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011:豹変・転嫁

「わぁああぁあぁぁああぁああぁあ!!!」



 凄まじい悲鳴をあげて、アレスは森の中を疾走していた。

 顔を涙と汗に塗れさせ、恥も外聞も打ち棄て、ただひたすらに草花や木の根が邪魔をする中を必死に走り続けていた。


 全ては……自身の背後から迫る、巨大な怪物から逃れる為に。



「ーーーグォオオオ!!」



 響き渡る咆哮、草木を薙ぎ倒す分厚い鱗に覆われた黒い巨体、地を割き踏み潰す巨腕と爪、唾液に塗れた短剣のような牙。

 森の中に暮らす全ての獣が恐れ戦く主、重地竜(グランドラン)と呼ばれる地を這う竜が、爛々と目を輝かせてアレス達四人を追いかけていた。



「ちくしょうっ! この馬鹿野郎め! よりによって森の主を怒らせやがったな!?」



 アレスの前を走るレッカが吐き捨て、冷や汗を垂らして目を吊り上げる。

 すぐそばを走るリリィとナナハに目をやりながら、最も遅れているアレスに向けて声を張り上げる。


 よたよたと情けなく、すでに息も絶え絶えになりながら必死に後をついてくる……いや、レッカの服の裾にしがみつきながら最早引き摺られるだけの有様を見せつける。



「こいつめ! 自分の失態で死にかけたくせに、あたしらまで巻き込みやがって! ……いい加減自分で走りなよ!!」

「ひぃっ……ひぃいいい!!」



 何度も後ろを確認しながら、荷物に成り果てているアレスの頭を叩く。

 だが、火事場の馬鹿力というべきか、走る気力はとうになくしているはずなのに、アレスの手は一向に離れる様子を見せない。



「何なんだこいつ……何なんだよぉ!?」



 自分の体液で顔をぐちゃぐちゃにしつつ、アレスは背後に迫る地竜を振り返りながら泣き叫ぶ。



 大した事はしていなかった。依頼達成のために森の中を進み、目的地までもう少しという地点まで来て、一旦休憩を挟もうと提案しただけだった。


 レッカ達はあともう少しなのだからと渋ったが、アレスは自分が疲れ切っていて、足が痛みを訴えていた為に無理矢理全員の足を止めさせた。

 依頼の完遂を前に、一度心身を整える必要があると最もらしい事を騙り、レッカ達を言いくるめたのだ。


 渋々頷いた彼女達に内心でほくそ笑みながら、アレスはそこらで見つけた適当な岩に腰を下ろし、だらりと存分に寝転がった。

 五分と言わず何十分でも休んでしまおう、そんな甘い考えで、数多の獣が蔓延る森の中で寛いでいた。



 ーーーそして、その行為が彼を、眠りについていた地竜を怒らせた。

 硬い鱗で覆われた自慢の背中を岩だと思い込み、寛ぐのに丁度いいと好き勝手に寝転がっていた愚かな人間に向けて、地竜は怒り暴れ出した。


 吹っ飛ばされたアレスはレッカ達の元へ転がり、訳もわからず呆然とするばかり。

 レッカ達も驚愕しながら、アレスに向けて猛然と突進してくる地竜を目の当たりにし、慌ててアレスの首根っこを掴んで走り出した。


 そうして、森で無敵と恐れられる怪物との地獄の鬼ごっこが開催されたのである。



「……ったく! 昨日からまるでついてねぇ! こいつの所為でずっと面倒事に巻き込まれてばっかりだ! ふざけやがって畜生!!」

「これも神の思し召し……はっ、とは、思いたくありません、ね……!」

「……うざい」



 レッカは盛大な舌打ちをこぼし、しがみつくアレスを脇に抱えて走り易くする。好き好んで荷物を抱える事などしたくないが、背に腹は変えられないと険しい顔で耐える。


 ナナハとリリィも悪態を吐きつつ、背後から迫る巨大な鋼鉄の怪物から必死に距離を取ろうとしていた。



「リリィ! 上に飛ぶ! 準備しろ!」

「ん、わかった」

「ナナハ! 目眩しだ! 今から十秒後に仕掛けろ!!」

「っ……仕方ありませんね」



 走りづらい森の中を、勝手知ったる我が家の庭のように軽やかに駆け抜けていたリリィが、突如跳躍し傍の大樹の上に登る。


 枝と枝の間を跳び、先に前方に向かうリリィの背を見送ってから、レッカはナナハの元へ近づき、アレスを抱える方とは逆の腕で抱え上げる。


 走る必要がなくなったナナハは、レッカの肩の上で杖を構え、ぶつぶつと祝詞を口遊み始める。



「……神の奇跡をここに、闇に閉ざされし我らが道を照らし出せーーー〝聖灯(ホーリーライト)〟!!」



 レッカの肩の上で唱え、待つ事十秒ぴったり。

 かっ!と眩い光がナナハの錫杖から迸り、光の刃となって森の主の眼球にそれぞれ突き刺さる。



「~~~~~~~~!!?」



 森の主は強烈な光で目をやられ、たまらずきつく目を閉じて悶え苦しむ。

 しかし走る速度はすぐには緩まらず、地面に乱れた足跡を刻みながら、しばらく滅茶苦茶に暴走する羽目になる。


 荒れ狂う巨体の突進が、仲間二人を抱えて流石に減速したレッカの背中に激突しようとしたその刹那。



「……間に合った」

「よし、頼む!」



 しゃっ、と彼女達の頭上から縄にしがみついたリリィが飛び降り、レッカ達三人の体に縄を巻きつけ、一気に空中へ引き上げてみせる。

 折れた大樹の枝と無事な枝を利用した滑車の力で、《暁の旅団》の面々は森の主の脅威から瞬時に逃れる事に成功する。


 森の主は徐々に蘇ってきた視界の中に縄張りを荒らした余所者達を捉えようとして、一匹も見当たらない事に困惑の唸り声を漏らす。

 怒りのぶつけどころを失った主はしばらくその場で足を踏み鳴らし、荒れた様子を見せていたが、やがて興味を失ったように踵を返し、森の奥の自分の住まい住まいへと戻っていく。



「……はぁ、危機一髪ってところかい」



 巨大な鋼鉄の怪物の姿が遠くなり、見えなくなったところで、ようやく《暁の旅団》の四人は安堵の溜息を吐いたのだった。








 がさがさと荒っぽく草木を掻き分け、レッカが班の先頭を担って前へ進む。

 ぶすっと不機嫌そうに表情を歪め、苛立ちを叩きつけるように地面を踏みしめ、先を目指す。他二人の女性も似たような表情で、後ろにいる男の顔をなるべく見ないようにしながら獣道を歩いていた。


 班の最後尾を歩くアレスは居心地悪そうに黙っていたが、やがて我慢の限界に達したのか、きっと目を吊り上げて声を荒げ始める。



「おい! さっきからなんだお前ら! 何にも言わねぇでいると思えばちらちら俺を睨みやがって! 俺が何したってんだよ!?」

「……自分の班を潰しかけただろうが」



 地団駄を踏み、子供のような癇癪を見せつけて騒ぐアレスに、レッカはぼそりと吐き捨てるように言う。

 咎めるような冷たい言葉を向けられ、しかしアレスは臆する事なく、怒りで顔の上半分を赤く染めてさらに喚き出す。



「俺の何が悪いってんだ! ちょっと間違っただけだ! あの時も、あんな獣の一匹ぐらい別に逃げずに殺してやればよかっただろ! こんな遠回りなんかせずによ!!」

「……馬鹿か。地竜は硬いんだ、殺そうと思って簡単にできるやつじゃない。こんな敵だらけの森の中でいちいちあんな厄介なやつを相手にしていられないよ」



 はぁ、と深い溜息をつき、レッカは肩を落とす。


 班に入った頃はもう少し頼りになる男だと思っていたのに、先に班にいた邪魔者を追い出した矢先でこうも情けない面ばかりが目立つようになってきた。

 一体どこで間違ったのだろう、と頭を掻き、鼻息荒く睨みつけてくる男に冷たく横目をやる。



「お前、今までどうやって生きてこられたんだ? あたしらが仲間に加わるまでも、依頼を成功させてきたんだろ。それなりに名が売れた班だって噂があったから、こっちから入れてくれって頼んだんだのに……最近は全然そんな風に感じられないね」

「そうですね。噂とずいぶん乖離しているように感じます」

「がっかり……」



 レッカが疑問を口にすると、ナナハとリリィも訝しげに尋ねる。その目には明らかな落胆が芽生えており、アレスに対する失望がありありと表れていた。



「なっ……! そ、そんな事はねぇ! きょ、今日はたまたま調子が悪かっただけで……」

「お前の行動を見る限り、昨日今日の問題じゃなさそうだがな……お前、冒険者を始めて一年だったか? どんな初心者でも、一年経てばもう少しましな奴になるぞ」

「……っ!!」



 アレスの弁解に耳を貸さず、素直な感想を口にするレッカ。最早彼女はアレスを班の頭ではなく、入りたての新入りのように見ている。


 ナナハに至っては道端の塵を見るような嫌悪に満ちた目を向けており、リリィに関してはもう完全に興味をなくしてそっぽを向いている始末であった。



「正直に言って、今のあなたは足手纏いに他なりませんわ。動きは拙く力もない、挙句頭も足りず配慮もない……あなたの方こそ、《暁の旅団》に必要のない人間に思えますわ」

「っ…! ……!!」



 一方的に扱き下ろされ、見下され、アレスの顔はみるみる赤黒くなっていく。

 額と手の甲には無数の血管が浮き出し、ぶるぶると震える握り拳の隙間からは、爪で破られた皮膚から垂れ出した鮮血が滲み出る。


 いまにも弾けそうな風船のような印象を抱かせるアレスの憤怒ぶりを見やり、ナナハは深い溜息をこぼした。



「ーーーはぁ、こんな事ならあの穢らわしい〈呪術士〉をここにいさせてあなたを追い出したほうがましな気がしてきましたわね」



 その瞬間、アレスの中でぶちっ!と何かが切れる音が鳴る。

 彼はぎりぎりと歯を食い縛りながら、突然駆け出しレッカ達の前に飛び出したかと思うと、自分の得物である剣の柄に手を掛けた。



「ぐぅう……く、き、こ、この……! 糞女共が! 調子に乗るな!!」



 蔑視を向けられる事など、追い出した昔馴染みの男以外に向けられた事のないアレスはかっと頭に血を登らせ、激情のまま腰に履いた剣を抜き放つ。


 途端にレッカ達は空気を一変させ、鋭い視線でアレスを射抜き出す。



「……事実を述べただけですよ。それだけで仲間に剣を向けるのですか」

「うるせぇ! 俺を馬鹿にすんじゃねぇ!《暁の旅団》の(リーダー)は俺だ! お前らは俺の指示に従うのが、俺を敬うのが当たり前なんだよ! 見下すんじゃねぇ!!」



 我を失った獣のように荒い呼吸を繰り返し、切っ先を突きつけてくるアレスを前にし、ナナハは表面上は冷静に、内心では冷や汗を垂らして告げる。

 半ば正気を失っている〈剣士〉と相対し、拙くも十分危険な凶器を突きつけられ、否応無く緊張を強いられる。


 そこへ、レッカが固まって動けなくなった彼女の前に移り、彼女を庇ってアレスの前に立ち塞がった。



「馬鹿な事はやめな、仲間を斬る気かい」

「お、お前らがその目をやめればいいだけだ! これは仕置だ! 俺に従わない屑な手下に対する俺の躾だ! 逆らうんじゃねぇ!!」



 血走った目で吠えるアレスを見下ろし、レッカはすっと視線から感情を消し去る。

 向けられた剣の切っ先はぶるぶると震えていて、明らかに持ち主が冷静でない事を示している。激情のあまり、獲物を握る手に余分に力が籠もってしまっているらしい。


 レッカはやがて、はぁと深い溜息をこぼすと、おもむろにアレスの方へ踏み出す。凶器を目前にしながら、その一歩には一切の躊躇いがなかった。



「ひ!? う、うおわぁぁぁぁ!!」



 向かってきた大柄な女に威圧されたのか、アレスは一歩後退りながら、震える剣を構える。

 そして情けない気合の声とともに、上段から斬り捨てようと振りかぶり……そのまま、レッカに刀身を掴まれ、剣を森の中のどこかに放り投げられてしまった。



「へーーーぶへぁっ!?」



 得物を奪われ、しかし何が起こったのかわからない様子で、アレスは自分の両手を見下ろし呆ける。

 直後、棒立ちになった彼の顔面にレッカの拳が叩き込まれ、アレスはどたっと勢いよく地面に倒れ込む。鼻からは血が勢いよく噴き出し、あたりの草木に生臭い模様を描く羽目になる。


 そんな、あっさりと倒れた班の頭の姿に、レッカ達は唖然とした顔で立ち尽くしていた。



「……こいつ、本当に弱ぇな。噂になってた戦果ってのは、本当に一体なんだったんだ?」

「私達を謀った愚か者です。聞くだけ無駄でしょう」

「……こいつ、ラグナよりきらいになった」



 口々に目の前で顔を血塗れにさせた男に対する悪態をつき、僅かに溜飲を下げる三人。

 だが、殴った後でレッカは険しい顔になり、ぴくぴくと痙攣するだけになった班の頭を冷たく見下ろす。



「しっかしどうすっかなぁ……班の頭がこんなんだったってわかっちまったのに、これ以上依頼を続けられねぇだろ」



 このまま置き去りにする事は人道に反し、このまま依頼を果たしに行っても問題が起きるとしか思えない。


 どうしたものか、と悩んでいたその時だった。




「ーーーあいつのせいだ…!」




 不意に、気を失っていると思われていたアレスががばっと起き上がり、小さく呟いた。

 かと思えば、驚き固まったレッカ達を押しのけるようにして、どこかへ向かって走り去って出したのである。



「あいつの所為だ……あいつの所為だ! あいつの所為だあいつの所為だあいつの所為だ!!」

「お、おい! 何やってんだ!?」

「あいつの所為だ……あいつの所為だぁーーーーーーーー!!」



 レッカ達の制止に耳を貸す事なく、アレスは止まらぬ鼻血を撒き散らしながら、耳障りな喚き声をあげて深い森の奥へと消え去った。


 残されたレッカ達は、それを呆然と見送る他に何もできずにいたのだった。








「あいつの所為だ……青つのせいだあいつの所為だあいつの所為だーーー!!」青つ→あいつ



 ぶつぶつと呟きながら、獣道を駆け抜けるアレス。

 枝で頬を引き裂かれても、服の裾を破かれても、張り出した太い枝に肩を打たれても、一切構う事なくただ走り続けていた。



「そうだ、そういう事だったのか……あいつの所為で俺はこんな目に遭っているのか……そうだ、そうだったんだ、そうじゃなきゃおかしかったんだ……!!」



 前だけを見据えていたアレスの目が、徐々に狂気を帯びていく。口は弧を描き、全身から形容し難い悍ましい気配が漂い始める。

 彼の胸中は今、確かに怒りで満たされていたが、その顔は嬉しくて堪らないといった表情で溢れていた。



「あいつの呪いの所為で! 俺はこんなに失敗を繰り返すようになったんだ! じゃなきゃおかしいからな! 俺がこんな雑魚みたいな扱いを受けるわけがない! 俺は《暁の旅団》の頭! そこらの冒険者とは格が違う優れた人間! そんな俺が失敗するなんてーーーあいつの邪魔があった所為に決まっている!!」



 脳裏に浮かぶ、今朝追い出したばかりの邪魔者の顔。

 ぼろくそに貶して追い出したというのに、ちょっと眉を顰めただけでさっさと出て行った薄情者。いるだけで何の役にも立たなかった路傍の石。


 全てはあの男がいなくなった時から狂い始めた。

 あいつを追い出して清々するはずだったのに、自分のやる事なす事全てがうまくいかなくなった。自分に賛同していた女達でさえ、蔑んだ目を向けるようになってしまった。



 全ての不幸はあの男が去ってから始まった。


 という事はつまりーーーあの陰険な男が、己を呪って不幸な目に遭わせているのだという事になるではないか。

 胡散臭い、〈呪術士〉如きに己を呪える力があったという事になるではないか。



「はは、ははははは……!【呪い】なんて大した効果もないなんて思ってたのに、ちゃんと効いてるじゃないか……ははっ! あいつめ、自分の為にだけ使って、仲間に使う時は手を抜いていたな!? はははは……とんでもない裏切りだ!!」



 顔中、棘で引っ掻いた傷だらけにして、真っ赤に濡れながらアレスは走る。喚く。吠える。


 自分をこんな目に遭わせた、陥れようと卑怯な力を使う恩知らずの昔馴染みに対する憎しみを滾らせ、その者の居場所を目指して駆け続けた。



「後悔させてやる! 私を馬鹿にした報いを受けさせてやるぞラグナ! はははははははは……!!」





 月光に照らされた深い森の中で、無気味な男の嗤い声が長く、遠く響き渡っていったーーー。

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