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3.おかしな屍体(その1)

 で、俺とアーベントは修道院の処置室で、改めてホトケさんとご対面って事になったわけだ。


「……で、これが問題のホトケさんってわけですかぃ」

「あぁ、そのとおりだ。……我々も、こういう遺体を目にするのは初めてでね」


 確かに妙な屍体だったな。一見したところじゃ干涸(ひか)らびた屍体のようにみえるんだが、触ってみるとそこまで乾いちゃいねぇ。何て言やぁいいのか……汁気たっぷりな屍体から、一気に水気を抜いたような感じ……あぁ、一番似てるなぁ漬物かもしんねぇな。

 ただ……俺はこの手の屍体に心当たりがあった。


「……さっき言いかけた〝浄化の事情〟ってのを、聞かせちゃもらえませんかね?」

「あぁ……我々が実見したわけではないが……領主様のおっしゃるには、この遺体は最初はもっと瑞々(みずみず)しかったそうだ。墓室の壁に(もた)れかかって、まるで眠っているだけのように思えたと。ところが……」

「ところが……何です?」

「声をかける間も無く、遺体が崩れ始めたそうだ。……今、我々が目にしているようにね。それでアンデッドの(たぐい)かと思って、聖魔法を放たれたと」

「……あれ? 『浄化』なさったなぁお殿様ですかぃ? 俺ぁてっきり……」

「無論、我々も改めて『浄化』を行なったとも。その時点でアンデッドではないと判明はしたが、何分初めての事なので、用心のためにね」

「そりゃ、念の入った事で……」

「で? 君にはこれが何か、見当が付いているのかね?」

「えぇまぁ……多分ですが、こりゃ()(ろう)じゃねぇかと」

「……屍蝋?」



 ――特定の条件下に置かれた屍体では、腐敗が抑制されるとともに皮下脂肪が灰白色の蝋状物質に変化し、ほぼ原形を留めたまま保存される事がある。これが()(ろう)(または()(ろう))である。蝋状の物質は、遺体の中性脂肪が脂肪酸とグリセリンに加水分解した後に、屍体内に残留した脂肪酸が水中や土中にあるミネラルイオンの作用を受けて(けん)()したもの、或いは、不飽和脂肪酸が飽和化されて固化した結果、マーガリン状となったものである。

 従って()(ろう)化のための条件としては、

 ①腐敗による屍体の分解が抑制された状況である事

 ②脂肪の加水分解、および脂肪酸の(けん)()や不飽和脂肪酸への水素添加に使われる、水分ならびに無機イオンが存在する事

 ――が必要となる。

 これらの条件を満たす場所として、低温でかつ空気の流通が不充分な水中や水分の多い土中があり、実際にそういう場所で発見される事が多い。

 一般には()(ろう)化は死後二~三ヵ月頃から始まり、全身が屍蝋化するのには半年から一年ほどかかると言われているが、一ヵ月でほぼ完全に屍蝋化した例があるなど環境条件による変動が大きく、死後経過時間の推定に用いるのは困難である。

 また、()(ろう)化した死体を取り出して空気中に(さら)すと、再び腐敗が始まって崩壊する事が多いので、その取扱いには注意を要する。



「冷てぇ水に浸かってたとか、土ん中に埋められてた屍体がなる事が多いんすけどね。他にも()(ろう)ができ易い場所ってのがあって……それが教会とか墓場の敷地なんでさぁ」


 「賢者」のやつぁ、水気があって屍体が腐りにくい場所が適地だって言ってたっけな。教会や墓場の場合は、「浄化」の御利(ごり)(やく)なのか、ものが腐りにくいんじゃねぇかって言ってたが……


「……確かに湿った感じではあったな。……しかし君の話では、()(ろう)というのは灰白色の蝋のような質感で、生前の面影を残しているという話だったが……いや……最初はそうだったのか……?」

「それなんですがね、これも教会や墓場の()(ろう)に特有の現象なんですが、表に引き上げると直ぐに変質しちまうんでさぁ。墓地に張ってある(あく)(りょう)()けの結界の仕業じゃねぇかっていわれてますがね」

「悪霊()けの結界が?」

「へぇ。ありゃ、僅かとは言え魔力を奪うもんでしょう? 生きてる人間様にゃ気にもならねぇ程度だが、魔力だけで()ってるような悪霊にゃ命取り。それが屍蝋にも効いてんじゃねぇかって話でさぁ」

「むぅ……」


 ま、こりゃお師匠たちも()く解ってねぇようだったしな。まさか実験するわけにもいかねぇし、飽くまで未検証の仮説ってやつだ。


「むぅ……するとこの遺体の形成には、(よこしま)な力は働いていないという事か」

「と言うか、そんな剣呑(けんのん)なもんを仮定しなくても、説明が付くって事でさぁ。実際に邪霊が関与してんのかどうかは判りませんや。ただ……無理に話をややこしくする必要は無ぇんじゃありやせんか?」


 「オオカミの剃刀(かみそり)」だとか何とか言ってやがったな、「賢者」のやつぁ。

【後書き】オッカムの剃刀:「仮説を立てるに際して、仮定の数は最低限にすべし」あるいは「最も少ない仮定のもとに立てられた仮説を採択すべし」――という原則。


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