【うろ夏の陣・8月5日】天狗、双子の家に落ちる
8月5日(月) 夜
平太郎は気を失い、まかせるままに落下していた。
「兄貴ッ!兄貴ッッ!」
傘次郎が叫ぶが、一向に気がつく気配はない。先刻の一反木綿との一戦で気を失い、さらには腹部に一突きにされ、彼のジャージの腹部にはべっとりと溢れた血が付いていた。
このまま落下してしまえば、さすがの天狗と言えども無事では済まない。傘次郎は少しでも平太郎を庇おうと傘を目一杯に広げ、平太郎の妖力を使って風を起こそうと試みた。
しかし、唐傘化けに天狗ほど風が扱えるはずもなく、落下の勢いを弱めるに留まるばかりだった。
「こんちきしょうめ、何か、何か手はねぇのかよッ!」
傘次郎が悪態をつきながら、残されたあらん限りの妖力で二人の周りに風を吹かせ続ける。
町が近づく。せめて森の中や人目に着かない所に落ちればまだ良かったのだが、二人が落ちていくのは民家のある場所だった。
とはいえ、軌道を変えることも落下を食い止めることも出来ない。
「南無三ッ!!」そう叫んで、傘次郎は平太郎を庇うようにとある民家の庭先へ落下した。
○ ○ ○
庭に、何か大きなものが落ちてきた。今にも眠りにつこうとしていたが驚いて飛び起きる。
「ねぇ、くーちゃん」
「いまの、なんだろうね、みーちゃん」
「人じゃないね」
「人はおうちにこれないもんね」
家の持ち主であるうろなに住む双子、降矢くるみと降矢みるくはカーテンの隙間からそっと庭を見た。暗がりの中に見えたのは、ぼろぼろになった傘と天狗の面を被った男。
「てんぐかめんだ」
「うごかない、どうしよう」
少し考えた後に、双子はいつもの選択肢を選ぶことにした。
こまった時のいなりやまおにーちゃん、だ。
とことこと二人で電話器まで向かい、電話をかける。
「あ、おにーちゃん。今ね、おにわにてんぐかめんがおちてきたの」
「こわれたかさもあるの。どうしよう?」
○ ○ ○
電話から程なくして、稲荷山考人が降矢邸にやってきた。それなりに急いで来たようだ。夜中だというのに双子の為に迅速に動く行動力はどこから湧いてくるのだろうか。
庭に倒れている平太郎と、横に転がる壊れた番傘を見て、稲荷山は事態が考えていたよりも重いものだということを理解した。
庭に駆け出し、平太郎の近くに寄る稲荷山。
「おい!平太郎!…って血ッ!?」平太郎のジャージの腹部は黒く滲み、今もなお滲みは広がりつつあった。
「その声…考人坊ちゃんですかい…?」
傘骨の折れた傘次郎が力なく声をあげる。
「お前、傘次郎か!?一体何があったんだよ!」
「大変でさぁ…、奴等が…赤坊主と青坊主が…この町に…」
「何だって!?い、いやそれよりお前も平太郎も酷い怪我じゃないか!
すぐに千里さん呼ぶからな!」
すぐさま千里へと連絡をして、事情を説明する稲荷山。あまりの狼狽ぶりに、双子は何か大変なことが起きているのかと心配そうに彼を見た。
「てんぐかめん、だいじょうぶなの?」
「きゅうきゅうしゃ、よばないの?」
稲荷山は困ったように頭を掻き、「ま、いいだろ」と呟いて双子に向き直った。
「こいつも妖怪だ。見ての通り天狗。あの傘も、妖怪だ。
だから、救急車は意味がないんだ」
そう言って平太郎に手を当てて、自らの妖狐としての妖力を練り上げて移していく。
「俺のじゃ、あんまり合わないかも知れないけど…。我慢しろよ、平太郎」
天狗と妖狐では、力の源となる感情の種類が違う。唐傘化けのような位の低い妖怪ならば、ある程度どんな種類の妖気でもその身に溜めることが出来る。しかし、平太郎のような天狗や、妖狐、鬼といった大妖と呼ばれる種族には逆に妖気の相性というものが生まれてしまうのだ。
それでも応急処置くらいにはなる、と稲荷山は妖気を平太郎へと充てる。
傘次郎にも少量の妖気を与えたので、まだ骨は折れたままだがなんとか喋れるまでには回復したようだ。妖怪姿の唐傘化けの姿になり、稲荷山と平太郎の近くへと寄る。
「かたじけねぇ、考人坊ちゃん。あっしが不甲斐ねぇばっかりに…」
「傘次郎、お前も大怪我なんだ。じっとしてろよ」
双子がまだ心配そうに平太郎たちを見ている。稲荷山は、平太郎を千里に預けたあとも少しこの家に残って双子達を安心させてやらないといけないなと考えた。
○ ○ ○
降矢邸の庭先に、一陣の風と共に大きな獣が降りる。
乗用車程度の大きさを持ったそれは猫塚千里の妖怪姿だった。そのヤマネコの姿でうろな町を駆けてきたというのだろうか。「さすがに千里さんも焦ったんだな」と稲荷山は言ったが、その考えは間違いであったとすぐに思い知らされることになる。
「運ぶのにはこの姿の方がいいわ。ちゃんとこの家に入ってから変化したわよ?」
「何でそんなに飄々としてるんだよ千里さん…、平太郎、ヤバイんだぜ」
「あら、大丈夫よ。ちゃんと考人が処置してくれてるから何とかするわ。
くるみちゃん、みるくちゃん、お邪魔したわね」
そう挨拶された双子は、稲荷山の後ろにとことこ回りこんで、彼の服の裾を掴んだ。どうやら、いきなり来訪した大きなヤマネコに驚いているらしい。
千里は「あら」と一声あげて、いつもの人間姿へと変化した。
「ほら、一度会ったでしょう?覚えていないかしら?」
「あ、ねこのおねーちゃん」
「うん、まえにあった」
「千里よ。二人も可愛らしい子猫ちゃんなのね」
「……どうしてしってるの」
双子が稲荷山の服を強く握りなおす。千里は面白そうにニヤリと笑って言った。
「おねーさんは何でも知ってるのよ」
わざわざ双子を怖がらせることもないだろうに、と稲荷山は思うが、それを口に出すと自分の身に千里から人為的な不幸が降ってくることは明白だったので、何も言えなかった。それに、彼は平太郎に妖力を分け与えてひどく消耗していたのだ。
余計な仕事を増やしてくれる、と内心毒づきながら彼はお決まりの「不幸だ…」というフレーズを心の中で呟いた。
千里はふたたびヤマネコの姿になり、平太郎と傘次郎をその背に乗せる。立ち去る間際に、稲荷山に一言「明後日の夜、サツキちゃんを連れてクトゥルフに来なさい」と言い残してその場を去った。
裏路地を走りぬけながら、千里は傘次郎に事情を聞く。平太郎に因縁のある妖怪が、このうろな町に迫っていると言うのだ。
赤坊主と青坊主。それらの妖怪を、千里は良く知っていた。平太郎の父である大天狗に重症を負わせた大入道である。平太郎からしてみれば、親の敵とも言える相手だ。
「今の平太郎じゃ勝ち目はないわね」
おおよその事には傍観を決め込んで高みの見物をする千里だが、今回ばかりはそうもいかない。平太郎が倒れてしまっては、誰が自分に娯楽を提供してくれるというのだろうか。
「平太郎にはまだまだ楽しませてもらわなきゃいけないの」
「姉御は兄貴が心配じゃないんですかい?」
「これくらいなら、家に帰れば大丈夫よ。
約束するわ。おねーさんに任せておきなさい」
「へい、姉御は嘘はつきやすが、一度交わした約束は破りやせんからね……」
「ええ、だから安心して休みなさい」
「へい、では、失礼して……」
傘次郎はそのまま千里の背の上で意識を手放す。
平太郎と傘次郎を乗せたまま、千里は深夜のうろな町をひっそりと駆けた。
その顔には、平太郎と傘次郎を傷つけられたことに対する、静かな怒りの表情が浮かんでいた。
暗い暗い。重い重い。
でも、大丈夫です。こんな雰囲気を打破してくれるキャラが
次に控えていますから!