018:客人・潮時
「……引いたか?」
黙り込んでしまった三人娘に尋ねてみると、何とも言えない反応が返ってくる。
そりゃあ……こんな胸糞悪い話聞かされていい気分にはなるまい。俺だってできるだけ話したくはなかったし。
だが忘れるなよ……有無を言わさず聞いてきたのはお前らだからな?
「……あんたはその、お父さんを呪って、その所為で自分も呪って、不老不死になっちゃったの?」
「不老不死……って言っていいのかは知らんが、まぁ大体そんな認識でいいと思うぞ。あぁでも、一応不老ではないのかね? ここまで年はとってるわけだし」
ぶっちゃけどこがどうなってこんな体になってるのか、親父を谷に捨てちまった今、俺が掛けた【呪い】がどうなってるのか見当もつかない。
見つけた所で、未熟な俺が掛けた呪いをきちんと解けるのか、わかりゃしねぇがな。
「それであんたは……お父さんが受けてるものと全く同じ苦しみを受けてるって事なの……?」
「まぁ、な。だが正直今はあんまり感じないな。時たま頭ぇな、とか腹痛ぇな、とか思うくらいか」
「……本当に、痛くないの?」
「そういう感覚が、俺の方が先に壊れちまった……いや、もともと壊れてたのかもしれねぇな」
正直、親父を呪った時以外のことはあんまり思い出せねぇ。こいつらに語るまでちょっと忘れかけてたぐらいだし。
親父の断末魔は結構鮮明に思い出せるんだが、どんな顔だったかとか、お袋の顔もあんまり思い出せないんだよな。
親すら呪って、顔すら覚えてない碌でもない餓鬼……それが俺だ。我ながらどうしようもねぇな、はっ。
「……どうした? 今更になって俺の奴隷になった事を後悔してるのか?」
「そんな、事は……」
「まぁ仕方がねぇよ、俺がお前らなら関わりたくもねえ悪魔みたいな存在だ……そうだな、条件付きでお前らを全員解放してやってもいい」
三人娘は俯き、黙り込んでしまう。下手な事を言って自分も呪われたら、なんて考えてるのかもしれない。
暗い雰囲気になった三人娘を見ていた俺は、ある事を思いつく。
元々俺は、こいつらを買うつもりなんかなかったんだ……だがギルバートの奴が報酬を出すからとほいほい乗っちまったから、こいつらにあんなものを見せる羽目になった。
そろそろ潮時だ。こいつらともいい加減、縁ができる前に別れを済ましてしまおう。
「解放って……神様、私達はーーー」
「俺がお前らを買った時は、ギルバートにかなり値下げしてもらった。お前らが本来の値段の金を用意したら、奴隷の呪いを解いて自由にしてやろう。嬉しいだろう?」
繋がりは、薄いうちに解消しておいたほうがいい……間違っても友達やら仲間やら家族やらなんざ作るべきじゃない。
……あの阿呆に追い出された時も、どうでもいいと思いながら虚しさを覚えていた。またこうなるんだなって、落胆を覚えていた。
最初から持てるはずがなかったものを求めても、俺の場合はいつか失われるのが確定している。
血の繋がった父親を呪って、その罰を受けた俺には……永遠に孤独に生きねばならん俺には、知り合いさえいない方がいいんだ。
「あんたね……!」
アリアはまだ文句があるのか、険しい表情で俺を睨みつけてくる。
何が不満なのか……買われた時の額じゃなければ嫌だったか? だったらこれからもうちょい交渉でもして……。
と、思ったんだが。
俺が口を開こうとしたその直前、俺達が今いる部屋の扉が何者かに叩かれる。
そんで、この宿屋の親父の声が聞こえてくる。
「ラグナ……お前に客だぞ。ここにいるのはわかってるから呼んでくれって、しつけぇんだが」
「あ? 俺に客? 誰だ?」
「さぁ……俺は会った事のない奴なもんで。ただどっかの組合のお偉いさんみたいだぞ」
組合のお偉いさん……で俺が知ってる奴といやぁ、一人しかいねぇな。
だが、あのおっさんがわざわざこんな所に? 忙しい身のはずのあいつが、どうしてまた?
……面倒臭ぇが、居場所がばれてるんじゃ放っておく事もできねぇな。宿屋の親父に迷惑もかけたくねぇし。
「わかった、今行く。……お前ら、話の続きは後だ。部屋に戻ってろ」
「ちょ、待っ……!」
慌てて追いかけて来ようとしたアリアを無視し、俺は部屋を出て、宿屋の親父の案内についていく。
客用の部屋の前を抜けて、入り口まで到達してから……俺は思わず、げんなりと心底嫌な顔になってしまう。
「ーーーラグナ……! ここにいたのか、この野郎!」
入り口に立っていた、禿頭の巨漢。
鍛え上げた筋骨隆々の体を冒険者組合の制服で包んだ、歴戦の戦士もかくやと言わんばかりの威圧感を放つ男。
この国の冒険者組合の組合長、ガゼフ……何とかだ。
……予想通り、また面倒臭い奴が訪ねて来やがったなぁ。
「組合長……何の用ですか」
俺は心底げんなりした顔で、俺を訪ねて来た巨漢を見やる。
どうやってここがわかった? 宿屋の親父は口が硬いから違うし、三人娘は基本俺と一緒にいるし……誰が俺の居場所を教えた?
また宿変えにゃならんかねぇ……いっそ別の国に移った方がいいかもしれんな。
「ラグナ……本当に悪かった! あの女の所為でお前のはとんでもない不快感を与えた! 心から詫びる、本当にすまんかった!!」
「あぁ、そういうのいいんで。あんた自身に何かされたわけじゃないんで、謝罪はいいわ」
謝るべきはあの元新人ちゃんだし。逆恨みで刺されたけど、しかも俺が昔作った短刀で。
ていうかあの子、俺を追い出した後何があったんだ?
異様に汚くなって、擦り切れた襤褸を纏ってたし……組合を辞めて無職になったのは大体察せたけど。
「……あんた、あの子に何したの? あの時あんたいなかったけど、何がどうしてああなったわけ?」
「……一から説明させてくれ」
深々と頭を下げたまま、組合長は話し始めた。それによるとーーー。
俺が元いた班の〈僧侶〉ナナハと同じ宗教に入信していた元新人ちゃんにとって、〈呪法師〉……あの子は最後まで〈呪術士〉と誤認していたけど……の〝天職〟を持っていた俺は常に嫌悪の対象であったらしい。
自分の手で排除してやりたかったが、妙なところで常識的というか小心な元新人ちゃんは、人殺しまではやりたくなかった。
そして代わりに、《暁の旅団》の面々が俺を嫌っている事実を利用し、冤罪をでっち上げて俺の評価を捻じ曲げ、組合から追い出そうと試みたのだ。上に報告する事なく、独断で。
それに怒った組合長は元新人ちゃんを殴り飛ばし、強制的に解雇した上で組合から追放。方々に部下を散らばせ、自らも動いで俺を探していたんだとか。
当然、職員の個人的な感情で何の罪もない一冒険者を排除できるはずもなく、書類上はまだ俺は組合に所属しているらしい。
……何というか、同情するわ。
部下のやらかしで滅茶苦茶振り回された、不憫な上司の姿がこれでもかと想像できる……流石に今のこいつには何も言えねぇ。
「聞いてみると、あんたの責任はないんじゃ……あ、いや、そんな性格に問題持った女を雇ってた責任自体はあるか」
「あぁ……あいつが権力者相手に猫を被るのが上手かった所為もあるが、慢性的な人手不足の所為もあってな。多少の問題は教育中に矯正すりゃいいと高を括ってたのが間違いだった」
「……組合ってそんな激務なの?」
「基本的に学のねぇ冒険者の相手を好んでしたい奴なんて、ほとんどいやしねぇよ」
うん、だろうね。
冒険者って基本的に礼儀知らずの粗暴者だもんね。
正直俺も、昔あの阿呆に縋り付かれて根負けするまでは、冒険者なんざ関わりたくもなかったし。厄介者だとわかって近付く奴なんざいねぇわな。
ただまぁ、一攫千金を目論んだ馬鹿と英雄の存在を期待する馬鹿が一定数いるってんだから、需要には終わりがないだろうが。
元新人ちゃんも、〝天職〟餅に過剰な期待を寄せた馬鹿の一人だったってところだろうな。
「俺はあの女が二度とお前に……いや、冒険者そのものに関わる事が今後二度とないよう、関係各所に徹底的に情報を送った。その影響で、近場の宿も飯屋もあの女を雇うような愚行は犯さなかった。……だが」
「追い詰めすぎちまったのかもな……そんで、俺に全ての責任を押し付けた」
「……締め出したと言っても、街から追い出すだけで他所に移れば十分生活できるようにしていたんだ」
そんだけこいつがあの子に対して激怒したって事なんだろうが……ちっとばかし見通しが甘かったな。
追い詰められた人間……それも性根が腐った種類の輩ってのは、後がないとわかると恐ろしい事をやらかすもんだ。
それを予想しろってのも、ごく一般的な人間の感性を持つ奴らには酷な話だがな。
「……で? 本題は何だ? そんな報告だけをする為に、ここまで俺を追って来たわけじゃないだろ?」
俺はそう、答えのわかりきった質問をする。
こいつの立場もわかる……冒険者組合は荒くれ者共の集まりだが、国にとっては欠かせぬ役割を担った組織。
その頭を務める男に課せられる責任は重く、何らかの問題を起こせば最も責められるのはこいつだ。例えそれが、所属する個人同士の諍いであったとしても。
俺のように、国を相手に契約を交わした人間との間に起こった問題なら、なおさらだ。
「……戻って来てくれる気はないか?」
「悪ぃ、ないわ」
組合長はそのまま「そうか……」と小さく呟くと、それ以降何も言わなくなってしまった。
なんか……ごめんな、期待通りじゃなくて。
でもな、俺ももう面倒事に巻き込まれるのは御免なのよ。
「……王に伝えとけ。今回の一件は馬鹿な国民の一人が引き起こした事態で、組合長に責任はないって。俺が言った言葉だから無視するなよって」
「……感謝するぞ、ラグナ」
もう一度、項垂れた状態からさらに深く頭を下げた組合長に向けて、俺は心からの同情とともに言葉を送る。
とぼとぼと切なげな背中を見せて去っていく組合長を見やって、俺は深い深い溜息をこぼしたのだった。
……組織の長って、本当にしんどいんだな。
知り合いとのけじめをつけて、俺は借りた部屋に戻る為に通路を進む。
いやしかし参った……ここを知られるとはな。
知り合いにこの宿の存在を知らせた事はねぇし、俺が入るところも誰にも見せた事はなかった。だから長い間ここで寛げていたわけだったのに……まったく。
だが、俺の居場所が他人に知られた以上、このままじゃいられない。さっさと行動すべきだな。
俺はやや早足になり、部屋に向けて急ぐ。
すると、ずっと部屋で待っていたらしい三人娘が扉の前に立って出迎えて来て、俺にどこか不安げな視線を向けてくる。
「……話は終わったの?」
「あぁ、特に問題なくな。ただこの後が面倒臭くなるかもしれねぇけど」
……この際だ。さっき話した解放の条件はなかった事にして、こいつらを置いていくか?
次の寝床も未定なままだし、迂闊に足をつけるとどっかでまた居場所を知られるかもしれん。そうなると日銭を稼ぐのもままならなくなるやもしれん。
だが……十分な蓄えもないのにこいつらを捨てていくのは、ちょっとばかし後味が悪いな。
はぁ、仕方がねぇか。
「……早速で悪いんだが、行くぞ。移動の準備をしろ」
「え? 移動って……」
「宿を変える。ここはもう組合に知られちまったからな……他にいい場所があったかどうか」
取り敢えずの目的は寝床の確保だな。
飯は俺には必要ねぇし、習慣で食ってるだけだし、こいつらの分ぐらいならなんとか確保できる……と、思う。
最近よく食うからな、こいつら。
「ちょ、ちょっと待ちなさいよ! 組合って……どこの組合よ? 何でそれで移動……しかもそんな逃げる風に行かなきゃならないのよ?」
「こちとら、折角自由になった身だ。柵は少ない方がいいの」
「柵って……あ、ちょっと!」
騒ぐアリアを無視し、俺は部屋に入って部屋の隅に置いておいた荷物に手を伸ばす。大して中身は入っていないが、割と危ねぇものも入ってるからしっかり持っとかねぇと。
さっきレッカ達が教えてくれた阿呆の事もあるから、行き先と時間は少し考えにゃならんな。
さっきの元新人ちゃんの件もある。あの子みたいに身勝手な逆恨みでこの場に乗り込まれようものなら、宿の親父にも三人娘にも迷惑がかかるだろうし。
人間が馬鹿なのはわかりきった事だが、やっぱり何十何百回経験しても慣れんな。阿呆らしい。
「……さて、三人娘を待つか」
ぶっちゃけさっさと行きたいから荷物纏めを手伝いたいところだが……一応、あいつらは女だからな。
男が女共の荷物に触れるわけにもいくめぇ……特に俺のような輩には。
扉の横に立ち、ぼんやりと佇んで時を待っていると、やがて少量の荷物を持ったアリア達が顔を出して来た。
「……準備できたわよ。ねぇ、本当に逃げるの? 何も悪い事してないのに……」
「あぁ、思っていた以上に面倒臭くなりそうだからな」
「面倒臭いって……そんな理由で」
「俺が行動する理由なんざ、その程度の事だ。お前らを引っ張り回す事になって申し訳ねぇとは思うが、俺じゃなくて俺に買われた因果を恨んでくれよ」
その気になれば因果も弄れるが、色々と面倒な事をせにゃならんからやりたくない。
それに、嫌な事が一々あったからって〝力〟を使うのも考えものだ。我儘な餓鬼じゃあるまいし、癇癪起こすような仕様もねぇ様は晒したくないしな。
あ~あ、完全に人との縁も切り離しちまえればどんなに楽か……だが、そこまでやれないのもわかってるから難儀なんだよな。
「さて、行くぞ。取り敢えずは東だ。隣国との国境がここから一番近い」
「別の国に行くの!? そこまでやる!?」
「会いたくねぇ……ってか今後二度と関わりたくねぇ奴ができちまったからな。隣国にゃここ数十年行ってねぇし、知り合いも今じゃそんなにいねぇから気楽に暮らせそうだと思ってな。ほれ、行くぞ」
困惑……いや、物言いたげな表情で俺を見てくるアリアの背を押し、宿の出入り口を目指す。
お前らの意思を聞きもしねぇで決めてる事は悪いと思ってるよ。だが今回は本気で面倒臭い事態だからよ、迂闊に近づかねぇ方が賢明なんだよ。
そして、そんな気乗りしない様子のアリアの隣で、不意にシェスカは憂いを帯びた表情で溜息をこぼした。
「か……いえ、それがあなたの意思なら従うまでです。行きましょう、アリアちゃん、ルルちゃん」
「……にぃといっしょなら、どこでもいい」
「なっ……くっ。あぁ、もう、仕方がないわね」
二人が共に旅立つ意思がある事を示すと、アリアはしばらく逡巡する素振りを見せてからがっくりと肩を落とす。
思っていたより素直に頷いてくれて嬉しいよ……次はもうちょっと平和に過ごせるようにするから。
そのうち別れる日が来るまでには、お前らがそれぞれで暮らしていられるようにしておいてやるから、それで許してくれよ。
……さぁ、あの阿呆に見つからねぇうちにさっさと退散しましょうかね?
「……あばよ」
俺は一言、この国の何処かにいるであろう元仲間に向けて呟き、歩き出す。
もう二度と会う事はない……というか二度と遭遇する事がないよう願いながら、宿屋の親父に一言告げて宿を後にするのだった。
ーーーその後に訪れる、予想を超える最低最悪の再会の事など、微塵も想像する事なく。