星の砂
小学五年の頃。宇宙人を名乗る人物がうちの近所に引っ越してきた。
宇宙人と言っても全身つるつるな見た目をしているわけではなく、UFOに乗っているわけでもない。小綺麗な格好をした物腰柔らかなおばあさんが自称しているだけだった。
おばあさんは子供たちに好かれていた。いつもニコニコしていて、話をうんうんと楽しそうに聞いてくれるのだ。
それから保健所から引き取った茶トラの子猫を飼っており、誰にでもよく懐いた。
「はいどうぞ。実は私、宇宙人なの。これは私が取ってきた星の砂よ」
おばあさんはそう言って、粉が入った小さな小瓶を子供たちに渡した。
粉の色は毎回違う。赤、ピンク、青、水色、黄、緑、紫、黒。
大人は小麦粉に着色料を付けただけと言っていたが、子供たち特に女子からは人気があった。
星の砂という名前と、小瓶に半分ほど詰まったカラフルな粉。更に小瓶のコルクの先端は、星の形をしたビーズで飾り付けられている。それらは少女たちの心をぐっと掴んだ。
「なあ、そのばあさんの砂貰って来てくれよ」
だからと言って、高校生の兄の心まで掴むとは思わなかった。
茶髪で普段制服のネクタイも締めない兄と星の砂。あまりにもミスマッチな組み合わせに僕が首を傾げていると、兄はぱちんっと手を合わせた。
「瀬奈がそれスッゲー欲しがっててさ。ばあさんの家遠いから行けないって駄々捏ねられてよぉ。頼む、お前が行って来てくれ!」
「瀬奈さんって誰?」
「俺の彼女」
僕はあれ? と思った。兄の彼女さんの名前は美羽、もしくは綾子だったはず……。
それに別に高校生だからと言って、貰えないわけでもないだろう。
「兄ちゃんが行っても貰えると思うよ」
「やだよ。小学生の群れに混じって行くとか恥ずかしいだろ」
「う、うん」
どうせ暇だしと思って頷く。彼女さんの名前が違うのは深く考えないことにした。
兄の頼みを聞くことにしたものの、一人で宇宙人おばあさんの家に行くのは勇気がいる。そこで僕は友人を頼ることにした。
イトくんはついて来てくれると言ってくれたが、心配そうな顔をされた。
「だ、大丈夫なの、そのおばあさん……」
大丈夫じゃないかもしれないからイトくんにお願いしたのだ。イトくんの手を引きながら、おばあさんの家に向かう。
「でも星の砂って本当にあるのかな」
僕が素朴な疑問を口にすると、イトくんは少し考える素振りをしてから、
「……あれだって星の砂だよ」
通りかかった空き地の地面を指差す。
僕たちが住んでいる地球だって『星』の一つだ。大事なことを思い出して僕は頷いた。
「月の砂とか木星の砂とかとあまり変わらないんだ……」
「木星に砂って……あるのかな。あれはガスの塊みたいなものだからね。土星もそうだよ」
「それじゃあ人は住めない?」
「難しいね。月や火星への移住計画だっていつ実現するか分からないし。何百年、何千年後かには可能になっているかも」
遠すぎる未来だ。その頃はどうなっているのだろう。某アニメのように心を持つロボットが人間と暮らしているのかも。そう想像すると何だかワクワクする。
「でもその前に、氷河期が来るか隕石が落ちるかで地球は消えちゃってるかも」
イトくんの無情な言葉。
「今僕たちが地球に住んでいられるのは、奇跡みたいなものだから」
星の砂から随分と重い話になった。イトくんもハッとして「テンションが上がっちゃった。ごめん」と謝る。こういう話が好きな人なのかもしれない。
そうこうしている間にも、おばあさんの家に到着した。
どうやって中に入れてもらおう。イトくんと二人でオロオロしていると、「あら」と庭の方から優しそうな声が聞こえた。
如雨露で花に水をあげている老婦人がいた。
「あなたたち兄弟?」
「ち、違います。この子は僕の友達をしてくれているんです」
イトくんがたどたどしく釈明する。緊張しているのか、表情がぎこちない。
「よかったらうちでゆっくりしない? 美味しいお菓子もあるのよ」
そう言われたので、おばあさんの家にお邪魔する。知り合いから譲られた一軒家だそうで、我が家よりも古そうだが不思議と清潔感がある。
居間で待っていると、数種類のクッキーと紅茶が運ばれてきた。
クッキーはさくさくしていて、どれも美味しい。僕が特に好きなのはドライフルーツ入りのものだった。
「美味しいです」
「ありがとう。小さな子にはお饅頭とか羊羮より、こういうものが喜ばれるって聞いたの」
おばあさんはふふ、と笑った。
甘くなった口の中を紅茶で洗い流していると、茶トラの猫が居間に入ってきた。猫好きのイトくんが「こっちにおいで」と手招きするが、それを無視して真っ直ぐ僕の方に来た。
にゃあと鳴きながら僕の手に顔を擦り付ける。可愛いおもてなしに頬を緩めていると、おばあさんが口を開いた。
「その子、一人ぼっちだったから私が引き取ったの」
「そうだったんですか」
「人懐っこくてね、保健所でこの子を見た時に昔好きだった人を思い出したわ。気が付いたら、私が引き取りますって言ったあとでね……」
おばあさんは昏い目をしていた。
帰り際、おばあさんが「ちょっと待ってて」とどこかへ行ってしまって、数分後に小瓶を持って戻ってきた。その中には青い粉が入っている。
「はいこれ、お土産よ。実は私宇宙人で、それは星の砂なのよ」
本当に宇宙人と名乗った。そのことに驚きながら僕は小瓶を受け取ろうとする。
けれどそれより先に、イトくんがおばあさんから小瓶を受け取っていた。
「あ、ありがとう……ございます。大事にします」
お礼を言うイトくんの声は強張っていて、頬も引き攣っていた。どう見ても嬉しそうな反応ではない。
だがおばあさんはただ緊張しているだけだと思ったのか、
「ええ。大事にしてね。とっても素敵な星だったの」
とにこやかに言った。
イトくんはおばあさんの家から出ると、暫くしてから僕に話しかけた。
「あのおばあさんの家に行ったこと、僕と君の秘密にしよう。誰にも言っちゃ駄目だ」
「……何で? いい人だったのに」
「理由は言えない。でも黙ってるんだよ」
そう言われると、僕も頷くことしか出来なかった。星の砂を返してとも言いづらい。
やがて降り始めた霧雨の中、僕たちはそれぞれ帰路に就いた。
一週間後、おばあさんの家の前にパトカーが停まった。
それから「うちの旦那を返して」というヒステリックな女性の声。啜り泣くおばあさんの声。
そしておばあさんは虚ろな表情でパトカーに乗せられ、警察署に連れて行かれたらしい。
翌日、僕が通う学校はパニックに陥った。
おばあさんが色んな子供に渡していた『星の砂』が人間の骨だと発覚したのだ。
骨の主は若い頃おばあさんが想いを寄せていた男性。おばあさんの一方的な片想いで男性はきっぱりと拒絶しており、他の女性と結婚した。それでもおばあさんはずっと想いを消すことが出来ず、男性の妻を妬んでいた。
一年前男性は病気で亡くなり、妻はその骨を墓に納めるのではなく手元供養することを選んだ。そのことを知ったおばあさんはある日、妻の家に忍び込んで骨壺を盗むと、行方を晦ませた。
そして骨を粉末状にすると、着色料で色付けをして遊びに来た子供たちに配った。
男性の妻は夫の骨を取り返すため、数ヶ月かけて見付け出したおばあさんの家に警察と共に乗り込んだ。
だが骨は殆ど残っていなかった。
妻は怒り狂い、おばあさんに罵詈雑言を浴びせた。しかしおばあさんは自らが被害者であるかのように振る舞ったという。
「ずっと好きだったのに、この女に彼を取られた。なのに死んだ後もずっと側にいるなんて許さない。この女の下に二度と戻らないようにしたかった」と言い切ると、静かに泣き始めたそうだ。
痴情の縺れに巻き込まれた子供の親にとってはいい迷惑だ。我が子が赤の他人の人骨を持ち帰って来てしまったのだから。事件発覚後におばあさんの家が放火されて全焼しても、同情の声は上がらなかった。
青い顔をした兄からは、もうおばあさんの家に行った後なのかと聞かれた。僕はイトくんに言われた通り、行っていないと嘘をついた。
イトくんは僕が星の砂を受け取らないようにしてくれた。砂の正体が人の骨だと気付いていたからだ。
けれど、どうしてあの時点で気付くことが出来たのか。僕が尋ねると、イトくんはこう答えた。
「全身焼け爛れた人が『かえせ、かえせ。ほねかえせ』ってあのおばあさんの後ろでぶつぶつ言ってたんだ」