初恋の終わり(三十と一夜の短篇第71回)
ひとり暮らしの部屋に帰り、明かりをつけてもどこか寒々しいのは冷えているせいだけだろうか。
ネクタイを緩めてジャケットを脱ぎ落とし、でもちょっといい値段だったことを思い出して座椅子の背にかける。
真白い紙袋は足元に、抱えて帰ったビンゴの景品は座卓に置いた。本当は玄関で手放したかったけど、お祝いだからやっぱりそれはまずいだろう。
「……っあー、酒まわってきた」
風呂の前にひとやすみ、と座椅子に腰かけた途端に飲みすぎた酒が視界をぼやけさせる。
高校の同級生同士の結婚式。新郎の友人として招待された男が失恋しに行ったなんて、あの会場で気づいたやつはいないはずだ。
だから、ぼやける視界は浮かれて過ごした酒のせい。そうに決まってる。
「うー……葉月ちゃん……」
初恋だった。初恋に気づいたときには、彼女はもうクラスの男子と付き合っていた。お似合いだと冷やかされた相手が今日の新郎で。
チャンスなんて回ってこないまま、俺は八年越しの失恋にダメージを受けているわけで。
寒い部屋を暖める気力もわかず、座卓にうずくまって悲しみに浸る。
高校の三年間は、仲睦まじいふたりを見つめてずっと胸がちくちく痛かった。
同じ大学に進みはしなかったからせめてもと「クラス会やろうぜ!」と連絡を入れまくり、たまに姿を見てはやっぱり好きだなあ、とひとり涙した。
ずっとわかっていた。
彼女が愛らしい笑顔を見せるのはとなりにあいつがいるから。
彼女の幸せはあいつのとなりにいることだと、気づいていた。
俺が好きだったのはあいつに笑いかける彼女の横顔だったから、この思いが成就することなんて来なくて良い。来ないほうが良いって、わかっているのだけれど。
「やっぱりつらいよお……」
ふたりが結婚したことで、思うことすらできなくなった悲しみが胸をふさぐ。
馬鹿みたいにはしゃいで、二次会の幹事まで引き受けて、俺の手元に残ったのは引き出物と二次会でやったビンゴの景品だけ。
「……景品、なんにしたんだろ」
ふと、気になって涙をぬぐい、身体を起こす。
二次会の取り仕切りは俺が担当したけれど、景品の用意は新婦側の幹事、八江にお願いしたから中身は知らない。
けれど、笑いながら「特別に用意した景品だよ」と渡してきた八江の、雑貨屋の店員をしているというそのセンスに期待してラッピングを開けた俺は崩れ落ちた。
「土鍋……それも二人用とか……!」
今の俺に一番必要のない物だ。
外箱にでかでかと貼られた「二人用」のシールがにくい。
ひとりの部屋でひとりっきりで座卓を囲み、鍋をつついても俺ひとり……。
「文句言ってやる!」
たまらずスマホをひっつかみ、八江に電話をかける。幹事同士、寸前まで連絡を取り合っていたからメールも電話も何なら仕事先も知っている。
「八江!」
あんまりだろう、と怒鳴るつもりだった。
俺がひとり身なのを知ったうえで二人用土鍋を、それもこれから春を迎える季節に渡してくるなんて、冗談にしても面白くない。そう言うつもりだったのに。
「え……?」
耳を疑った。
「え? 鍋の材料買って行くって……どこに? 俺んち?」
酔った頭に電話の向こうの八江の声がぐるぐる回る。
二人用の鍋をプレゼントされて、それを用意した相手が鍋の具材を持ってやってくる。
「っていうかもう向かってる、って。え?」
なにを言われているのか、聞こえているのに信じられなくて、スマホを押し当てたのとは反対の耳に届いたのは間抜けたチャイムの音。
通話中のスマホからも同じ音が聞こえる。それはつまり、俺の部屋のチャイムを鳴らしたのは八江だということで。
「えっ、待って待って待って! どういうこと!?」
慌てて立ち上がった俺は、土鍋を抱えたまま玄関に向かった。
ドアノブに手を伸ばし、初恋に別れを告げるまであとわずか。
ひとり劇風でお送りしました。