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佐藤くんは優しい。

佐藤くんはハウスメーカーの白いおうちに住む、22歳の次男坊。

「のど渇いた」が口癖で、いつも私をお茶に誘う。

今日だって、もう3杯目のコーラを飲んでいる。

羨ましいくらい、ごくごくと喉仏を上下に揺らしながら。


「のんちゃん、このあとどうする?映画でも行く?」


佐藤くんは優しい。でも、甘い。

私の変化に、何ひとつ気付かない。

雑誌のページをめくりながら、観たい映画の品定めをしている。

紙上をあっちにこっちに動かす佐藤くんの人差し指は、細くて長い。

佐藤くんいわく『子供のころ調子に乗って指を鳴らしすぎたせいで太くなった指』が、佐藤くんの手を神経質そうに見せている。

佐藤くんのどこが好きか尋ねられたら、私はきっと『手』だと答える。


「あー。今日カップルデーだって。」


お得だねぇって、笑顔でこっちを伺っている。

本当に鈍感な男。

私は今日ここに来てから、ほとんど喋っていないのに。

何も気付かない。

ねぇ佐藤くん。どう言えばいいのかわかんないけど。


「……行かない。」


映画だけ、じゃなくて。


「もう、大学も卒業だし。私、佐藤くんと遊んでいられないの。」


……一緒にいられないんだ。


佐藤君は少しの間、動かなかった。

その後もう飲み干してしまったコーラのグラスに手をのばし、無言で氷をコリコリ食べた。


話が飲み込めたのか、今度は妙にうなずきながら腕を組んだ。


「のんちゃん。気が早いよ。まだ9月だよ。せっかくがんばって就職活動して、内定だってもらったんだし。卒業したら遊べないよ。今のうちに遊んでおかないと。」


……だから、違うんだよ佐藤くん。


「あのね、私。ひとりになりたいの。就職もしないし、佐藤くんとも遊ばない。単位だってもう取ってるから大学にも来ないし。もう佐藤くんと会う事もないの。」


できるだけ、他の人に聞こえないように別れを切り出した。

佐藤くんは、少しだけ口を歪めて困った顔をしていた。

男のくせにつるんとした肌、ヒゲどころか日焼けさえしてないきれいな顔。

きっと佐藤くんは上品なおうちで、おっとり育ったのだろう。

洋服だっていつもシンプルだけど、小奇麗で柔軟剤の香りがする。


だから余計に。

佐藤くんをみていると苛々する。


私は満面の笑顔を佐藤君に向けた。

口からは、残酷な言葉がこぼれた。


「私、妊娠してるの。でも、佐藤くんなんて当てにしてないから。もう二度と会わない。」


今度こそ佐藤くんは動けなかった。

私はそっと席を立ち、そのまま静かに店を出て行った。

佐藤くんが追いかけて来れないように、私はいつもと違う路地を早足で通り過ぎた。


……可哀相な佐藤くん。


もう会う事もないけど。

佐藤くんは、このまま手入れの行き届いたおうちに帰ればいいんだ。

私との事なんて、すぐに忘れてしまえばいい。

私は協調性がないんだから、ひとりでいた方がいい。


大きな荷物は、2人で持つより1人で持ったほうがいい。

2人で持つと、相手の方が軽いんじゃないか疑ってしまうだけだ。

ひとりで好きなように持った方が、きっと軽い。


***


『スナック 美代』『和風ぱぶ 茶々』

いつの間にか、細い路地を歩いていた。

昭和の香り漂う、間口の狭いスナック街。


……佐藤くんはもう帰っただろうか?


私はあてもなく、駅とは反対方向に歩く。

携帯電話は店を出た後に電源を切ったまま。

下手に触って、佐藤くんの電話が繋がったら気まずいし。


「ホントさびれてるよね〜。」


さっきから、野良猫しか見かけていない。

昼は過ぎたが、夕方までもう少し時間がある。

スナックのおばちゃんは、まだ寝てるのだろうか?


少し歩くと、小さな公園に行き当たった。

人気の無い寂しい公園。ベンチとゴミ箱と…。2台のブランコ。


「穴場じゃん。」


擦り切れそうなブランコに腰掛けた。さすがに疲れてしまった。

足元のコンバースは、妊娠がわかってから買った。

恥ずかしいくらいに新品、ピカピカ。

多分もうこれしか履かない。


ゆっくりと、ブランコをこいだ。

懐かしい、金属の音。

私は子供の頃、ブランコが好きだった。

砂場みたいに誰かに邪魔される事もなかったし、ひとりでも遊べる。


……佐藤くんは良い父親になっただろうか?


選ばなかった未来を、想像してみた。

佐藤くんは優しいから、きっと子供を可愛がるだろう。

私にしてくれたように、あの骨ばった手で頭をふうわりと撫でてくれるだろう。

大好きな、佐藤くんの手。


でも。


それとこれとは話が違う。

現実は、そんなに甘いものじゃない。

佐藤くんは夫にはなれない。わたしが絶対に妻になれないように。


夕方になったら帰ろう。


幸い、佐藤くんは私の住所を知らない。

一人暮らしを邪魔されたくなくて、誰にも住所は教えていない。

ここで佐藤くんに見つからなければ、もう会うことは無いだろう。

大学の単位は足りているし、卒業式は出なくても卒業できる。


「自由だぁ……。」


元気よく叫んだつもりが、出てきたのはかすれた声だった。

1つの体にふたつの命というのは、予想以上に体に負担がかかるらしい。


なんだか、視界がかすむ……。


ブランコの鎖を掴んでいた手が、するりとほどける。


『ドスンッ』


そんな音が聞こえた。


体は少し揺れたような気がしたけど。


……どこも痛くない。


……どこも。


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