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第三章「俺達の答え」

 でも翌日、小岩井さんは学校に来なかった。

 その次の日は連絡も無く学校を休んでいる。

「早瀬君は何か聞いてないの?」

「聞いてない。小岩井さんに朝メールを出してみたけど、返事は来ないし」

 昼放課の時間、斉藤さんが心配そうに尋ねてきた。

 メールを出したと言っても、小岩井さんの体調を心配する短い文だ。

「ん、そっか。ねぇ、早瀬君。小岩井さんと何かあった?」

「柳から聞いてないの?」

「何も聞いてないよ。でも、私にはメールが来たから。大丈夫。たんこぶは全然痛くないって」

「……そっか」

 斉藤さんの言葉で胸がちくりと痛んだ。

 分かっていることとは言え、小岩井さんに随分避けられているようだ。

 《……かして……られたの……》

 え? 一瞬目の前の景色に霧がかかったような気がした。

 力が戻ってる? 

 目をこすってもう一度斉藤さんの顔を見てみるが、文字は浮かんでいない。

「早瀬君どうしたの?」

「いや、何でも無い」

 気のせいだったのか?

「ねぇ、早瀬君。お見舞いに行ってあげたら?」

「いいのかな?」

「やっぱり大事な人が一番最初に来てくれた方が嬉しいと思うし。それにさ、私は大丈夫? って聞いただけなのに、何でわざわざたんこぶは痛くないないって来たんだろ?」

 斉藤さんの言葉で、背中に電流が走ったように身体がしびれた。

 いつものように心配かけまいと痛くないと言うのなら、痛いと感じている可能性がある。

 両親も家にいないと聞くし、昨日学校に連絡したのも小岩井さん自身だ。

 自分が痛くなくなっているから大丈夫だと思ったけど、小岩井さんの打ち所が悪い可能性だってある。

 居ても立ってもいられなくなって、立ち上がると小岩井さんに驚かれた。

「早瀬君? もしかして」

「昼休みのうちに戻ってくる」

 小岩井さんの家まで走れば、学校に戻ってくるまで十分くらいは話せる時間があるはずだ。

 体力的にきついし、お昼ご飯は食べられないけど、そんなことよりも会いたい。会って話がしたい。

「優。使え」

「助かる!」

 柳が自転車の鍵を投げて寄こしてきた。それをキャッチしてすれ違い様にお礼を伝える。

 俺はとにかく全力で自転車を漕いで、小岩井さんの住むマンションに向かった。

 そして、近くのコンビニでお見舞い用のゼリー飲料とスポーツドリンクを購入し、小岩井さんの家のインターホンを押した。

「出ないな……」

 コンビニの袋片手に俺はエントランスで立ち尽くしていた。

 眠っていたら出られないのは当然だ。

 斉藤さんはメールを受け取っているから倒れてはいないはずだけど、俺は一体どこまでタイミングが悪いんだよ。

「優君……?」

「へ? 智美さん……?」

 俺の名を呼ぶ声に振り向くと、小岩井さんがスーパーの袋を片手に立っていた。

「優君、学校は?」

「智美さんこそ身体の調子は?」

 お互いに答えづらい質問をして固まる。

 違う。こんなことが聞きたいんじゃない。

「智美さん。ごめんなさい。俺はあなたを騙していました!」

 謝りに来たんだ。

「優君?」

「信じられないかもしれないけど、俺は智美さんの心を読んで、智美さんが望むようなことを言っていただけだったんだ。俺は……智美さんが信じられるような人じゃない」

 俺の謝罪に小岩井さんは固まっていた。

 小岩井さんは固まっていても俺は全てを伝えないといけないんだ。

「人間観察でも、占いでもないんだ。俺は人の考えていることが浮かんで見えるんだ。そうやってズルして、君の心を読んで、君を騙して喜ばそうとした。本当にごめん」

「優君。止めて」

 小岩井さんから制止の言葉が発せられるが、俺は構わず続けた。

 どうしても伝えたい一言があったから。

「嘘もついたしズルもしたけど、そうやってズルしたから、智美さんが優しい人だって思ったのも、信じられる人だって思ったのも、好きだと思うと言ったのも。全部本当だ」

「ごめんね。優君」

 振られた時と同じ儚い笑顔を小岩井さんが浮かべている。

 あぁ、やっぱり俺は振られたんだ。もう信じて貰えないほど、傷つけてしまったんだな。

 胸の中がしぼんでしまうと思えるほど、何かが抜けていく気がした。

「優君の気持ち全部聞こえてた」

「え?」

「優君と頭を打った後から、声が二重に聞こえるようになったんだ。それが心の声だって気付くのはすぐだった。優君が心の声が読めなくなったって慌てていたのが聞こえたから」

 言われてみれば、店員さんにすぐ対応したり、柳達に会った時、先制して色々文句を言っていた気がする。

「あがって。ここに突っ立っていると迷惑」

「あ、うん」

 小岩井さんが暗証番号を入れ、俺を招き入れる。

 この時すでに俺の頭の中から昼放課の時間は吹き飛んで消えていた。

 家に案内され、リビングのソファに座らされる。

「ほら座って」

 促されるままソファに腰掛けると、小岩井さんが俺の隣に座った。

「ねぇ、優君。心が分かるのも分からなくなるのも、同じくらい怖いね」

「……そうだね」

「始めは凄く便利だと思ったの。優君の言葉が嘘じゃなくて本当で、私のことを考えてくれているって分かったから。すごく嬉しかった」

 小岩井さんの言葉が本当か嘘かは分からないけど、俺のことを信じてくれていて嬉しかった

「私は誰かに思われていたかった。お父さん達は仕事ばかりで、私が何をしても気にしなかったから。悪いことをすれば怒られるし、頑張っても何も言われない所か、忙しいからまた今度だし」

「そっか」

「うん。私は信じられてないんだなって勝手に思ってた。頑張った自分の気持ちとかを伝えても邪魔扱いされたから、私は話をすぐ打ち切る話し方を覚えた。そうすれば、お父さん達には邪魔扱いされないから。同じ事を他の人にすると怒られるから、訳が分からなかった」

「だから、あんなに色々いっつも考えていたんだ」

 返事がぶっきらぼうだったのもフォローが下手くそだったのも、相手が自分に割く時間を減らすための手段だった。

 他の人とずれるわけだよ。他の人は自分の時間と小岩井さんの時間を共有しようとしているのだから。

「話を戻すけど、この心を聞く力を貰って、私はお父さん達の心の声を聞いてみたかったんだ。本当に私は無視されているのか。それとも、心の中では信じてくれているのか知るために。一人じゃ怖くて、優君にいて欲しかったんだけど」

「そうだったんだ。でも、それならどうして来なくて良いなんて言ったのさ?」

「この前の日曜日に帰ってくるはずが無かったのに、お父さん達が帰って来た。それで言ってみた。大切な友達が三人も出来たって。そうしたら返事はそうか。良かったなだけ。またすぐ仕事のことを考え始めた」

 小岩井さんは俺の肩に頭を預けて、事情を話し続けている。

 ここまで話す小岩井さんを見るのは初めてじゃないだろうか。

「私は親からも信じられない存在なんだなって思えた。でも、優君の心の声が聞こえていたおかげで、思って貰えるって分かって、すごく安心出来た」

「なら何で?」

「隠していたけど、私もこぶがすごく痛かった。でも、こぶの痛みがほとんど無くなっていた月曜日の朝、優君以外の心は聞こえなくなった。部活の時間になったらもう優君の心すら聞こえなかった。だから、優君の所に力が戻ったと思ったけど違った」

「あ……だから、心が読めるか聞かれたのか」

 俺もあの時は小岩井さんの心が分からなかった。

 でも、それは俺を振った理由とはほど遠いと思ってしまう。

 小岩井さんは小さく頷くと、大きく深呼吸をしていた。

 まるで何かの決意か覚悟を決めているようだ。

「優君はずっと私のこと心配してくれてた。心を読めなくなっても、ずっと私のために考えてくれてた。優君は本当に私のことを愛してくれているんだと思った」

 あの思考が全部読まれていたと思うと、恥ずかしさがこみあげてくる。

 愛している。なんて大げさなことを俺はしていたのだろうか。

「特別な力なんてなくても私を信じて貰えている。それがすごく嬉しかった。……だから、怖くなった」

 小岩井さんが何を恐れたのか、心を読めなくても俺には分かった。

 俺も同じだった、心を読めなくなって、すごく不安になったんだ。

 小岩井さんを誤解していないか、怒らせていないか、喜んで貰えているかが分からないから。

「優君は力が無くても私を信じようとしてくれた。それなのに私は優君を信じることが怖くて出来なかった。そのせいで、私は私を信じられなくなった。そんな私が優君の彼女のままだと迷惑をかける。ずっと、いらない気を遣わせることになるから」

「智美さんは変な人だよね」

「え?」

 俺は小岩井さんの口癖を敢えて借りた。

 本当に俺達はお互いにどこかずれている。

「俺はそんな智美さんが好きだ」

 だから、言葉にしないといけないんだろう。俺は自分も小岩井さんのことも信じたいから。

「どうして? 私は自分勝手な気持ちで優君を振ったんだよ?」

「うん。お互いに心を読めたから俺も智美さんも自分勝手に相手を気遣った。だから俺達はちゃんと言葉にして言わないといけないんだと思う」

 相手が誤解をしている場合は勝手に諦めたり、分かってくれると思い込んだりしない。

 相手の気遣いを信じるために、ちゃんと気持ちを伝えなければならない。

 俺は大きく深呼吸してから、ゆっくり言葉を発した。

「俺に迷惑をかけたくないって気持ちは嬉しいけど、振られたのは驚いたし、余計傷ついたよ」

「ごめんなさい」

「ううん。俺の事を考えてくれてありがとう」

「やっぱり優君は変な人だね」

 小岩井さんがいつもの台詞とともに、穏やかな笑顔を見せてくれる。

 心が読めなくても信じたいと思うことは出来るから、俺は続く言葉を信じた。

「それにずるい人」

「うん」

「そして、私の好きな人」

 俺の肩に頭を預けてくる小岩井さんの小さな声が耳に届いた。

 小岩井さんの気持ちを疑うようなことはしたくないから、小岩井さんと目を合わせなかった。

 かわりに俺も頭を小岩井さんに預けた。

 俺が小岩井さんを好きな気持ちも、小岩井さんが俺の事を好きだと言ってくれた言葉も、俺は信じよう。

「優君が目を合わせないのはそういう理由なんだ」

「え? 俺声に出してた?」

「え? 声が聞こえた」

 ふとした疑問を確認しようと目を合わせると、小岩井さんは何度も瞬きをしていた。

 小岩井さんに俺の心の声がもう一度聞こえている?

「今の声は聞こえた?」

「ううん……さっきの姿勢をもう一度してもらっていい?」

 もう一度お互いの肩と頭を合わせる。

 何を考えよう? って、聞こえる? って思うだけで良いのかな?

「あ、聞こえた。聞こえてる。何を考えよう? って悩んで、聞こえる? って確認してきた?」

「あ、当たってる」

「なら、もしかして?」

 小岩井さんは法則性に気がついたのか、ソファから立ち上がると俺の目の前に立った。

「ちょっと頭借りる」

「へっ!?」

 俺の頭が包み混まれるように押さえられると、小岩井さんはゆっくり顔を近づけてきて、おでことおでこをくっつけた。

 おでこで熱を測っているような体勢だ。

 顔が近くてドキドキが止まらない。

 綺麗なその顔と唇に触れたくて、全身が跳ねそうになる。

 目の前にある薄紅色の唇に、自分のものを重ねたい。

「優君すごく我慢してる。……かわいい」

「……読まれた?」

「キス……したいんだよね?」

「……正解」

「我慢して」

「……頑張ります」

 一体何をどう頑張れば良いんだ!? この高鳴る鼓動を落ち着かせるためにはどうすれば良い?

 息を止めれば良いのか? いや、心臓を止めれば。ってそんなこと出来る訳がない!

「あは、優君かわいい……」

 小岩井さんの声とともに息が鼻にかかってくすぐったい。

 額から伝わる体温で、熱が出そうになる。

 そんな状態で甘い言葉をかけられたら、どうにかなりそうだ。

「優君。分かったよ。心の聞き方」

 小岩井さんが額を離して、おでこに自分の人差し指を当てた。

「多分、優君が事故で出来た傷と、私のおでこに出来たたんこぶを合わせれば良いと思う」

 俺も真似をしてみて額の傷に触れてみた。

 《……優……は――読め……》

「優君は読める?」

「惜しい。優君は私の心が読める? って考えてた」

「俺の力も戻り始めてる?」

 また心を読む力が戻ってくる。でも、戻ってきても今の気持ちは変えちゃいけないんだ。

 おでこから手を離すと、小岩井さんがまた顔を近づけて来た。

「大丈夫。言葉にする大切さは身を以て体感したから」

「あ……」

「いいよ。俺は三年この力と付き合ってきたけど、小岩井さんはほんの数日だからね。大丈夫。読んで良いよ」

 もう一度額と額が触れる。

 お互いに無言のまま時が流れていく。

 こうしている間、俺は小岩井さんの心は見えないけど、小岩井さんは俺の心を聞いている。

「ねぇ、優君」

「なに?」

「心の中では小岩井さんなんだね」

「智美さんっていうの恥ずかしいから……」

「うん。本当にそう思ってるんだ。かわいい」

「うぅ……」

 恥ずかしい。でも、小岩井さんが嫌がっている様子はない。俺は受け止めて貰えているのだろうか?

「大丈夫。安心して」

「ありがとう」

「うん。これで私は優君が私を思ってくれて、大事にしてくれる人だと信じられる。でも、だからこそ待って欲しいんだ」

「何を?」

 小岩井さんが額を離して、真っ直ぐ俺を見つめてきた。

「優君が好きになってくれた私を、私自身が信じられるようになったら、もう一度彼女にしてください」

 小岩井さんは男らしくよどみなく言い切ると、頭を下げてきた。

「こちらの方こそよろしくお願いします」

 俺も一緒に頭を下げる。

 いつになるかは分からないけど、いつかは必ず前に進めるはずだ。

 小岩井さんなら自分自身を信じられるようになると、俺は信じていたい。

「優君のその言葉、信じるからね」

 今度は額をくっつけない。

 きっと俺と自分自身を信じようとしてくれているんだ。

 俺も小岩井さんの信じてくれる俺を信じたい。

「信じられなくなったら、いつでも心の声を聞かせるよ」

「優君はやっぱり変な人だね。そんな優君にだから、もう一度お願い出来る。今週の日曜日、お父さん達に会って貰っていい?」

「うん。いいよ」

「ありがとう」

 結局破棄された約束は元に戻った。

 彼氏彼女の関係はまだ修復出来なくて、心を読む力も完全に戻ってはいないけど、俺にとってはこの上ない結果だ。

 学校を抜け出してきた甲斐があった。

 ホッとしたら、部屋中に聞こえるんじゃないかと思えるほどのお腹の音が鳴った。

「ご飯食べてないの?」

「うん。昼放課に抜け出してきたから……って時間やばっ!? もう午後一の授業には間に合わないか」

 時計を見ると十二時五十五分になっていて、残り五分程度しか時間が無い。

 自転車を全力で漕いでも、遅刻は間違い無いだろう。

 怒られることを覚悟で戻らないといけない。

「って、そうだ。智美さんは、身体の調子大丈夫なの?」

「うん。仮病」

 悪びれること無く小岩井さんはビシッと胸を張って言い切った。

「あっさり言うね……」

「一緒にさぼる?」

「さぼりたいけど、一緒に学校いこうよ。まだ一緒に登校したことないし」

「ん。いいよ。着替えてくる。お昼ご飯用におにぎり買ってきたから、食べて良いよ。私にはどれでも良いから一個残しておいて」

 そう言い残して小岩井さんは部屋を後にした。

 後をつけて覗きはしない。興味はもちろんあるけど、それで嫌われたくない。

 恥ずかしい思いはさせない。それが今俺の出来る最大限の気遣いだ。

 悶々とした気持ちをおかかのおにぎりと一緒に飲み込んだ。

「お待たせ。行こう」

「って、ちょっと待って。智美さんもご飯まだだろ?」

「優君の優しさを補充できたから」

「それでお腹は膨れないでしょうよ……」

 どうせ時間が無くなったのは自分が原因だからと、気遣ってくれているのだろう。

 俺は呆れ半分でおにぎりを手に取った。

「さすが優君。心が読めなくても気が利く」

「どういたしまして」

「ちなみに、補充は本当に出来たよ?」

「あ。俺が買ってきたエナジーゼリー」

 小岩井さんの手の中にはやせ細った袋が握られている。

 十秒チャージとか言うぐらいだし、カロリー的には大丈夫なんだろうけど、おにぎりも食べないと足りそうにない気がする。

 女の子はおにぎり一個とゼリー一袋で持つような身体なんだろうか?

「でも、ちゃんと食べて下さい」

「ん。分かった」

 椅子に座った小岩井さんが小動物のようにおにぎりをかじっていく。

「お待たせ」

 小岩井さんの食事が終わり、立ち上がった彼女が手を伸ばしてくる。

 その手を俺は握り返し、一緒に家の門をくぐった。

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