1.決行日
五歳になる愛娘への誕生日プレゼントは、赤い石をあしらったバレッタだった。ルビーでなければガーネットでもない。安物の人工宝石だが、これでも今の我が家にとっては高すぎる買い物だった。
「おとうさま、おかあさま、ありがとうございますっ!」
ふっくらした頬を赤らめながら、頭を下げる我が子。この子にとっては、宝石の価値などどうでもいいのだろう。キラキラと輝く瞳で手のひらのバレッタを見詰めている。
「こちらにいらっしゃい。着けてあげるわ」
「はーいっ」
妻が娘の髪を優しく梳かす。私はその光景を見ながら、不味いワインを飲んでいた。バレッタを買う金があれば、もう少し上質なものを仕入れられたかもしれないのに。そう思ってしまう私は、父親として最低だった。
本当は誕生パーティーなど開くつもりはなかった。この家に無駄金を使う余裕などない。だが、妻や使用人がこの日のために費用を捻出していたと知り、複雑な気持ちになった。
「ふふ。とっても似合ってるわよ」
「ほんと? ……じゃなくて、ほんとうですか?」
「今日くらいは普通にお話してもいいわ」
「……うん! みてみて、おとうさま!」
母譲りのキャラメルブロンドを後ろで束ねた娘が、こちらへ駆け寄ってくる。
「可愛いよ、セレナ」
「ふへへっ、ありがとう!」
心にもないことを言うと、娘は頬に両手を当てて恥じらっていた。
だが今の私に娘を愛でる余裕はない。
今夜、私はこの家を出て行く。そして他国で第二の人生を歩むつもりだ。
そのパートナーとなる女性は、大手商会の愛娘だった。夜会で偶然出会い、意気投合して恋に落ちた。
私の素性を明かすと、彼女は同情して寄り添ってくれた。
没落寸前の男爵家を継ぐことになり、心身が疲弊していた私にとって女神のような存在だった。生まれて初めて燃えるような恋をした。焼け付くような愛に目覚めた。
妻も愛してはいるが、親同士が決めた結婚相手だ。恋愛感情というより親愛に近かった。
そして私をこの家から、この国から連れ出すと約束してくれた。
私は悩みに悩んで、彼女の手を取る決意をした。献身的な妻とまだ幼い娘、それと今もこの家に仕えてくれる使用人たちを見捨てるのは心苦しい。だがそれ以上に、楽になりたい気持ちが勝ったのだ。
後先を考えることなく私はあらゆるものを捨て去り、愛へと逃げた。
それが、取り返しのつかない事態を引き起こすとは気付かずに……