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キスに似た何か

 日曜日の朝、小岩井さんからメールが来た。

 両親は一日家にいるけれど、いつ出かけるか分からないから午前中に来て欲しい。

 そういった内容だ。

 お邪魔しても迷惑をかけない時間帯として、十時半を希望すると、五秒くらいでメールが返ってきた。

 色々な意味で一つの区切りと決着がつくだろう。

「やっぱり心はまだ見えないか」

 駅で色々な人の顔を見ると、ボンヤリと何かは見えるのだけどハッキリとした形にはなっていない。

 戻りかけてはいるんだろうけど、間に合わなかったみたいだ。

 わずかな可能性を信じてみたが、力は戻ることなく小岩井さんの住むマンションに着いてしまった。

「優君」

「あれ? 下で待っててくれたの?」

「そう。ところで、あの……」

 何か言いづらそうに小岩井さんが口ごもってしまう。

 小岩井さんはどっちの心配をしているのだろう?

「まだ戻ってないよ。ちらつくんだけど、はっきりしないんだ」

「そう……」

 小岩井さんが小さくため息をついた。

 きっと俺を通じて、何かを聞きたかったんだろう。信じられない物を信じるためにも。

 もう一つの心配事もどうせなら一緒に解決しておこう。

「小岩井さん。ちょっと目を瞑って。そっちも試してみよう」

「ん? ん。分かった」

 小岩井さんが目を瞑ったのを確認し、俺は小岩井さんのおでこに自分の額をくっつけた。

 目を瞑って貰ったのは単純に恥ずかしかったからだ。

 直接肌が触れて、温もりが頭に伝わると、理性が吹き飛びそうになる。

 小岩井さんの毛先が俺をくすぐってきて少しかゆいけど、ふんわりと石けんの匂いが香ってきて離れて欲しくなくなる。

「恥ずかしいんだ」

「正解」

「一生懸命我慢してる。優君かわいい」

「……それも正解」

 大丈夫。力は無くても俺はいつも通りだから。小岩井さんも安心して。

 不安になったらいつでもこうして良いから。

「……私は優君に甘えてばかり」

「落ち着いた?」

「うん」

 小岩井さんが自分から額を離し、身を翻す。

「行こう。優君」

 自宅に入るには相応しくない言葉とともに、俺はマンションのエレベーターへと乗り込んだ。

 小岩井さんの家にお邪魔するのは三度目だというのに、今回は一番緊張している気がする。

「ただいま」

「お邪魔します」

 小岩井さんの後に続いて俺も声を出す。

 両親がいると聞いたはずなのに、返事は返ってこなかった。

「入って」

 代わりに小岩井さんがあがるように促してくれる。

 玄関からは人のいる気配が感じられない。

「いるんだよね?」

「うん。靴あるし」

「そ、そうなんだ」

 いつの間にか溜まった唾を飲み込んだ。

 フレンドリーで明るい人達では無いと覚悟する必要がありそうだ。

 リビングの扉を開けて中に入ると、お茶とお菓子が四人分机に置かれていた。

 奥の席には厳しそうな眼鏡をかけた男性と、ツリ目気味の美しい女性が座っていた。

 この二人からなら、確かに小岩井さんが生まれる。そんな妙な納得感があった。

 納得している場合じゃない。ちゃんと挨拶しないと。

「初めまして。小岩井さん。あ、智美さんのクラスメイトの早瀬優です」

「良く来た。父の政文まさふみだ」

 眼鏡の奥から見える鋭い目が、俺の目を見据えてくる。

「母の玲子れいこです。どうぞ座って下さい」

 やり手の女性を絵に描いたような人だ。

 玲子さんに座るように促され、俺と小岩井さんは椅子に座った。

 座ったのは良いけど、何を話せば良いのだろう?

 両親の二人はジッと俺を見つめてくるだけで、何かを言おうとしている訳ではない。

 喉が異常に乾いて、俺はお茶に口をつけた。

「お父さん、お母さん、この人が私の彼氏です」

「っ!? ごほっ! げほっ!」

 小岩井さんの紹介に驚きすぎてむせた。

 付き合うのは待ってくれって言ったのは小岩井さんのはずだ。

 一体何がどうなってるんだ?

「早瀬君だったかな? 君は智美と交際しているのか?」

「は、はい。おつきあいさせて頂いています」

 小岩井さんの意図は分からないけど、応じるべきだと思ったんだ。

 付き合ったのは事実だし、嘘はついていないはずだ。

 それに彼氏と言われて嬉しかった。

「ふむ。君の学校へ智美は転校したばかり。この短期間に交際を始めたと?」

 政文さんは視線を俺の目から離さないまま、淡々とした口調で尋ねてきた。

 怖い! 何を言っても否定されそうな威圧感がある。

 露骨に怒っているよりも、何を考えているか分からない方が遙かに怖い。

「はい……」

 勇気を出して肯定したつもりだったが、語気が弱くなった。

 自信がない気弱な男に、娘は任せられないとか思われないだろうか?

「ん。私から告白した」

 俺より小岩井さんの方が堂々としている。何だか情けない気分になってきたよ。

「そうなのかしら? 早瀬君」

 玲子さんの視線が俺に突き刺さる。

 この二人の目は、目を反らしたら嘘をついていると、俺の態度を量ろうとする目だ。

「はい。でも、僕からもしっかり気持ちを伝えました」

 その圧力に折れないよう、今度はしっかり答えた。

 この気持ちを疑われるのだけは嫌だったから。

「そうか。弱みを握って脅した訳ではないんだな?」

 俺の目を睨み付けたまま、政文さんが小岩井さんに確認をとっている。

 淡々とした口調とは裏腹に酷い内容で疑われたせいで、俺の思考が一瞬固まった。

 怪しいことを言ったつもりもないし、失礼をしたつもりもない。

「早瀬君はそんな人じゃない」

 小岩井さんが俺の心を代弁してくれている。怒っている訳でもなく、いつものように抑揚の無い声音だったけど。

 それにしてもと思う。

 小岩井さんと両親は喋り方がよく似ている。

 怒っているのか、悲しんでいるのか分からないほど、声に抑揚がないんだ。

 いつの間にか玲子さんの視線が俺から外れ、小岩井さんの方に移っていた。

「智美はそれでいいの?」

「はい」

 短いやりとりが終わり、リビングに静寂が戻る。

 時折お茶がすすられる音がするぐらいで、次の話題が出てこない。

 いつの間にか両親のお茶は無くなっていた。

「話は分かった。早瀬君、娘をよろしく頼む。清く正しい付き合いをして欲しい」

「あ、はい」

 あれ? お父さんにはあっさり受け入れられた?

 あまりに拍子抜けしたせいで、思わず聞き返しそうになった。

「早瀬君。智美をお願い」

「分かりました」

 お母さんにまであっさり交際オッケーを出された!?

 娘はやらん! 帰れ! くらい言われると思っていた。

 違うベクトルに少し怖い両親だけど、物分かりが良い人だと思う。

 少なくとも、小岩井さんが覚悟を決めて会って欲しいと思うほど、冷たい人達だとは思えない。

「では、すまない。私達は席を外す。二人で出かけてくるといい」

「もう寝るの?」

 立ち上がった夫婦は俺達に一瞥もしない。

 小岩井さんの問いかけも頷いただけで、足を止める様子もない。

「何か言うことはないの?」

「自分を大事にしなさい」

 政文さんはそれだけ言うとリビングの扉を開けて姿を消した。

 小岩井さんは無言のまま扉を見つめている。

 その姿を見て、俺は小岩井さんの寂しさにようやく触れられた気がした。

 何て言えば良いのだろう。きっと親を貶める言葉は求めていない。

「……寂しいな」

「……慣れてる」

 慣れているんだから、寂しいんだと思う。

 大事な話なのに僅かな言葉で片付けられてしまった。

 父親から疑われたと思っても一瞬で話を打ち切られたし、母親に関して言えばただの確認だ。

 落ち着いて考えてみれば、これだけだと俺のことをどれまで認めて、信じてくれているのか分からないんだ。

 小岩井さんに対しても、どこまで気に掛けているか分からない。

 マニュアル的に一度聞いただけのようにも思える。

「……優君がいてくれて良かった。外いこっか。お父さん達の邪魔をしたくないから」

「分かった」

 立ち上がった小岩井さんの手に引かれ、俺も部屋を出て行く。

 小岩井さんが無言で歩を進め、俺は声をなおも声をかけられなかった。

 マンションの自動ドアが開き外に出ると、小岩井さんがようやく声を出してくれた。

「ねぇ、優君」

「うん?」

 足を止めた小岩井さんは俺から手を離すと、俺を真正面から真剣な目で見つめてきた。

 《……失礼な……と……優君……嫌……気持ち……かな?》

 ダメだ。読み切れない。一体何を考えているのだろう?

「勝手に彼氏にしてごめんなさい」

 心を読もうとしていたら、解読するより早く頭を下げられた。

 その言葉を謝って欲しくない。

 驚いたけど嫌じゃなかった。嬉しくて驚いたんだ。

「そんなこと言ったら、俺も智美さんのこと彼女って親の前で言っちゃったよ?」

「それは私が先に……」

「ううん。違う。大事なのは智美さんが自分を信じられたかどうかだよ。信じられないまま言ったのなら、小岩井さんが謝るのは自分自身だよ」

 俺はどうこう言える立場ではない。

 代わりに小岩井さんがどんな気持ちを抱いていても、信じて受け止めるんだ。

「ごめんなさい。私はまだ信じられてない」

「安心して。待ってるから」

「……また聞いてもいい?」

 捨てられた子犬のような顔でねだられたら、拒否なんて出来る訳がない。

「ほら」

 小岩井さんの頭に手を置き動かないように固定する。

 そして、お互いに目を瞑って、こつんと軽く額を合わせた。唇を合わせるのとあんまり変わらないのに、何でこっちは恥ずかしくないんだろう。

 怒ってなんかいない。俺が声をかけられなかったのは、俺自身が何も出来なかった情けなさがあったからだ。

 お父さん達に酷い疑われ方をされたのも大丈夫。小岩井さんがすぐに否定してくれた。

 そういう人じゃないって、大丈夫な人だって小岩井さんに信じて貰えると分かっただけで、もう俺は十分だよ。

「ごめんなさい」

「今度は何で謝ったの?」

「私にはもったいないくらい思って貰えているのに、待たせているから」

「大丈夫。俺自身が待てると信じているから」

「ありがと。そういえばさ。優君」

「この姿勢ってキスみたいだね」

 言葉が繋がらなくて思考が飛んだ。

「あ、すごい動揺してる。かわいい」

「何で急にキスみたいだって……」

「優君は心が見えるけど、今は見れないでしょ? キスをする時はお互いの目も見えなくて、言葉も出せなくて、触れる相手と自分の感覚しかない。それだけで相手の人に愛しているって伝えて、信じてもらうための行為だと私は思う」

 なるほど。そういう見方をしたことは無かったけど、そういう考え方も出来るのか。

 でも、そうなるとこのおでこ合わせは、思考ダダ漏れじゃないか?

「うん。考えていること全部聞こえるよ」

「なら違わない?」

「同じだよ。優君は私の心が読めなくても、自分の気持ちを全部私に聞かれても大丈夫って思えるほど私を信じているんでしょ? なら、優君は私にキスしてくれているのと同じ」

「……そうなのかな」

「あは。恥ずかしがってる。優君かわいい」

 さっきの小岩井さんの言葉と照らし合わせると、急に恥ずかしくなってきた。

 考えてみればなかなか突拍子もないことをしていた。

 この心を伝える行為がキスと同じで、愛していると伝えているような物だったというのだろうか。

 相手の言葉と気持ちを信じて、相手を受け止める自分自身を信じるというこの気持ちが愛だっていうのだろうか?

「分からない。でも、私はその気持ちを貰えてすごく嬉しい」

「そっか。良かった」

「だから、もうちょっと待って」

「うん」

 信じる気持ちが俺で完結してしまえば、きっとこの愛は小岩井さんを潰してしまう。

 この気持ちは一方的に押しつけるんじゃない。

 大事な人の言葉を受け入れるためにあるんだ。

「本当に優君は変な人だよね」

「……そうかもしれないね」

 愛というあやふやで恥ずかしい言葉を真剣に考えている。

 恋愛占いをやっていても誰が両思いなのかを言うだけだったから、愛なんて分からなかった。

 恋愛を何度もこなした人達や、愛を育てて結婚したと思われる親達に比べれば、俺の答えは幼稚な答えなのだろう。

 でも、俺達にとってはこの答えで良いんだ。

「そんな優君が好きです。私の心がまだ見えないのなら、何度も言う。大好き」

「うん。信じて待ってる」

 小岩井さんの手が俺の胸を押す。

 それを合図に俺も小岩井さんの頭から手と額を離した。

 《あっー! 恥ずかしかったー! でも、私のこと考えてくれて一生懸命になってる優君がすごく可愛かった。嬉しかったなぁ……》

「あ……」

「優君どしたの?」

「何処行くか全然決めてなかったけど、どうしよう?」

 小岩井さんが心を読めないのを良いことに、俺はあることを思いついた。

 それにまだ自分の中で確信が無かったんだ。

 小岩井さんみたいに相手が限定的なのかどうかが。

「んー。本買って喫茶店で読書でもする? 読書デート」

「読書デートは初めて聞いたけど、うん。いいよ」

 本屋に行けるのはありがたかった。悩む多くの人の顔を見られるし、欲しい本が出来たんだ。

 俺にもようやく出来ることが見つかった。

 恋愛相談以外の占いをするために、占いの本を一冊買おうと思ったんだ。


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