012:仕事・意義
「―――よぉし、今日の狩場に着いたぞ。物音立てねぇようによぉく気ぃつけろよ」
「お、おぅ。わかってるぜ、兄弟」
薄暗い、霧が立ち込めた早朝の街。
比較的裕福な人種が住まう整然とした街の一角で、蠢く黒ずくめの男達の姿があった。
顔は覆面で隠し、全身を闇に紛れさせる黒の装いで統一した二人組。
息を潜め、一切の物音を立てぬよう細心の注意を払いながら、昼間のうちに目星をつけておいたとある金持ちの家の屋根に登る。
二人組の片割れは瓦屋根の上を慎重に歩き、家の裏に開かれた露台へと降り立ち、扉の前にしゃがみこむ。
「ぐずぐずするな、急げ」
「ま、待ってくれよ、兄弟……!」
二人は盗人であった。
さほど腕は良くなく、被害の数も少なく、庶民や貧乏人の家からわずかな金目のものを奪って逃げる小物であった。
しかし今では、最初に比べて腕は上がったはずだと自信をつけ、少しずつ裕福な家を狙うようになった最近噂になっている厄介者達であった。
そんな二人が此度に狙いをつけたのは、ごく普通の商人の家だった。
さほど有名でもなく、毎年平均的な量を稼いでいる、業界では中の下程度の金持ちの家で、二人にとっては十分な獲物であった。
「……兄弟、鍵がかかってるよ」
「慌てるな、何の為に今日まで俺が練習してきたと思ってんだ……どけ」
片割れが扉を開けようとして、びくともしない扉に焦りの表情を見せる。
反対にもう一人は冷静に、懐から取り出した二本の金属の棒を両手に持ち、扉の外に取り付けられた鍵穴に差し込む。
二本を別々に動かし、がちゃがちゃと小さな金属音を響かせ、中の仕組みを無理矢理動かそうとする。
「だ、大丈夫か兄弟?」
「うるせぇ、黙れ! ……集中してんだ、静かにしろ」
決して小さくない金属音がしばらく鳴り続け、不安になった片割れが不安げに尋ねると、もう一人は小さく怒鳴り返して鍵穴を睨みつける。
そうそて奮闘を続け、やがて鍵穴の奥からがちゃんと確かな手応えを感じる。
「……それ、急げ! さっさと目ぼしい物を頂いてとんずらするぞ!」
「お、おぅ!」
ぎぃ、と音を立てる扉を開き、二人は広い部屋に侵入する。
足音を立てぬようゆっくりと、しかし住人に悟られないよう急ぎ足で、仕事部屋らしい椅子や机や本棚が置かれた部屋を見渡していく。
「……! お、おい、あれじゃねぇか?」
「! あぁ、あれだ! よくやった……!」
そして、やがて盗人の片割れがあるものを―――部屋の片隅の隠されるように置かれた、黒い金属の箱を見つける。
それこそ金持ちがよく利用するという、大量の金を隠しておく為の金庫という道具である事を知っていた盗人達は、にやりと不敵にほくそ笑んでみせた。
すぐさま金庫の元へ向かい、目前でしゃがみ込む。
涎を垂らさん勢いで金庫を凝視し、取っ手部分に取り付けられた、鍵の代わりらしき金の装飾に手を伸ばす。
経験を経た盗人の勘で開けてみせる、と気合を入れ、宝が入った箱を開こうとしたーーーその瞬間だった。
バ リ バ リ バ リ バ リ ッ ! !
突如、装飾に触れた盗人の一人の全身に衝撃と痛みが走り、視界に無数の火花が散る。
何が起こったのかまるで理解できぬまま、盗人はどさっと床に頭から倒れ込み、動かなくなる。
「!? きょ、兄弟!? ち、ちくしょう……!」
俯せになり、びくびくと痙攣を繰り返す相棒の姿に、驚愕した片割れが困惑しながら抱き起こそうとする。
何が起こった、誰の仕業だ、どうすればいい、逃げなければ。
混乱する頭脳の片隅で、ここにいてはいけないと本能的な思考が芽生え、それに突き動かされるまま相棒を抱えて立ち上がろうとし。
「―――はい、逃がさんよ」
とん、と何か硬いものが額に当てられるのを感じ、盗人の片割れの思考が止まる。
直後、先ほどもう一人に襲いかかった一撃よりも強烈な衝撃と痛みが襲いかかり、盗人は白眼を剥いてその場に硬直する。
どだっ、と仰向けに倒れた男の側に小柄な人影が近づき、長く細い何かで盗人達の手足を縛り上げていく。
「……あんたのそれ、本当に理不尽すぎるわよね。触るだけで痺れてぶっ倒れるとか、どんだけ強力な【呪い】なのよ」
「こんなもん序の口だ。大した技じゃないから、その分安く提供してんだよ」
「これほどの力が序の口だなんて……やっぱり素晴らしいですね、神様」
「そういう賞賛はいらねぇっつっただろ……」
「……にぃ、ねむい」
「だから留守番してろっつっただろうが……」
盗人達を縄で縛り上げる三人の娘が、盗人達に〝何か〟を施した男に三者三様の視線を送る。
対する男は、三人の娘のどの言葉にも気怠げに溜息交じりに返し、ふわぁと大きな欠伸をこぼす。
目に滲んだ涙を拭いながら、男・ラグナは白眼を剥いて気を失っている二人組の盗人を見下ろし、やれやれと肩を竦めて語りかける。
「悪いね、他の家だったら成功したかもしれないのに、俺が気に入ってる店に盗みに入っちまうなんて……まぁ、運がなかったと諦めな。俺を敵に回しちまったんだから」
道場の視線とともに送られた言葉に、盗人達は沈黙したまま、何も反応を返す事はなかった。
◇ ◆ ◇ ◆ ◇
「―――やはり今日も現れましたか。毎度毎度お世話になっております、ラグナ様」
縄で芋虫みたいな様になった盗人共の上に腰掛け、一仕事を終えた三人娘と寛いでいると、騒ぎを聞きつけた今回の依頼者……光沢のある髪と髭が特徴的な男が近づいてくる。
俺の行きつけの雑貨屋を経営する商人で、国内でも一、二を争う……ギルバートを除いて有力な資産の持ち主だ。
温和な態度の上、屋敷もそれほど裕福には見えない為に勘違いされやすいが、実際はギルバートに次ぐ権力を誇っている恐ろしい男だ。
決して侮れるような中小企業じゃないんだが……この盗人共は見事に騙されたようだな。情報収集の時点でこの商人の本質を見誤ったか、馬鹿だなぁ。
「いつもながら見事なお力で、感服しない日はございませんな。……まぁ、此度の盗人は大した事のない雑魚でしたが」
「そうだな、果たして俺が必要だったのかどうか……」
人当たりの良さそうな顔で、なかなか辛辣な事を言う相手の商人に、俺も同意の言葉を返す。
【呪い】で予め罠を張って、獲物が引っ掛かったら即麻痺で止める。罠に引っ掛からなかった者には、俺が直接仕留めて捕縛する。ごくごく単純な仕事だ。
本音を言えば、許可なく関係者以外が侵入した時点で死ぬような術をかけておけば手間も省けたんだが、依頼者に拒否されたからこの手を使う事になった。
と言っても、あとで罰として奴隷に堕とされるんだから死んだ方がましだと思うがな。
ギルバートの弟子らしい、冷酷な考えで寒気が走るね。
「麻痺は半日あれば解けるから、その間に手続き諸々やっちゃって構わんよ。報酬はいつも通りの場所に振り込んでおいてくれ」
「畏まりました……例の場所に必ず」
「あぁ。……行くぞ、お前ら」
さて、と俺は盗人共の上から腰を上げて、三人娘の背を叩いて動くように促す。
今日の仕事はもう終わりだ。さっさと飯食って休むぞ。
ギルバートのところから宣伝用に安く買い取ってから、大体一、二ヶ月。
日々の暮らしで非常に助かっている……とは言い難いが、まぁ多少役には立っていると思う。あんまり難しい仕事はさせていないしな。
今回は盗人の捕縛役に丁度いいと思ってやらせてみたが、あんまり自分でやるのと変わらんな。
もうちょい手応えのある数だったならよかったのに……その辺は次回に期待するとしようか。
なんて考えながら、屋敷から出て通りを歩いていた時だった。アリアが躊躇いがちに、しかし思い口調で話しかけてきた。
「……ねぇ、この仕事に私たちって必要だった?」
「あ? あぁ、うんうん。必要だったとも」
「……それって、あいつらを縛っておいてくれる雑用係って意味で?」
おっと、どうやら仕事のしょうもなさにアリアは不満を抱いているようだ。
……まぁ、確かにぶっちゃけこいつらじゃなくてもいい仕事だったけどな。俺がやっても良かったけど、面倒だったしやらせたんだが。
「まぁ、いいだろう? 獲物はこんな雑魚だが、お前らにはちゃんと手伝った分の駄賃を渡すからよ。楽でいいだろ」
普通の奴隷に比べれば、破格の待遇だ。大抵が犯罪奴隷で、そうじゃなくても同類扱いされて、罰と称した過酷な労働でばたばた死んでいくのに比べれば平和な暮らしだ。
多少暇な事に目を瞑れば、嫌だなんて微塵も思わない恵まれた環境のはずだ。
実際、買った時に比べて三人とも年齢相応にふっくらしてきたし、血色も良くなってきた。こいつらにしちゃ、天国みたいな暮らしだろう。
……だが、アリアはなぜかいつも不満げで、いつも俺にもの言いたげな視線を向けてきている。
なんだ、なんか不満でもあるのか。
「私達、あんたの奴隷よね。なのにこれまでずっと、あんたの役に立てる事なんて全然していないわ……私達、何の為にあんたのそばにいるの」
「……アリアちゃん」
視線を落とし、居心地悪そうにしながら、アリアはそんな不満を口にする。
シェスカも咎めるように名を呼びながら、似たような表情で俯いている。考えている事は同じか? 役に立てていないのが嫌だってか?
……面倒臭い悩み抱えてんな、こいつら。
「忘れているかもしれんが、俺はお前らを望んで買ったわけじゃねぇ。お前らを購入した商人の頼み事で引き受けているだけに過ぎない……使わなきゃもったいねぇと思っているからちょこっと使ってるだけだ」
「……わかってるわよ」
不満げな顔を変えないまま、アリアは早足で歩き出し、俺を追い抜いてさっさと宿に向かって歩き去ってしまう。
その後をシェスカとルルが追いかけ、俺だけが取り残されるんだが……いや、俺を置き去りにしちゃ駄目じゃねぇのか。
「……もうちょい、奴らの気が済みそうな仕事を取ってくるか。面倒臭ぇな」
仕事の手伝いを嫌がられても面倒だが、働かなくてもいいのに働きたがるヤツらの相手も面倒だな。
そんな気にする事でもあるまいに、厄介な性分だ。
……こんな人間の役になんざ立つ必要ないだろうに、仕様のねぇ奴らだ。