人智を超えた素振り
「いやぁ、助かりました。 まさか一日で終わるとは」
「いえいえ、この程度の修繕であれば難しくないですよ」
我が道場に空いた穴は、建築ギルドから派遣された職人の手によって、非常に綺麗に塞いでもらえた。
流石はプロ。全く跡がわからない。
「これは、感謝の気持ちです」
「これは?」
「クラーケンの切身ですな」
クリスさんが結構持って帰ってくれたが、冷蔵庫にはまだまだある。
職人さんが喜んでくれたら、ご近所さんにも配ってみようか。
「クラーケン!!? 良いのですか? 高級な素材だと聞いたことがありますが……」
「ええ、酒の当てにピッタリですので、よければ晩酌のお供にでも」
「当て!? 食べるのですか?」
「これ以上はない、酒の当てですな」
酒豪受付嬢が可愛い後輩を犠牲にしてでも手に入れたい高級イカだ。
最高の当てである。
「人数分用意していますので」
「こ、これはこれは、ありがとうございます」
「いえいえ」
まだ冷蔵庫の三分の二ほど高級イカに占拠されているので。
受け取った親方が職人達に高級イカの切身を配る。
不思議そうな様子だったが、親方にクラーケンだと言われると、皆驚いていた。
「「「ありがとうございます!」」」
「いえいえ、またお願いします」
多分、また壊れると思うので。
職人達が帰った後、俺はご近所さんにクラーケンを配って回った。
戸惑っている様子だったが、食べてしまえば高級イカの虜になることだろう。
十件ほど回って、やっとはけてきた。
残りは三日もあれば食べきれそうな量だ。
そう……やつらが帰ってくるまでは。
「師匠、今戻りました」
「し、師匠!!!! 私やりました!」
高級イカを担いでいる魔王。
涙ぐみながら喜んでいるクロエ。
何故だ、何が起きた?
「…ふむ」
「守るというのは難しいものですな。 ぴーぴー泣き出した時はぶち殺してやろうかと思いましたぞ」
「そ、それは言わない約束ですよ!」
「良いではないか。 過程はどうあれ、試練を乗り越えたのだから」
「そ、そうですね、えへへ……」
乗り越えてはならない試練を乗り越えた二人は笑顔で会話している。
仲良いよね、君たち。
「精進せよ」
「はひっ!」
「はっ! ではクロエの入門は?」
「……認めよう」
わーっとハイタッチしている、厳ついおっさんと弱気な少女。
真逆だからこそ惹かれあうものでもあるのか?
「切り分けよ」
「はい! クリスさんに持って帰ってあげて良いですか?」
あの酒豪、両手いっぱい持って帰ったというのに、まだご所望なのか。
「もちろんだ」
「わぁ、ありがとうございますぅ」
というか、お前達の物だろう。
魔王に聞け、魔王に。
そして、うちの冷蔵庫を占拠するな。
高級イカの切り分けを二人に任せ、俺は寝る事にした。
明日になれば良いことあるさ。
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「師匠、おはようございます」
「おはようございます!」
「…ふむ。 おはよう」
何故、クロエがいるのだろうか。
「クロエよ。 仕事はどうした?」
「今日はお休みをもらっています!」
休みの日まで修行か……
遊べよ、少女。人生は短いぞ。
「師匠、始めてよろしいですかな」
「そうだな、外に出ようか」
そう言って、外に出ようとした俺を魔王が止める。
「我の成長を見て頂きたく……」
「…ふむ」
「試練を経て、力の集約について掴めたと感じております。 道場を破壊するような粗相はもう無いと思います」
何を言ってるのかわからないが、外に出ないで良いならそれに越したことはない。
道場があるのに、外で素振りとか意味がわからないしね。
「やってみよ」
「はっ!」
真剣な眼差しの魔王が錆びた剣を抜いた。
そして、上段に構える。
「ふんっ!」
…………
無音!?
「…ふむ」
「どうでしょうか……」
何故あれだけ全力で振って音がしないのだろうか。
魔王が試練で何を掴んだのかが理解できそうにない。
「殻を破ったな、魔王よ」
「はっ!」
「慢心せず精進せよ。 殻を破り、成長したからこそ見えた世界があるはずだ」
「そうですな、知れば知るほどわからなくなります。 剣とは、これほど奥が深いものなのですな」
何言ってるのかな、このおっさん。
キラキラした目で俺たちを見ているクロエの目にはこれが何に映っているのだろうか。
「剣の道は一つにあらず、答えなどない修羅の道である」
「はっ!」
「己が剣を見つけよ。 期待している」
「必ずやご期待に添えましょうぞ!」
そう言って、素振りを始めた魔王。
釣られるように、クロエも素振りを開始した。
魔王の素振りは既に人智を超えている。
何故音がしないのか理解できないし、理解したくない。
だが、クロエの素振りは俺でもわかるぐらい下手だ。
おそらくは人智を超えた素振りの真似をしようとしているのはわかる。だが、人間が魔王の真似など出来るわけがない。
「クロエよ」
「は、はひっ!」
「なんだ、その素振りは」
「その、初めてなので兄弟子を真似てみました。」
兄弟子……?
ああ、魔王のことか。
やっぱ君ら仲良いよね。
魔王と普通に仲良く出来る時点で、クロエのびびりは治ってないか?
目的を達成したなら、さっさと出て行ってほしい。免許皆伝でいいから。
「…ふむ」
「だめ、でしたか……?」
「いや、真似をすること自体は悪いことではない」
涙目の少女に出て行けとは言えないよなぁ。
「まずは自分の姿をイメージせよ」
「イメージ?」
「お主はまだ、剣の形がないのだ。 何者にも染まっておらぬ無垢の剣……今の段階で人の剣を模範するのは、お主の可能性を狭めてしまう」
「ど、どうすればいいのですか?」
知らんがな。
とりあえず俺が良いたいことは、人智を超えた素振りを普通の人間が出来るわけががないと言うことだけだ。
「素振りはやめだ。 クロエよ……」
「はひっ!」
「剣を握り、己が思う構えを取り、瞑想せよ」
「瞑想、ですか……」
「さすれば……」
クロエはごくりと喉を鳴らした。
「己が剣の形が見えてこようぞ」
「は、はい! 頑張ります!!」
ああ、頑張ってくれ。
そして満足したら出て行ってくれ。