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019:追者・王決

「忙しねぇなぁ……あいつ」



 受付台の上で頬杖をつき、宿屋の主人が独り言ちる。

 度々宿を利用し、その上長期の宿泊で多くの金を渡してくれた上客の旅立ちに、何とも言えない寂寥感を抱いていた。


 もう二度とこの宿を使う事はないのではないか……そんな漠然とした予感がしていたからだ。



 男の事情は少しではあるが知っていた……いや、街で聞く噂や伝聞から察したと言うべきか。


 現代では世に二つと無い〝天職〟の持ち主で、名の印象の悪さとは裏腹に優れた能力の持ち主。

 冒険者に属していた頃は、本人の目立ちたがらない、そして怠惰な性格も相まって前に出ず味方の支援に徹した役割を担っていた。


 だが、世間の人間の大半はそれに気付かない。

 影で支えられていた事も知らず、ただ突っ立っているだけで何をしているかもわからない不気味な男。偶に何かしたとしても、【呪い】などという気味の悪い力を使って他者を苦しめる、関わりも持ちたくない存在としか認識できない。


 そうして理不尽に嫌われ、理不尽に追い出された悲しい男。そういう風に宿屋の主人は受け止めていた。



「餓鬼の頃からの付き合いだが、あいつが気を楽にしてるところなんざ見た事ねぇしな……他所に行って、もうちっと落ち着いた暮らしができりゃいいがな」



 友人とまではいかなくとも、それなりに親しみがあると自負している知り合いとの別れ。

 今後二度と会う事が叶わなくとも、遠く離れた知人の平穏を願わずにはいられない。


 連れの三人が何かいい仕事でもしてくれればいいのに、とそんな事を考えつつ、次なる客が来る事を待って椅子に腰掛け寛いでいた時だった。



「ーーーおい、お前。ここにラグナって名前の不細工が来なかったか」



 不意に、そんな乱暴な口調で話しかけてくる者の姿を視界に捉え、宿屋の主人は眉間にしわを寄せて視線を上げる。



 そこにいたのは、全身真っ黒の人影だった。

 艶やかに光る、刺々しい見た目の漆黒の鎧を身に纏い、がしゃがしゃと耳障りな音を響かせる男。顔まで面に覆われ、実際の身長や年齢や正確な声の若さやすら把握できないほど隠されている。


 ただ、面の奥から覗く強い視線だけはよく見えて、宿屋の主人は胡乱げな顔で鎧姿の男を見やった。



「何だお前、いきなり来て随分偉そうに……もうちっと年上に対する礼儀を学んでから尋ねやがれ。胸糞悪い」

「うるせぇ! ……もう一度だけ聞くぞ、ラグナはどこだ」



 億劫そうに主人が答えると、鎧の男は一瞬声を荒げ、すぐに体裁を気にするかのように抑揚のない口調に戻る。


 顔が見えないため判別できないが、間違いなく初対面だというのに、あまりにも礼儀を欠いた無礼な話し方。

 客にはなるべく穏やかに対応する事を心がけている宿屋の主人だが、鎧の男の態度はそれでも気に入らず、ちっと舌打ちをこぼしてから視線を逸らす。



「……知らねぇな、そんな奴は。知ってたとしてもここは宿屋だ、客の情報を簡単にてめぇのような礼儀知らずに明かすわけねぇだろうが。わかったらさっさと失せーーー」



 しっ、しっ、と手を振って退出を促した宿屋の主人。


 だが不意に、彼は猛烈な息苦しさと浮遊感に襲われる。

 突如ぐっと距離を詰めてきた鎧の男に首を強力に掴まれ、狩った獲物か何かのように空中に持ち上げられたからだ。


 宿屋の主人はいきなりの事態に困惑し、自分の首を掴む手を外そうと四苦八苦しながら、鎧の男を睨みつけた。



「がっ……!? て、てめぇ! 何のつもりで……ぐぅぅ!」

「俺の質問に答えろ、屑。ラグナはどこだって聞いてんだよ……この汚ったねぇ宿に泊まった事はわかってんだよ、さっさと吐け!」

「だ、だから客のことを俺が話すわけ……がはっ!」



 拒否しようとすると、万力のように首を掴む力が強くなる。骨が軋むような音が聞こえてきて、宿屋の店主の思考は恐慌状態に陥り出す。

 もがき苦しむ主人を見上げ、鎧の男は平然としたまま声も出さない。その姿は、まるで路傍の石でも手にして掲げているかのような、冷徹で無関心な目を向けているように見える。


 話すまいと抗う宿屋の主人であったが、やがて意識がふっと遠くなりかけると、観念したように叫び出す。



「こ、ここにはもういねぇ! 旅立ったよ! ど……どこに行ったかまでは知らねぇ! 離してくれぇ!!」



 宿屋の主人がそう叫んだ直後、鎧の男はやっと手を離し、主人を塵でも捨てるようにそこらに投げ捨てる。がしゃん、と受付代の向こうの小物が破壊されようと、全く構う様子を見せない。


 げほごほと咳き込む宿屋の主人を背にし、歩き出した鎧の男は一人、虚空を見据えながらくつくつと声を漏らしてみせる。


 兜の奥から覗く、不気味な目の光を揺蕩わせながら。





「待っていろ、ラグナ……この恨みは必ず果たしてやる。精々怯えながら最期の時を待つんだなーーー!!」



          ◇  ◆  ◇  ◆  ◇



「……ほ、報告は以上にございます」



 玉座の前で跪き、ガゼフは顔中にびっしりと冷や汗を噴き出させながら首を垂れる。


 国にとって最重要人物である〈呪法師〉ラグナとの再接触に成功し、再び所属できないかの交渉を行ったものの、即座に拒否されそれに素直に頷かざるを得なかった。

 そんな情けない報告を王に提示しなければならないという重圧で、ガゼフの胃はきりきりと痛みを訴えていた。



「……あの男は、今後どこへ」

「は、後に部屋の外で会話の様子を伺ったところ、隣国へ渡る準備を行うと……彼の性格からして、もうすでに出立しているかと」



 王は顔を手で覆い、唸り声のような溜息をこぼす。彼の胃もまた凄まじい痛みを訴え、この状況を何とか脱却できないものかと叫んでいる。

 しばらくの間沈黙し、項垂れていた王は徐に手を下ろすと、自身を不安げに見上げてきている禿頭の巨漢を睨みつける。



「やってくれたな……まさか最悪と思っていた事態のさらに下が存在しているとは。私の赦しを受けて尚、このような事態を引き起こした事に対する言い訳はあるか、ガゼフ・ロギンス」

「……返す言葉もございません」

「殺しておけばよかったのだ、女一人……そうしていればまだ穏便に解決していたやもしれんのに、ここまで話を拗らせおって。辞任だけでは済まんぞ、ガゼフ・ロギンス」



 部下の暴走を目の当たりにし、感情のままに殴り飛ばして追い出した。それでもう二度と関わる事はないと、それ以上の最悪の事態を想像する事なく都合のいい未来だけを期待した。

 その結果がこの状況だと、ガゼフは血が滲むほどに歯を食い縛り、拳を握り締める。


 不意に、ぶつぶつと呟く王に目をやったガゼフは、重い口を何とか開いて恐る恐る声を掛ける。



「王よ、恐れながら申し上げます。最早ラグナに接触する事は避けるべきかと……すでに組合を含めた多くの組織に不信感を抱いている以上、無理に引き止めようものなら今度は本気で怒り狂ってもおかしくはないかと……」

「では、このままあの〝力〟が他国へ渡るのを指を咥えて見ていろと……!?」

「そうしなければならないほど、亀裂は深いものと思われます。私にはもう何を言う資格もありませんが……これ以上のラグナへの刺激は、逆効果になるかと」



 自身に向けられたラグナの拒絶の態度、心底どうでもよくて興味の欠片もないといった冷たい眼差しを思い出し、せめてもの王への注意を促す。

 ここまで失敗した自身の言葉を聞き入れて貰えるだろうかと戦々恐々としながら、じろりと鋭い目を向けてくる王の反応を待つ。


 王はしばらくの間また黙り込み、やがて深く思い溜息を吐いて、玉座の背凭れに凭れかかって告げた。



「……わかった、下がれ」



 気怠げに手を振り、視線を逸らした王はそれ以上何も言わなくなり、天を仰いで動かなくなる。

 ガゼフは内心怯えながら、どこか老け込んだように見える王に再度深く頭を下げてその場から立ち去る。何度も後ろを気にし、立ち止まって振り向きながら、自身に興味をなくした王の前から姿を消した。



 自分以外に誰もいなくなった玉座の間で、ガゼフは一人瞠目する。

 そして、かっと目を開くと自身の傍に向けて声を発した。



「……影よ、ここへ」

「は」



 王のすぐ後ろに、黒い影が降り立った。

 全身を漆黒の装いで覆い、顔も分厚い布で隠した男かも女かもわからない細身の人間。


 その者は王を守護し、任務をこなす秘密の存在。

 諜報活動に護衛に伝令に影武者に暗殺まで、命じられれば必ず何でもやり遂げる役目を担った、〝影〟と呼ばれる臣下である。



「確かにあの男の〝力〟は人の手に余る物……本人の気紛れで、味方にするつもりで甚大な被害を齎しかねん、災害のような〝力〟だ」

「は、仰る通りで」

「手元に置いていても、またいつか現れるやもしれん愚か者の所為で食い殺されかねん……だが、他所にいても同じとは限らん。異なる環境を気に入るやもしれんからな」



 静かに頷く影に向け、王は険しい表情で虚空を睨み、ぶつぶつと考え込むような態度と共に呟く。

 その目に宿る、爛々としたどこか危険な雰囲気を醸し出す光を見せつけて、王はある決定を下す事にする。





「首輪を付ける事が叶わぬのなら……始末してしまった方が後顧の憂いも絶てようーーー何をしてでもいい……〈呪法師〉ラグナを殺せ」





 その命令を聞き届けた影は、こくりと小さく頷くと、現れた時と同じように音もなく闇の中へと消えていった。

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