016:感謝・急襲
「……嫌な再会になったわね」
遠ざかっていくレッカ達の背中を睨み、アリアが吐き捨てる。あいつらを見る目はもう、仇敵を見るかのような鋭い目だ。
いやしかし、なんでお前が怒るかね?
普通俺が皮肉を口にして憂さを晴らす場面だろうに、俺が話そうとした時機にこいつが怒りを露わにするもんだから、すっかり俺の感情の行き場がなくなっちまっただろうが。
……まぁ、すっきりはしたがよ。
「……俺の代わりに怒らんでもよかったんだぞ」
「! べ、別にあんたのためじゃないし! あ、あいつらが気に入らないから勝手に言っただけだし……!」
うん、だろうな。
連中の身勝手さには、傍目から見てても聞いてても苛立つだろうな。
ていうかそんなに腹が立ったのか……顔を真っ赤にして、そこまで怒られると逆に冷静になるぞ。
この一件の当事者俺なのに、全く関係のない他人の立場になった気分だ。
「あんたの方こそ、勝手な事を言われっぱなしで情けないのよ! ちょっとぐらい言い返しなさいよ!!」
「そう言われても……正直どうでもよかったしな」
「そんなわけ……!」
俺が連中にほぼ言い返さなかった事が、そんなに不服か……でもその機会奪ったのお前じゃん。
ごねられたり逆切れされたりしたら流石に俺も本気にならざるを得んが、今回は割とあっさり引き下がったからな。
向こうから突っかかってこない限りは俺も何も言わんよ……つーか単純に相手にするのが面倒臭い。
「アリアちゃん、その辺にしておきましょう。神様のお望みの通りでいいじゃないですか」
「だけど……! あいつらの所為でこいつは……!」
「ですがあの方達の愚行がなければ、私達も出会う事はなかった……そうじゃありませんか?」
……愚行っつった? 今お前、愚行って言った?
シェスカの奴……俺以外に対する発言がちょいと危なげになってきたか……やっぱりちゃんと矯正すべきだったかな。
「私はむしろ、あの方達に感謝しています。あの方達が罪を犯したおかげで私達は救われました……そしてあの方達も己の罪深さを知り、道を改める事ができた。喜ばしい事だと思いませんか?」
「……でも」
「あー、だからもういいって。気にするだけ無駄だ、無駄」
連中との関係はもうとっくに終わった事だ。今更気にして改善も何もねぇ。
この先関わらなきゃ、もう始めから何もなかったのと同じ事だ。考えるのももうなしだ、やめておこう。
「……にぃ、つかれてる?」
「あん? そう見えるか? ……いや、そうかもな。会いたくもねぇ奴らに会っちまったからかな」
ルルが俺の袖を引いて尋ねてきて、俺は大きく深く溜息をこぼす。確かに疲れたな、あいつらとの話は。
なんかもう、辛気臭い雰囲気になってきたな。
罪だの罰だの縋り付かれんのも鬱陶しいし、一々連中の事を面倒臭ぇよ。この話は終わりだ、終わり。
……それ以上に、ちょっと面倒臭い事態になってきたからな、そっちを考えにゃならん。
「……とりあえず、朝飯を終えて一旦宿に帰るぞ。少し今後の方針を考え直さにゃならん」
「う、うん」
「はい、神様」
「ん、わかった」
あいつら、面倒な情報を持ってきやがったな……あの阿呆がまた面倒事提げて向かってくるとか。
あの性格だし、自分が気に入らない邪魔者を排除してなお、自分がうまくいかないのを他人の所為にして逆恨みして来るのは十分ありえる。
顔を合わせないのが一番だな。知り合いにも一通り、俺のことは話さないように声をかけておくか。
俺は三人娘を引き連れて、おばちゃんに代金を支払ってから店を出る。
三人とも少し食べ足りなさげだったが、俺の事情に気を遣ってか何も言ってこなかった……なんだか悪いね、面倒事に巻き込んで。
「先に食料でも買い集めておくか……しばらく宿に篭って、ほとぼりが冷めるのを待ってーーー」
我ながら駄目な人間の暮らしに片足を突っ込もうとしているな、と思いながら今後の方針を考えていた時だ。
ーーー俺の前に、不意に一人の女が飛び出してくる。
なんとなく見覚えのある顔立ちに、汚れて草臥れた格好をしたその女は、黒く鈍く光る何かを両手で握りしめ、俺に向かってまっすぐに突っ込んでくる。
その煌めきが、刃物の放つそれである事に気づいたその直後。
ぐさり、と。
女が握る短刀の切っ先が、俺の腹を貫いた。
「……お?」
「ひ、ひひひひひ……!」
今何が起こった?
普通に宿に向けて歩いてたら……何か女が飛び出してきて、ぶつかって、何かが刺さって……あぁ。
俺、今刺されてるのか。
「きーーーきゃあああああああああ!?」
「神様ーーー!?」
俺が腹に刺さってる刃物に……なんか見覚えがある意匠の短刀に気づくと、俺の隣に回ってきたアリア達が騒ぎ出した。
うるせぇな……たかが刺されたぐらいで騒ぎやがって。
つーかシェスカ、お前そんな慌ててる割にはルルの目を塞ぐの忘れないのな。ありがたいけどよ。
「……そんでおたく、何してくれてんの? てか、誰?」
「あは、あはははははは!! やった、やってやったわ! 最高の気分だわあはははは!!」
急に俺を刺してきた女に聞いてみるけど、げらげらと狂ったように笑うだけで話にならねぇ。
そんで誰なわけ? 顔はこけてるし目は血走ってるし、格好は汚れまくってるし襤褸襤褸だし、こんな知り合いがいた覚えないんだけど。
何? 俺になんか恨みでもあった? あんたに見覚えなんて……ほんのちょっぴりしかないんだけど、本当に誰なの?
「何だこの女! 危ねぇぞ!」
「取り押さえろ! ラグナから引き剥がせ!!」
「あははははは……もう無駄よ! 無駄! その屑はもう助からない! 呪いの報いを受けた! 私をこんな目に遭わせた事を後悔して死ぬのよ! あーっははははは!!」
笑い転げる女を、周りにいた連中が戸惑いながらも取っ捕まえて、地面に押し倒す。本人も全然抵抗しなかったからあっさり捕まったな。
それでも笑うのをやめない女に、捕まえた連中がかなり引いてるのが見える……気持ち悪ぅ。
しかし、なんか滅茶苦茶恨まれてるな……あー、でもおかげでちょっとずつ思い出せてきた気がする。
確か冒険者組合で……受付やってなかったっけ?
そうだそうだ。あんまり顔を見た事ない新人ちゃんだったな……あぁ、そうだ。
勝手に俺を毛嫌いして、口座を封じた上に冒険者登録を抹消したんだったか。流石に腹が立ったもんで忘れてたわ。
「あ、あんた! しっかりして! 死んじゃいやよ、嫌ぁ!!」
「無駄だって言ってんじゃない! そいつは死ぬ! ただ死ぬんじゃないわ、呪われて永遠に苦しみながら終わるのよ! あひゃはははは!!」
「しゃべるな、こいつめ!」
「縛り上げろ!!」
俺がようやく相手の女のことを思い出してすっきりしてる間に、アリアが泣きながら俺の腹に手を当ててくる。
ちょ、やめて。そんなに強く押されるとさっき食った分が出てくるから、とんでもない事になるから。
……おっと、刺さってた短刀が抜けた。
ていうかこの意匠、やっぱ見覚えがあるんだよな……どこで見たんだっけ?
「無駄だって言ってんでしょぉ!? その短刀はねぇ、呪いの武器なの! 刺さった者に凄まじい苦しみを与えて必ず殺す最悪の凶器なの! あんたに復讐する為にね、必死になって探してきたの! どう? 苦しい? 苦しいでしょう、この屑野郎!!」
「……復讐って、俺を追い出したのあんたじゃん」
「煩いのよぉ!! あんたの所為で、私まで組合を追い出されて路頭を迷う羽目になったのよ! 死んで責任を取りなさい! あはははは!!」
うっわ、完全な逆恨みだわこれ……あの阿呆にばっか気を回してた所為で想像だにしなかったな。
……どうしよう、この状況。
新人ちゃん……いや、元新人ちゃんは完全に俺が死んだ感じで満足げに笑ってるし、押さえつけてくれてる奴らも焦りまくってるし、アリアは真っ青な顔で縋り付いてるし、シェスカはルルの目を塞いだまま絶望の表情になってるし。
俺、全然平気なんだけど。
「あんたみたいな屑が存在してる所為で、私達みんなが不幸になるのよ! さっさと死んで、絶望して、私の気を晴らさせなさい! あははははははーーーは?」
ずーっと小道良さそうに笑ってた元新人ちゃんだったが……次第に笑いが収まって、困惑の視線を向け始めた。
気づいちゃった?
俺が倒れもせず苦しみもせず、全く死ぬ様子を見せてない事に。
「……何でよ、何で死んでないのよ……!? 死ぬはずよ、尋常じゃない苦しみの中で死ぬはずよ!? そういう武器だって、ちゃんと試したのに! 何で死んでないのよ!?」
「あちゃー、巻き込まれた奴がいるのか。後で買った場所を確認しとかないと」
平然としてる俺に、アリアもシェスカもぽかんと呆けた顔を見せる。アリアなんか、涙と鼻水で顔中ぐちゃぐちゃになったままなんだが。
はぁ……と溜息をつき、俺は足元に転がった短刀を拾って、新人ちゃんの前に突きつけた。
「俺がかけた【呪い】が、俺に効くわけないじゃない。作ったやつの名前くらい調べてから使いなよ、お馬鹿さん」
「は……?」
「あと、この短刀にかけた【呪い】は苦しんで死ぬもんじゃなくて、呼吸器の機能だけを殺して窒息死させるって内容だからね? 昔の失敗作を持ってこられても恥ずかしいだけなのよ、悪いんだけど」
ずいぶん前に作って、要望と違ったから捨てたもんだったんだが……どっからどう流れてきたのやら。
もしかして俺の昔の失敗作、全部怪しい店に怪しい商品として流通してる? そりゃちょっと面倒だな。
「失敗……作……?」
「とりあえず、毛程も効いてないけど刺されたのは事実だから、騎士団あたりに突き出しておくわ。あとでこれをどこで手に入れたかとか聞かせてもらうから、覚悟しといてね。……連れてっといてくれる?」
「お、おぅ」
「わ、わかった」
女を押さえつけてる奴らに頼んで、連行していってもらう。
手伝ってくれる奴がいるとありがたいねぇ……俺はこっちで固まったままのアリア達をどうにかせにゃならんから本当にありがたい。
色々問い質されんだろうなぁ……教えてやらんと煩そうだ。気が滅入る。
しかしまぁ、俺を追い出したりしなきゃ、こんな事にならなかっただろうに……憐れだねぇ。
「うわ、一張羅なのに穴開いてら。気に入ってたのに、この服……」
朝っぱらから気分悪くなることが立て続けに起こるな……。
しかしまぁ……面倒臭い敵を作っちまったもんだな。
あの後あの女に何があったのかは知らんが、ていうか知りたくもないが、逆恨みでここまでされるとは思わなんだ。
女の怨讐は蛇の千倍とか聞くが、流石に理不尽と思わざるを得ねぇな。
「ーーーちょっとあんた! 何のんびりしてんのよ!? だ、大丈夫なの!?」
「あん?」
あぁ……こいつまだ混乱してんのか。
まぁ、刺された奴が苦しみもせずにぴんぴんしてたらそりゃ驚くわな。さて、どう説明するか。
「か、神様……!? て、手当ては……」
「別にいいよ。もうこれ塞がってるし、服だけ縫っときゃ大体元通りになんだろ」
お気に入りの服だったんだが、まぁ仕方ない。形あるものはいつかは壊れるもんだ。
……俺に関しては、いつまで続くのか見当もつかねぇけど。
「そんなの……そんなのありえないでしょ! 刺されて平気なわけないでしょ! あたし達に気なんて遣わないでよ! 早く傷見せて……!!」
「おっとと……」
いや、だから平気だってのに。
ていうか公衆の面前で脱がすのやめてくれんか、様子を伺ってた野次馬達がどよめいてるから。
しかしアリアの奴、相当慌ててるのか俺のいう事なんか全く聞きやしなかった。
……俺、一応お前らの主人だよね?
「早く……早く手当てしなきゃーーーって、何、これ」
服の前を開き、俺の腹を露わにさせたアリアは、刺された痕どころか血の跡もない事に困惑し、ぴしりと固まる。
正確には、ほんの少しだが穴があって血も付着しているんだが、周りの肉が勝手に盛り上がって穴を塞いで、血も勝手に消え去っていく。
アリア達が凝視する前で、傷跡は今度こそ綺麗さっぱり消えて無くなったのだ。
だから言っただろうが……大丈夫だって。
「そう騒ぐんじゃねぇよ。さっきも言ったが、あの短刀は俺が作ったもんで、ついでに【呪い】も掛けようとして失敗した出来損ないなんだよ。そうでなくても、俺が作ったもんで俺が死ぬ道理なんざねぇ、落ち着け」
「……え? え、え?」
「つーかそれ以前に……俺が刺された程度で死ぬなら、この三百年苦労はしてねぇんだよ。むしろ殺せるならやって見せて欲しいもんだ」
呆けて立ち尽くすアリアに、俺はやれやれと肩を竦めて告げる。
こいつらにとっちゃ初めての衝撃的な出来事だったかもしれんが……俺にとってはもう日常茶飯事なんだよ。
今時になって刺してくる奴がいるとは思わなんだ……昔散々国とか権力者とかに狙われてたが、俺がどうやっても死なねぇってわかったら途端に懐柔する方向に変えてきたからな。
王とか大臣とかが謙ってくる姿は、最初は割と気分が良かったが……今はもう鬱陶しいとしか思わんからな。
もうここ数年は色んな事に飽きてきたから、狙われた時にゃちょっと期待してたのに……がっかりだよ、元新人ちゃん。
「おいアリア、もう前を締めていいか? 寒いんだよ、人前でいつまで腹見せにゃならないんだ?」
アリアにそう言うと、そっと静かに釦を締める。なんか知らんけど俯いたままだが。
さて、こんな穴が空いたままじゃ落ち着かねぇし、さっさと宿に戻って穴塞ぐか……と、思ってたら。
それまで黙り込んでいたアリアとシェスカ、そんでルルが俺の服の裾を引っ張って引き止めてきた。
……え? 何?
「……説明」
「あ?」
「説明しなさいって言ってんのよ、この馬鹿!!」
きっ!と物凄い形相になったアリアが、俺の襟首を掴んで自分の方に引っ張って、怒鳴りつけてくる。
えぇ……説明しなかった事、そんなに怒ってんの?
「……取り敢えず、一回宿に戻っていいか。目立って仕方がねぇんだが」
俺はほほを引き攣らせながら、決して逃すものかとばかりに睨みつけてくるアリア……だけじゃなく困惑の視線を向けてくるシェスカに告げ、襟首からどうにか手を離させる。
まったく……逆恨みで命を狙ってくる女の相手より、荒れ狂う餓鬼を宥める方が大変だよ、畜生め。