010:畏怖・善悪
……やれやれ、余計な事で余計な奴に余計な力を使っちまった。
塵はいくら掃こうと毎日積り続けるものだとわかっちゃあいるが、やっぱり面倒である事には変わりがねぇや。
いっそ誰もいない孤島にでも越すか……いや、それはそれで生活が面倒か。不便さに比べりゃ、面倒臭い人間の相手をする方がまし……いや、どっちもどっちだな。
「いいぞラグナ!」
「さっすが裏町の支配者だ!」
「あのむかつく野郎を追い出してくれてありがとよ!!」
「素敵よ! 抱いて~!」
「あんたなんかお呼びじゃないのよ!!」
……外野の客達が煩くなってきたな。
あの男、もしかして他の店でも騒ぎを起こして迷惑がられていたのか? あの調子ならありえるな。
……というか、本気で煩ぇんだが。
気分がすっきりしたのはわかるが、それで騒がれても俺は嬉しくともなんともない。むしろ狭い店の中で喚かれてとんでもなく迷惑なんだが。
まぁ、俺が気にしなきゃいい問題だから何も言わんがね。
「いつも助かってるヨ、ラグナ~。相変わらずあんたの【呪い】は凄いネ~」
「そういう賞賛はもう結構……さっさと飯を作ってくれ」
「ごめんヨ~、今すぐ作るからネ~」
俺が言うと、店主はさっさと厨房に戻って調理を再開する。とんとんと包丁を鳴らす音が響き始めて、ようやく俺も席に坐り直す。
さてもう少し待つか……と思っていたのだが。
席に放置したままだった三人娘のことを思い出し、俺はあ、と声を漏らして餓鬼共の方へ振り向いた。
そこで平然と俺を見つめているシェスカとルル、シェスカの背後に身を隠して震えているアリアの姿に気がつく。
「……どうした、何をそんなに怯えている」
そんな化け物でも見るような目を向けて……まぁ、理由はわかるが。
「あ、あんた……あの男に何したのよ!? あたし達の体を直した事といい、あ、あんな事ができるって……あんた一体、何なのよ!?」
「うぅ……」
顔を真っ青にし、声を震わせて俺に指を突きつけてくるアリア。さっきまで確かに飯に期待を寄せた表情をしていたはずなんだが、シェスカの後ろで子犬のように怯えるばかりだ。
ルルはあんまり状況がわかってないっぽいな。あの男が勝手に倒れたとでも思ってるんだろうか。
どうしたもんかな……説明して落ち着くかどうか。いっそのこと記憶を消して……いや、面倒臭いから嫌だな。
とか考えていたら、アリアに背中に張り付かれたシェスカがアリアの背に手を当て、前へと押し出し始めた。
「ほら、アリアちゃん。ちゃんと前に出てください。神様の前で失礼ですよ」
「む、無理よ……だ、だってあんな、あんなの見せられて、平気な顔なんてできないわよ……!」
「……にぃ、こわい?」
「こ、怖くなんてないわよ! 怖くなんて……怖くなんて……!!」
……塵掃除しただけでここまで嫌われるとは。
別にこいつらに嫌われようが恐れられようがどうという事はないんだが、鬱陶しいから今度から掃除は隠れてやるか。
いや、あれを見て平然としていられるシェスカがおかしいんだろうな。お前、本当に俺のやる事に対して動じなさすぎじゃないのか?
「お前らにあれをする気はない……鬱陶しいからそんな目を向けるな。お前らが何かをしでかさない限りは俺も何もしない」
「……ほ、本当に?」
「俺は約束を破らない。なんならここで〝契約〟に追加してやってもいいぞ」
俺の唯一つの信条だからな、裏切らないってのは。
長い俺の生の中で絶対に揺るがない決め事だ。破った時点で俺は俺で無くなる……相手が破った場合は容赦なく報復するがな。
少なくとも、こいつらが妙な気を起こさない限りは何もしないし何も言わない。
「……〈呪法師〉って、何なのよ。【呪い】なんかでどうしてそこまでの事ができるの。あんた……本当に何なの?」
アリアは俺の力が普通じゃない事を察してか、警戒心丸出しで俺を見つめてきている。
まぁ、世間一般的な【呪い】の印象を考えるとその疑問もおかしくないわな。
他人を呪うなんて事、どう考えても悪党のやる事だ。それを利用しようとは考えても、味方にしようなんて考える奴はそういない。いたらいたで何考えてるのかわかりたくもねぇ危ねぇ連中の事だ。
その上、術が効いているかどうかなんて後で実感できない場合の方が圧倒的に多い。
アレスの阿呆然り組合の受付の新人ちゃん然り、【呪い】という力は目に見えず確固たる成果が見えづらい。派手で目立つ仕方もなくはないが、それをするくらいなら効果を重んじた方が遥かに効率がいい。だから多くの術士が使う呪術は目立たず地味なままだ。
しっかり成果を考えりゃわかるのに、世間の人間は目に見えるものだけを信じて【呪い】を扱う者の努力を評価しない。
胸糞の悪い構造になってるんだよ、この世界は。
……まぁ、おれの〝力〟はそこらの素人とは別物だがな。
一緒にされちゃ困るんだ……後で面倒事に巻き込まれたくないから最低限まで抑えてたわけだけど。
「何か……って言われてもねぇ。その辺は自分で判断してくれ、説明すんの面倒臭いから」
アリアは不満げな目を向けてくるが、正直知った事じゃない。何だと聞かれて手短に語れる人生送ってないし。
俺が俺を語るんじゃ駄目だーーー自分の目で見て自分で判断しなきゃ、人間は自分を納得させられねぇ。
どうせ、たいした時間を一緒にいるわけじゃないだろうしな。
「俺は〈呪法師〉の〝天職〟を得て生まれてきた、ただそんだけの男だ」
人を、世界を、この世の全てのものを呪うだけ……そんな下らない力をもって生まれた、ただの男だ。
◇ ◆ ◇ ◆ ◇
……いきなりする羽目になった塵掃除が終わって、ようやく店主に料理に集中していただき、やっとこさ食事の用意ができた。
さて、早速頂こうか……と思ったのだが、俺が座る席は全く和気藹々としたものにはならなかった。
ルルは周りの目など全く気にせず、手掴みで飯に齧り付いているんだが、アリアは物凄い緊張した面持ちで、焼き飯をもそもそ口に運んでいる。一々俺の動作にびくっと過剰に反応しながら、だ。
さっきのはちと衝撃的すぎたか? 粗相をしたら自分もああなるとでも思っているのか、まるで落ち着く様子を見せない。
まぁ、気持ちはわからんでもないが。
……うん、やっぱり平然と飯を食えてるシェスカが異常なんだよな。
お前だけだよ、微笑みながら飯食ってんの。なんでそんな笑ってられるの? お前はちゃんとこいつらと同じものを見てたの?
……気にしたら負けだな。
ーーーそんなこんなで、なんとも居心地の悪い飯の時間を経てから、俺達は飯屋を出る。
わざわざ外にまで見送りに来た店主に手を振り返しながら……俺は三人娘を連れ、夜を迎えた街の中を歩いていた。
「どうだ、腹は膨れたか」
「……ん」
「はい、お陰様で」
「おなかいっぱい……こんなのはじめて。にぃ、すき」
三者三様に反応を見せ、俺の後についてくる三人娘。
思いの外食ったな。売れる前の食生活は最低限に保証してたとギルバートは言っていたが、やはり育ち盛りのこいつらには足りなかったのかね?
……とりあえず食わせ過ぎないようにだけ気をつけるか。
「栄養失調で倒れられても後味が悪いからな……本格的な仕事は明日からだ。あとは風呂入って寝ろ。今日はもう動きたくねぇわ」
俺は思わずふぁ……と欠伸をこぼし、首を鳴らす。
本当なら、のんびり森を歩いて適当に過ごすはずだったのにな。アレスの阿呆の所為で街に引き返す羽目になるし、受付嬢の新人ちゃんにも追い出されるし。
明日からはもっと面倒な事になりそうだな。全くもって憂鬱だ……さっさと寝ちまいたい。
「神様のお役目を手伝えるなど……光栄の極みです。全身全霊でお仕えさせていただきます」
「そういうのはいらん。ただ手伝ってりゃいいだけだから」
「はい、神様!」
……こいつの手綱の操り方、これで合ってんのかな。
あとで間違いに気づいて裏切り者呼ばわりされたりしないよな? 随分前にそういう事あったぞ。
「手伝うっつっても、大した重労働じゃねぇから……俺が言った通りに動け、それだけでいい。ルル、お前にもできる仕事だ、安心しろ」
「……うん」
「ってか、アリア。お前はいい加減俺に慣れろ。怯えんでいいだろう」
「お、怯えてなんかないわよ!!」
畏怖の視線があんまりにしつこいから言ってみると、アリアの奴ぎょっと目を剥きながら首を横に振ってくる。
飼い始めの子猫のような反応だな……慣れさせるにはどうしたものか。今度知り合いで猫飼ってる奴に聞いてみるか。猫じゃねぇが。
……おっと、そうこうしているうちに次の目的地に着いた。
貧民街の今度は東側。
さっきのところでは店が多く立ち並んでいたのに対して、こっちでは人が住む場所が多く集まっている場所だ。
余裕のある奴が持つ家が立ち並ぶ中に、俺の目的の建物……街の外の人間向けに開かれている、俺がよく使う宿屋はあった。
「……邪魔するぞ」
「邪魔すんなら帰って……ってなんでぇ、ラグナじゃねぇか!!」
からころと濁った音を立てる鈴が取り付けられた扉を開き、俺は宿屋の中に入る。
すると入口の正面に置かれた台の向こうから、新聞を読みつつ寛いでいた男から喜色に満ちた声が帰ってくる。
この宿屋……あー、雄鶏だったか雌鶏だったかの家とかいう名の宿の主人である中年で小太りの男だ。
「今日は俺に加えて三人いる……急で悪いんだが二部屋使わせてくれ」
「いいって事よ! あんたには娘に付き纏ってた屑野郎を追い払ってもらった恩があるからな! なんならこの先ずっとただで住まわせてやりたいぐらいだ!!」
「……そんな事をしたらお前の妻に殺されるぞ」
「違ぇねぇ! だはははは!!」
その恩、もう随分前に貸したものなんだが……付き纏われてたお前の娘って、もうとっくに結婚して子供が二人いるって聞いてるんだけど。
どうしてこう、俺の知り合いって無駄に義理堅い奴が多いんだろうな。
「……まぁ、何でもいい。とりあえず一週間ほど使わせて貰うから、こんだけ払っておく」
「まいど! ……うおっ、相変わらず凄ぇ量だな」
がしゃんっ、と俺は今日の稼ぎを詰め込んだ袋をそのまま宿屋の親父の前に置いて、代わりに鍵を受け取る。
えっと……いつも使ってる部屋とその隣の部屋か。まさかくる事を予想していたのか? 用意のいい奴だな。
「ほれ、行くぞ。ぼさっとしてないでついて来い」
「……え、あっ、ちょっ!?」
「すぐに行きます」
何でか驚愕している三人を後ろにつかせて、俺は宿屋の親父借りた部屋に向かう。
やれやれ……これでようやくぐっすり寝れらぁ。
「えー、一〇一……一〇一号室はどこだ~……久々だから忘れてるな、っと。そうだ、ここだここ」
この宿、町の片隅にある割りに広いし部屋も多いんだよな。
必要なのかと思っていたが、実際の利用者を知ると何事も見かけによらないってのを思い知らされる。
最初に泊まった頃、他の客に擦れ違った覚えもないから、大した人数なんぞ泊まってねぇと思ってたんだが……実際は違うと後で知って度肝を抜かされたもんだ。
俺も大概だとは思うが、あの親父の〈宿屋〉の〝天職〟も大概ぶっ壊れた力だよ。
「んで、もう一個の方が一〇二……あこっちだな。んじゃあ、ほれ。部屋の鍵だ」
「はい、ありがたく使わせていただきます、神様」
俺は自分の借りた部屋の鍵を持って、もう一つ借りた部屋の鍵を三人娘に差し出す。
特に何も言ってないのに、即座にシェスカに反応されて受け取られた事に関しては……いや、もういい。一々真面に取り合うのも面倒臭ぇ。
「ひ、一部屋丸ごと使わせるって……」
「あ? 何かしでかすつもりだったのか?」
「ち、違うわよ! ……ただ、その、奴隷なのに、色々信用しすぎなんじゃないの、って」
シェスカが持った鍵を見つめて、アリアが困惑の視線を向けてくる。
……やっぱりシェスカは頭がおかしい奴だな。普通、奴隷の反応っていったらこうだろ。
自分が人間以下の存在に成り下がったんだと、環境の中で教え込まれて躾けられる。そんで、主人の前で反抗する事も出来なくなる。
ずっと檻に入れられてたんだ。今更宿屋の一室を貸し与えられるなんて、想像もしなかったんだろう。
奴隷の模範的な反応だ。
ギルバートの躾は相変わらず行き届いているな……俺が買うものでなければ諸手を挙げて賞賛していたところだよ。
「別にお前が盗みを働こうが俺を殺そうが、俺は痛くも痒くもねぇ。そういう事ができないようにしてあるんだから」
「……呪いで?」
「ああ、俺の呪いはよく効くからな」
自慢じゃないが、多少の自信はある。
他に〈呪法師〉として生まれた奴がいるのかどうか、興味もねぇし関わりたくもねぇ。
だが、例え俺の他にいたとして、俺の〝力〟を超える者がいるかと問われれば……俺は全力でいないと答えてやるつもりだ。
……本当に、こんなもの自慢になんぞならんがな。
「もういいから、さっさと部屋入って寝ろ。明日も一応、仕事の予定がある……その時には、お前らにも手伝ってもらうからな」
「はい、神様」
「ん、にぃのいうとおりにする」
「……」
さて、飯も食ったし俺もさっさと寝ちまうか。
おい、何やってんだシェスカ。何普通に俺の部屋に入ろうとしてんだ。お前はそっちだ。
添い寝もご奉仕もいらねぇんだよ!! ついてくんな!
俺の腕にしがみつくシェスカを無理やり引き剥がし、アリアとルルに押し付ける。寝る前に疲れさせるんじゃねぇよ、馬鹿。
「……ねぇ、一つだけ聞かせて」
さてこれでやっと眠れる……と思ったんだが、部屋に入ろうとした俺に、再度アリアが声をかけて呼び止めてくる。
何だよ、俺はもう寝るつもりでいたのに。
そんな真剣な眼差しなんぞ向けて、何を聞きたいってんだよ。
「あんたには感謝してる、本当に。あんな姿に変えられていたあたしたちを助けてくれて、本当にありがたく思ってる。だからちゃんと聞いておきたいの……」
……本心だな、この感謝の言葉は。
俺に気に入られようとおべっかを使っているわけじゃなく、本気で俺に向けた思いを抱いている。
なら……何が不安だ。何をそんなに気にしている。
「ーーーあんたはいい人? それとも、悪い人?」
……思いの外、曖昧で下らない質問が来て、俺は思わず内心で深い溜息をついた。
何ともまぁ、餓鬼らしいというかなんというか、回答に中々困る質問だな。
いつの間にか、シェスカもルルも黙り込み、アリアをじっと静かに見つめていた。シェスカなんか、神様に対して失礼ですよ、なんて戒めるかと思っていたのに、何も言わずアリアを見つめている。
はぁ……下らねぇ。あんまりに真剣だったから身構えてたのに、気を張って損したよ。
「いい人とか悪い人とか、そんな曖昧な分類されたかねぇんだよ。ついて行くべきか否か悩んでんのなら、てめぇの目で見て判断しろ」
面倒臭すぎて、俺はアリアの問いに真面に付き合う事なく背を向け、さっさと部屋に入った。
背後から何か言いたげな雰囲気が漂っていたが、眠気で若干苛立っていた俺は気にする事なく、暗闇の中で沈黙するのだった。
ああ、下らねぇ。実に下らねぇ!!
……俺が良い人に見えるなら、そいつの目がおかしいんだよ。