変な事をしましょう
もちろん依子さんにもユースの合格を伝えると、思いのほか喜んでくれるような返信が来た。
嬉しくなって、姉に自慢すると、「社交辞令」の一言で切り捨てられた。こんな姉しか恋愛相談する奴がいないのは悲しい事だ。
「おっ、依子から聞いたよ。ユースに復帰したんだって?」
公園の運動場で、風太郎さんが俺を見つけると、いの一番で聞いてきた。以前のトレーニングから二週間ほど間が空き、ユースに合格以降会うのは初めてだ。
「あっ、お久しぶりです。はい、おかげさまで」
「セレクションの後で関わったんだから、何もしてないでしょ。とにかくおめでとう!」
「ありがとうございます」
「早速、ストレッチからね。ユースの練習はどう? きつい?」
柔軟運動を手伝ってくれながら、風太郎さんが尋ねる。
練習内容はJrユースの時よりも、精度を求められることが格段に多くなった。
そして、何よりも……。
「やっぱり先輩方はフィジカルが強いですね。その……正しいフィジカルの意味でも」
「そうだね。当たりも強くなってくるから、怪我に気をつけないとね。体っていう土台に対しては、僕にまかしてもらおうかな」
風太郎さんにそう言ってもらうと安心できる。前回のこの人のトレーニングは自然と無理なく限界までもっていける不思議なサポートをしてくれる。
「さて、ユースにも合格したことだし、あんまり筋トレめいたことは止めておこう。しばらく練習についていくのも大変だろうしね」
「あ、ありがとうございます」
「今日はコレからね」
と、渡されたのは、野球のグローブ。
ん?今度は野球?
「右利きだよね?」
「あっ、はい。ってコレ左利き用のグローブですよね?」
「そう、右で捕って、左で投げてもらうよ」
「左で……」
「そう、体に慣れない動きをどんどん経験させて、急な変な動きや、体のバランスを取れるようにしていこう」
「前はバスケをやりましたけど、今度は野球?」
俺、サッカー選手なんだけど他の競技をしてて良いのか?
「ねぇ? 意味分かんないよねー?」
と、いきなり顔の横に天使が現れた。しかも良い匂いもする。
「っ!?」
「遅かったね」
「んー、ミーティング長引いたの。あっ、千紘君、おめでとう! やっぱり直で言いたいよね」
「っ――――――依子さんっ!? あれ、なんで?」
いきなり現れた依子さん。昨日の段階では、来れないって話ではあったのに。
「へっへっへ、びっくりさせたくて、内緒にしてもらったのでしたー!」
したり顔で笑う依子さんの顔が、ものすごく可愛い。
「くっそ、可愛いなぁ」
つい、心の声をつぶやいてしまった! と思ったが声の主は風太郎さんだった。
「いや、ほんとビックリしましたよ。春先以来会ってないんで」
風太郎さんのつぶやきを無視して、依子さんとの会話に興じる。
「えーと、言いづらいんだけど、私、女子の代表選手なんだ……。遠征だったり、招集練習だったりで、なかなか来れなくなっちゃって……ごめんね?」
シュンとした依子さんが、小動物みたいに体を小さくしている。ヤバイ。抱きしめたい。
「あっ、知ってましたよ?」
「なんとっ!?」
小動物からアンコウみたいな大口を空けて驚く。この表情の変化がたまらない。
「初めて会った時、代表ジャージだったじゃないですか。それにこないだ、中国遠征のとき、テレビに映ってましたよ?」
「えー、知ってたんだー。なんかずるい」
「それどころか、注目選手って特集されてましたよ。サッカーやってる人間なら、もしかしたら知らない人いないんじゃないですかね?」
「そんなに有名?」
「はい。サッカーに興味がない、うちの姉も知ってるくらいです。カワイイ子だね、とも言ってましたけど」
本当は、俺からの情報を得てから調べたのだが。姉は画像を見て、しきりに「へー」だの「ふーん」だの俺に向かって言っていた。
「いや、かかカワイイとかホントに、えっ!?」
「ホントに言ってましたよ、嘘じゃないです」
顔を赤らめる依子さんを見て、何故か申し訳なくなり訳の分からないフォローを入れる。
「……おーい、いちゃついてないで始めるよ。依子も同じトレーニングだ。千紘君とキャッチボール」
「もー! いちゃついてなんかないってば!」
「どうだかねぇ?」
そう言ってさらに、依子さんを茶化しているが、風太郎さんの目が笑っていないのを、俺はしっかり見てしまった。
少し風太郎さんにビクビクしながら、トレーニングを始めるとすぐに意味が分かった。
ただ単純に動かしづらいってだけではない。スムーズに動かすためには、こういった体の使い方をしなければいけないと気付かされた。
漫然とただ何となく体を動かすのではなく、体の動かし方を覚えていかなくてはならない。
「さて、そろそろ気付いたかな? というか、体を動かし方が分かってきたかな?」
ボールを投げるという動きは、体の捻りを存分に使って成り立つ動きだ。
その動きがスムーズにできないということは、下半身からの回転させるというエネルギーを上半身に上手く伝えられないということ。
サッカーのキックに関しても同じことで、どっちか片方の捻りが不完全な場合、強いボールを蹴ることは難しい。左右どちらにも捻ることが出来て、足を振り抜くことが出来る。
それに、普段使わない動きをするのだから、バランスがとりにくい。
ボールを投げようと踏み込むと、上半身がフニャフニャしたり下半身がガクガクと安定しなかったりと、意識しなければ変なフォームが出来上がる。
逆に、右で投げる場合、意識せずともバランスは取れているのだから、無意識で行っているんだろう。つまり、体が覚えているというやつだ。
「何となくでしか理解できてないですけど」
「そうだろうね。なら、少しお手伝いを……」
と言うと風太郎さんは、俺の右膝上の腿を手のひらで触った。というよりも掴むようにグッと圧がかかる。
「次に投げる時、この部分を意識してごらん?」
言われるがままに、腿を意識して投げる。するとどうだろうか、踏み込んだ時に腿を使っているという感覚が強烈に分かった。
「そしたら、今度はここねー」
次に左の脇腹と右の腰を触られてから投げ込むと、やはりその部分の動きが感じられる。
使う筋肉を意識しやすいというべきか。
一通り風太郎さんにチェックされると、投げるという動作に、これだけの体を使うというのがはっきりと分かる。
左手である程度スムーズに投げれるようになってから、今度は利き腕で投げる。バランスを整えるという意味があるらしい。
「やっぱり運動神経いいなー、すぐに意識して体を動かせちゃうもんな」
「いえ、そんなこと……」
「いやいや、誇っていいよ。さて、次だ。今度はこれだ」
今度はサッカーボールを持ちだしてきた。
「あっ、今度はサッカー? やったね、早く蹴ろう早く!」
子犬みたいにボールにはしゃぐ姿がカワイイ。
「蹴るなんて、誰が言った?」
えーっと、サッカーボールは蹴るものですよね?
「バランストレーニングだよ。筋トレめいたものは控えるといったけど、インナーマッスルのトレーニングをしないとは言っていない」
ニヤッと笑う風太郎さんを見て、依子さんが真っ青な顔で震える。
「千紘君、覚悟した方がいいかも……」
「!?」
「アレ、スゴク、キツイ」
目に光を失った依子さんがカタコトで伝える。
「覚悟しときます……」
そして、公園に俺と依子さんの悲鳴がこだまするのに、そう時間はかからなかった。
ユースの練習に慣れるまでは軽く。という発言はどこに行ったのだろう。