

 政文さんが俺の声を聞き取っていたらしく、俺は驚きを別の言葉でなんとか誤魔化した。

「仕事のせいにするというのは良くないことだと分かっているが、忙しくてあの子に親らしいことをしてやれなかった。それでも、あの子は賢く育ち、誰にも大きな迷惑をかけずに育ってくれた。そんな娘のことなら信じられる」

「そうね。あの子が大丈夫といったら、それは本当に大丈夫なことなのでしょうから」

 玲子さんが政文さんに同調して頷いた。

 いつのまにか二人は優しい笑みを浮かべている。

 この親子はお互い不器用なんだ。

 心は思いやっていて、求め合っていても、お互いに言葉が足りなさすぎる。

「僕はそうは思いません」

「どういうことかしら?」

 俺の否定に玲子さんが目を合わせて、尋ねてきた。

「智美さんの大丈夫は、強がれば大丈夫っていう意味で。誰かに迷惑をかけないように自分が無理をしている時だってあると思うんです」

「ちゃんと確認しているわ」

「建前と本音は別だと思います。心は読めないですし、偽ることだって出来ますから」

「変わったことを言うのね。なら尚更のこと、信じるしかないでしょう?」

「はい。信じるしかありません。でも、同時に信じて貰わないといけないと思うんです。自分相手になら弱さを見せても、甘えても大丈夫だっていうことも、そんな気持ちを受け止めてくれるってことも」

 片方からの一方通行だけじゃダメなんだ。

「私達は親だ。当然、その気持ちは君には負けない」

 政文さんの言葉に偽りは無い。

 玲子さんも心の中で同じ言葉を思い浮かべている。

 その心を読めて俺は安心した。智美さんはちゃんと愛されていたんだ。

 智美さんは愛しているなんて言葉が欲しいんじゃない。

 愛されているという想いを感じたかったんだと思う。

 ただ、そう感じるには言葉が足りなさすぎた。

 大きすぎる愛が伝わらずに、目にも見えなければ心で感じられなかったんだと思う。

「智美を泣かせたら、分かっているだろうね?」

「は、はい。キモに命じておきます」

 政文さんのドスの効いた声で確認され、俺は身体がびくりと震えた。

 淡々としているところからのギャップが大きくて、この驚きに慣れるには時間がかかりそうだ。

「とりあえずは、君のことも信じてみよう。夕飯食べて行きなさい。智美の作る物は美味いぞ」

「はい。ありがとうございます」


 ○


 夕食の時間はそれはもう静かだった。

 食器の音が鳴るぐらいで、会話という会話は数回の応答で終わってしまった。

 一番長かった会話が政文さんと智美さんの会話だ。

「今日どこへ行った?」

「喫茶店」

「そうか」

 そして、五秒くらい間があった後、政文さんが続きを聞いて来た。

「楽しかったか?」

「うん」

「そうか。父さん達もおかげでゆっくり休めた」

「そう」

 会話に割り込める雰囲気では無い。智美さんの予想通り俺は置物と化していたと思う。

 長居が出来る訳でもなく、食後に俺はお暇することになった。

 マンションのエントランスまで智美さんが送ると言ってくれたので、ご厚意に甘えることにしたのが今現在だ。

「お父さん達と何話したの?」

「色々かな」

「今日はいつもより会話が多かったから、優君が何かしたと思った」

「……あれで? ほとんど無言だったような」

「最近で一番長く続いた」

 思わずため息をつきたくなるような告白に、俺は目眩を覚えた。

 全く予想以上に不器用な人達だよ。

「ねぇ……優君」

「うん。分かってる。言葉に出来るかどうかは分からないけど」

 小岩井さんが目を瞑って俺を見上げてくる。

 小岩井さんに力がまだ残っているかは分からないけど、伝えられるのなら全てを伝えて上げたい。

「聞こえる?」

「……うん。嘘じゃ無いんだよね?」

「うん。智美さんは信じられすぎたんだ。それが言葉と行動に釣り合ってなかっただけで」

「……そっか。私も信じてよかったんだ。私は無視されてなかったんだ」

「俺が言うのも何だけど、あれで良かったのか? 何かあんまり変わってない気がするけど」

「うん。あれでいい」

「似た者親子だと思うよ。智美さんも誤解を受けそうな言い方よくしてるし」

「……そうかも。でも、優君も信じてくれるんでしょ?」

 心の声が聞こえているのなら、その答えは分かっているはずだ。

 でも、求めたいんだと思う。はっきりと記憶に言葉で残したいんだ。

 俺も伝えたいんだ。はっきりとこの場と心に言葉を刻みたい。

「信じているよ。小岩井さんのことも、どんな想いも受け入れられる自分のことも」

「ありがとう。今ならちゃんと言える」

 何を言ってくれるのか? 否が応でも期待は高まる。

 もう不安は解消されたのだろうか? もっと自然に振る舞えるようになるのだろうか?

 心の言葉が顔に浮かび上がっても、智美さんの笑顔を何度も見えるくらいに、信じてくれるだろうか?

 色々な気持ちが自分の心から溢れてくる。

「優君はやっぱり変な人だよね」

「え……」

「あは。露骨にがっかりしてる。優君かわいい」

「はは……意外とSっ気あるよね智美さん」

「そうかもね」

 小悪魔的な笑みを浮かべて智美さんが額を離した。

 《優君が可愛いから、ちょっとぐらい変なことしても受け止めてくれるって信じられるから》

 浮かび上がった心の声を読んで、苦笑いを浮かべてしまう。

 早速尻にしかれそうな気がするよ。

「だから、私も信じて欲しい」

 智美さんの顔に浮かぶ文字が消える。

「私もあなたを信じています。あなたを受け止められると信じられる私を信じることが出来ました」

 《私もあなたを信じています。あなたを受け止められると信じられる私を信じることが出来ました》

 心臓が止まりそうになるほど驚いた。

 思考がどっかに吹き飛んでいる。少なくとも息は出来ていない。

「私の心はあなたに伝わりましたか?」

「はい」

「私の彼氏になってください」

「よろしくお願いします」

 ニッコリと微笑みながら告白してくれた智美さんに、俺はどんな顔をしていたのだろう?

 笑っていたのか泣きそうだったのか分からない。

 ただ、嬉しかったんだ。自分から心を見せて、気持ちに嘘はないと伝えてくれた告白の仕方だったから。

「優君。目を瞑って」

 智美さんの両手が俺の頭を包むように触れる。

 俺が今どう思っているか心の声を聞きたいのだろう。

 その求めに応じて俺は目を閉じて、頭を智美さんに預けた。

「私はあなたを愛しています」

 耳元で智美さんの声が囁かれる。

 けど、次に訪れた感覚は額ではなかった。

 唇に柔らかい何かが触れる。

 体温が額ではなく唇のあたりから伝わってきている。

 目を開けていないから俺からは智美さんの心は読めない。

 俺の傷跡に智美さんのおでこは触れていないから、きっと俺の心も伝わっていない。

 お互いに何を考えているかは分からないし、顔色や声音で疑うことも出来ない。

 だから、キスをしている時は愛しているという相手の言葉と自分を信じるんだ。

 たった数秒のふれ合いが終わり、唇に伝わる感覚が消えた。

「目開けていいよ」

「う、うん」

 触れていた智美さんの唇が視界に入り、恥ずかしさがこみ上げてきた。

 恥ずかしいけれど何が恥ずかしいのか良く分からない。

 それぐらい頭がボーッとしていたんだ。

「また明日」

「うん。また明日」

 心ここにあらずと言った感じで俺は返事をして、マンションを後にした。

 夢でも見ているんじゃないだろうか。

 そんなあやふやな気持ちのまま家に帰り、ベッドの中に俺は倒れ込んだ。


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