二つの境地
魔王が襲来してから、ちょうど半年が経とうとしていた。
飽きて出て行くということもなく、毎日道場に顔を出す弟子達。魔王にいたっては内弟子だ。
師匠である俺とは違い、我が弟子達は何事も精力的に取り組む。
素振りをしろと言えば一日中振り続けるし、瞑想をしろと言えば寝てるのかと勘違いするぐらい集中して取り組む。
そして何故か成果を出す。
魔王の素振りは無音なうえに、構えた剣がぼやけるだけになった。
ずっと上段に剣を構えているのだ。だが、振り下ろさない、ぼやけるだけだ。
「速い……目で追うのがやっとですぅ」とクロエが呟かなければ、俺はそれが素振りだとすら気づけなかった。
そして、クロエはというと、
仕事の合間に受付で素振りをするようになったクロエ。
俺が酒の席で話した、魔王による道場破壊事件の影響を受け、素振りで道場に穴を空けることを目標とするクロエ。
強制的に休みを取らせれば、魔王と共にクラーケン狩りに赴き、単独で狩れるようになってしまったクロエ。
あの良い子だったクロエはもういない。
今思えばあの頃のクロエはすごく可愛かった。
短所なんてものは見方を変えれば長所になり得るのだ。
クロエ自身は弱気な自分を変えたいと剣に打ち込んだのだろう。
そして、その短所は解消できた。
魔王と言い争いができる胆力の持ち主……これで弱気と言うなら人間皆勇者である。
最近本当に怖い。
魔王と言い争いを始め、双方譲らずに剣を抜いた時は肝を冷やした。
我が家で人死は勘弁してほしい。
俺は命懸けで間に入った。
クロエの剣が俺の額まであと少しというところで止まった。
その日から俺の夢には「騙したなー!」と剣を振り回し、俺に襲いかかってくるクロエが出るのだ。
夢の世界のクロエには、幾度となく殺されている。
だが、夢の話だ。
だから現実では大丈夫。そう思っていたのに……
「どう、でしょうか……?」
「…ふむ」
突如斬りかかってきたクロエ。
錆びているとはいえ、剣なのだ。当たれば死ぬ。
回避できたのは奇跡だ。
足が痛かったので屈伸した。その上を剣が通った。
屈伸に命を救われた。
生きてるって素晴らしい。
「クロエ!!!貴様はぁ!!!!」
魔王が激怒している。
やっちゃってください魔王様!
ぐれたクロエを矯正してください!
そしてあの頃のクロエに戻って!!
「なんだその軟弱な剣は!!」
え、そっち?俺を殺しかけた方じゃなくて?
「剣に気を乗せるではなく、騙すために使うとは……見損なったぞ!」
気って何だろう。
うちの道場、そんなこと教えてない。
「兄弟子にはわからないです!! 私は兄弟子のように速く強く剣を振るなんてできないんです!! 出来ないんですよぉぉ……」
魔王を怒鳴りつけたあと、泣き出してしまったクロエ。泣きたいのは俺の方だ、今死にかけたんだぞ?
本当に何言ってるのかわからない。
だが、中身化け物でも、クロエは見た目は少女なのだ。泣いていると慰めたくなる。
見た目って大事だよなぁ……
「クロエよ。 説明してみよ」
「ぐすっ…… わ、私は兄弟子のようになりたかった。 少しでも近づきたくて、睡眠時間を削って、一生懸命素振りしました。 でも、やればやるほどわかってしまうんです。 私は———兄弟子にはなれない」
「クロエ……」
クロエは魔王になりたかったのか。
それは、考えるまでもなく無理じゃないかな。
素振りで魔王になれたら、剣士皆魔王である。
「続けよ」
「兄弟子のようにはなれない……それはわかりました! 認めたくないけど認めます! でも、だからって私は———剣士としては負けたくない!」
「す、すまぬ、クロエ。いつだって我は苦しんでいるものに寄り添えぬ…… 少しはマシになったかと思えばこれだ。」
クロエの言葉を聞いた魔王が落ち込んでいる。
なんだこの状況は。
「兄弟子のように速く強く剣を触れないのなら、二つ、三つと剣を増やせないかと考えました。 ですが、もう一本剣を持つ……それは違う」
何が!?
二刀流ダメなの?カッコいいじゃん二刀流。
「気で斬撃を偽り、本物の剣への注意を逸らす。本当に二つになったわけではないですが、二つに見えるように工夫しました。」
「…ふむ」
「師匠、兄弟子、ごめんなさい。 こんな剣、邪道ですよね……」
「クロエ……」
空気が思い。
そして、新語『気』のせいで、全く話が理解できない。
もうどうにでもなれ。
俺はそれらしいように聞こえないでもない嘘を並べることにした。
「剣は道は一つにあらず、その道は険しく、そして無限に広がっている」
「はっ!」
「はい!」
「その全てを知ることは、神ですら不可能。 だが、大別すれば二つの剣の境地に辿り着くのだ」
弟子二人が死ぬほど真面目な顔をして、俺の妄言を聞いている。
「力ある者が、どこまでも己を信じ、己に降りかかる困難の全てを、真正面から叩き斬る傲慢な剣。その名も【真剣】 魔王の剣がこれに近い」
「真剣……」
「そして、真剣とは正反対の境地。その名も【偽剣】 クロエの剣はこれに似ている」
「は、はひっ!」
「力なき者が、困難が降りかかるたびに己を疑い、それでも剣を愛し、己を見つめ工夫することで強者たらんとした誇り高き剣なのだ」
「誇り高き剣……」
魔王寄りの剣を真、クロエ寄りの剣を偽と名付けた手前、本物のほうは傲慢で、偽物のほうは誇り高い事にしてみた。
うん。自分で自分が何言ってるのかわからない。
「クロエよ、よくぞ己の剣を見つけた。 慢心せず精進せよ」
「はい!」
誇り高き剣の人は落ち着いた。
だが、傲慢な剣の人はまだ沈んだ様子だ。
「魔王よ、何を落ち込んでいる」
「クロエの気持ちにも寄り添えず、それどころかクロエの誇りを否定するなど…… 傲慢、まさしくその通りかと」
「ふっ、何を思い詰めているのかと思えば……」
最後に落とした部分だけが魔王に刺さっているように感じる。
前半ベタ褒めなんだけどなぁ。
「お主は傲慢なままで良い。 だが、」
謙虚な魔王なんて似合わないし。
「己を知り、相手を知り、誰よりも正しくあれ」
「誰よりも正しく……」
「さすれば、その傲慢、なによりも長所となるぞ」
「その言葉、生涯胸に刻みまする……」
生涯は重い……
酒でも飲んで忘れてくれ、頼むから。