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桜の下

 まだ小学生だった頃、僕は月に数回イトくんと隣町に出かけていた。

 その目的は巷で有名な洋菓子店だ。甘いものが好きなイトくんは、そこのお菓子のためにバスを二本乗り継ぐ苦労をしていた。

 僕はそのお供だ。洋菓子店の客層は若い女性中心で、一人だと恥ずかしいからついて来てと頼まれたのである。その報酬として好きなお菓子を買ってもらえた。

 何より小学生の僕にとって、バスを使った移動というのはちょっとした冒険だった。イトくんは申し訳なさそうにしていたが、僕は楽しかった。


 隣町に行く度に、イトくんは必ずあることをしていた。

 店の近くにある公園に立ち寄り、桜の木の周りで糸切りはさみをチョキン、チョキンと動かすのだ。最初は蜘蛛の糸でも切っているのかと思ったが、目を凝らしてもそんなものはなかった。


 イトくん曰く、この世のものではない存在の近くには『糸』があるのだという。その糸を切ると彼らはこの世に居続けることが出来ないのか、消えてしまうそうだ。

 ただし日常生活の中で糸を見付けても、その都度切っているわけではない。そんなことをしていたらキリがないし、放置していても特に問題がないのなら見なかった振りをしている。

 逆を言えばイトくんが糸を切る時は、そこにいてはいけないモノがいる証拠だった。


「切っても切っても、来る度に出てくるなぁ……」


 この日もイトくんは桜の木の周りで糸を切り終えると、ぼそっと呟いた。何だか僕にはイトくんが害虫駆除の業者に見えた。


「虫よけスプレーみたいなのを使って糸が出てこないように出来ないの?」

「うーん……虫とは違うから」


 僕の提案はやんわりと却下された。

 それにしても桜の木。この世のものではない何か。僕の脳内ではあまりにも有名な怪談話が浮かんだ。


「ねえ、この下に死体が埋まってるのかな」

「……こんなにたくさん死体なんか埋められるわけないしなぁ」


 イトくんによく分からない返しをされた。その意図を図りかねていると、イトくんに手を引かれる。


「そろそろお店行こう。シュークリーム売り切れちゃう」

「あっ」


 そうだった。今日僕たちは、秋限定の南瓜のシュークリームを絶対に買おうと誓っていたのだ。

 早く行かないとなくなってしまう。僕とイトくんは小走りで店に向かい、ラスト二個になっていたのを買うことが出来た。さくさくのシュー生地の中に南瓜のクリームがぎっしり詰まっていて美味しかった。



 隣町の桜の木には死体が埋まっている。そんな噂が流れるようになったのは、まだ寒さの残る春の時季だった。

 桜の花が満開に咲き、夜桜を堪能しようと近所の人々が夜に宴会を開いた。その際、桜を見上げると誰かが木の上から、こちらを睨み付けていたというのだ。

 それだけなら酔っ払いの戯言で終わっていた。しかし「夜に公園を通りかかると脚のない女が立っていた」、「深夜二時に桜の木に近付くと、誰かに足を掴まれる」等の話も出始めたのだ。


 ただしその殆どは単なる作り話だと言い切る声も多かった。何せ、人によって遭遇した幽霊の特徴が異なるのだ。若い女の姿を見たり、老人の嗄れた声を聞いたり。年齢はともかく性別すら統一されていない。やがて噂は「見る人によって姿が変わる幽霊」という内容に変化していった。

 イトくんも噂のことは知っていた。クラスの女子が話しているのを聞いたらしい。


「もしかしたら一気に増えたのかな……」

「公園行くの?」

「うん、次の休みに行く」


 イトくんがそう言うので僕もついて行くことにした。イトくんが心配ということもあったが、好奇心が一番の理由だった。

 土曜日、僕たちはいつもと違う理由でバスに揺られていた。前日緊張していたせいで中々寝付けなかった僕は、気が付くとイトくんに凭れて眠ってしまっていた。イトくんは真顔で前を見続けていて、少し怖いと感じた。


 公園に行くと、葉桜が僕たちを出迎えてくれた。散った花びらが地面に薄ピンクの絨毯を作っている。

 イトくんは「ああ、やっぱり……」と言って、チョキチョキとはさみで木の周りの糸を切り始めた。相変わらず僕には何も見えないし、幽霊の声が聞こえるなんてこともない。

 風が吹くと僅かに枝に残っていた花びらが散って、イトくんの頭の上に乗った。


 家から持って来た鼈甲べっこう飴を舐めながらイトくんを待っていると、公園の外から誰かがこちらを窺っていた。

 父と同じくらいの歳の男だった。怪訝そうな顔をしている。

 確かにイトくんのやっていることは、傍から見れば奇妙にしか見えないだろう。だが友人が奇異の目で見られるのは嫌で、僕はイトくんに声をかけた。


「イトくん、イトくん見られてる」

「えっ?」

「ほら、あそこ」


 僕が男を指差すと、男は慌ただしく走り去っていった。

 勝手にジロジロ見ていたくせに、こっちが気付いた途端逃げ出すなんて。嫌な気分になっていると、イトくんに「終わったから帰ろ」と声をかけられた。本人は気にしていなさそうなのが少し引っ掛かる。


「……多分ね、さっきの人今夜ここに来ると思う。この下に埋まっているのを取りに」

「下に?」


 やっぱり死体だろうか。イトくんはそれ以上はあの男について何も話そうとしなかった。聞く必要もなかったのだ。翌日、何と母から男の情報を聞かされたのである。


「あんたよく以東くんと○○町のお菓子屋に行ってるでしょ。その近くの幽霊が出る公園って知ってる?」

「うん。桜の木が危ないんだっけ?」


 それなりに知っている程度の返答をする。

 すると母は内緒話をするように小声で話し始めた。


「昨日の夜、その木の根元で穴を掘っている男がいたんだって。公園を通り掛かった仕事帰りのサラリーマンがそれを見付けて『死体を掘り起こそうとしてる!』って通報したのよ」


 どうやらそのサラリーマン、酔っ払っていたらしい。通報すると自分は男を押さえ付け、警察が来るのを待っていた。

 やって来た警官が男に話を聞くと、木の下に埋めていたクッキーの空き箱を回収しに来たのだと言われ、実際に箱が埋まっていた。

 問題はここからだ。


「警官が一応中身を確認したいって言ったら、男が嫌がったんだって。それで怪しいと思ってその場で無理矢理開けさせたんだけど……中に藁人形がたっくさん入ってたらしいよ」


 サラリーマンはその光景を見て絶叫。周り近所の住民が集まって来て、大きな騒ぎになってしまった。

 人形の中心には人間の毛髪が巻かれており、顔の部分には人の顔写真が貼られていた。

 男は『これは仕事で使ったもの』と白状したという。


「仕事?」

「自称呪い屋。殺して欲しい人間の髪の毛と写真をもらって、なーんか怪しい儀式してたとかでさ」


 母は金づちで何かを打ち付けるような動きをした。藁人形だろうか。


「そういうのって使ったあとはしっかりと手順を踏んで処分しなきゃいけないのに、面倒臭くて木の下に埋めてたの。自分から遠ざけておけば大丈夫だろうって」

「……もしかして幽霊が出たのってそのせいなのかな」

「ね。噂を聞いて見に行ったら、学生が木の周りでうろうろしてたから『まずい!』って掘り返そうとしてたんだって」


 僕たちのことだ。

 ひょっとして、公園の外でイトくんを見ていたあの男は……。

 思わず黙り込む僕に、母は「気持ち悪いわよね~」と興奮気味に言った。普通こんな話子供にするものではないが、噂とオカルトものが大好きな人だから仕方ない。


 三日後、僕は勉強を教えに来たイトくんにその話をした。

 イトくんに驚いた反応を見せず、自分から見た桜の木の様子を教えてくれた。


「木の枝にね、人の髪の毛がたくさん垂れ下がってるんだ。それから色んな人たちが木の上から地上を見下ろしてる」


 それは男がかけた呪いで死んだ人間の幽霊だろうか。僕の質問にイトくんは「よく分かんない」と答えた。


「本当に呪いで死んだのかもしれないし、偶然死んだとしても『自分は呪いのせいで死んだ』って思い込んでいるだけかもしれない。どっちにしても、その男の人が呪いをかけたのは本当なんだ。だからちゃんと人形を処分しないと自分に呪いが返って来ちゃうんだけど、何も起こらないからずっと木の下に埋め続けていたんだと思う。……僕が糸を切ってたから、何も起こらなかっただけなんだけど」


 イトくんは真顔で、けれどちょっと「やってしまった」と言いたげだった。

 原因が分からないままイトくんは糸を切り続け、よくないモノになった人の魂を消していた。男はそのことを知らず、ここに埋めれば桜の木がよくないモノを浄化してくれるのだと勘違いをしたのかもしれない。


「あの人、これからどうするのかな」

「もう埋めるのはやめるんじゃないかな。近所の子供に掘り返されでもしたら大事になるだろうし」

「じゃあ藁人形は……」

「自分でどうにかするしかないよ。桜の木に頼らないで」




 数年後、四十代の男が自殺したと県内ニュースで流れた。

 大雨が降っている夜、自宅マンションから飛び降りたらしい。僕のクラスメイトが男と同じマンションに住んでいるのだが、こんなことを言っていた。


「警察が話してるのこっそり盗み聞きしたんだけど、そいつの部屋調べたら風呂の中が黒い液体でいっぱいになってて、中から藁人形がわんさか出てきたみてーなんだわ。それから『失敗しました。死にます』って遺書もあったって」


 その話を聞いて、僕は呪い屋の男を思い出した。彼と自殺した男が同一人物かは分からないが。

 高校進学と同時に隣町に引っ越したイトくんによると、あの公園は一年前に取り壊され、今はパーキングエリアに姿を変えているらしい。



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