クラッカーを耳元で鳴らさない。
風太郎さんとの不思議なトレーニングを終えて、家に帰る。
「あー、小平FCから電話あったよー」
リビングに入ると山葉がソファに寝そべりながら言った。
「……その、何だって?」
きっとセレクションの結果だろう。期待と不安が半々に入り混じりながら聞く。
「んー、明日から練習来いってさ。時間分かる?」
「マジか! うん、分かる分かる!」
つい嬉しくてガッツポーズを取る。
「っしゃあ、よかったぁ~……」
「うん、おめでとさん」
小平FCは東京都小平市に本拠地を構えるJリーグのチームで、日本代表の選手も数多く輩出している。
晴れてそのユースチームに所属、いや復帰することになり、いの一番で依子さんにメールをした。
「さて、千紘、お祝いでもしようか」
「えっ、その山葉さん……どういった風の吹き回しでしょうか?」
おかしい、そんなことをする姉ではないはずだ。
「おーい。出ておいでー」
というと、、リビングの奥の部屋から、龍と真理が出てきた。
「おめでとうー」
「ようやく戻ってきやがったな、お帰り。色んな意味で」
「お、お前ら……」
パーティー帽をかぶり、顔には鼻メガネをつけて二人が近寄ってきてハイタッチなどをしてくる。そして―――
「パンッ!」
「ぐわっ!」
真理がクラッカーを耳元で鳴らしたのでつい悲鳴が上がる。
「真理、お前なぁ!」
と、真理を睨むとキョトンと、何がまずかったのか分からないといった顔をしている。なんだか知らないけど、叱りづらい。
「真理、耳にクラッカーは近付けんな」
俺の表情を見て察したのか、龍が言いにくかった事を伝えてくれて助かった。
「で、姉ちゃん笑いすぎだから」
俺がクラッカーで悶絶しているのを、ケラケラと腹を抱えて見ていたのだ。この姉の風上にもおけない奴め。
「さてと、とりあえず、飯でも食うかね、諸君」
俺の発言を見事にスルーし、食卓に皿を並べる山葉。
「ほら、いつまでも遊んでないで席に着きなさい」
山葉の言葉に促され、俺たちは席に着いた。食卓には俺の好物ばかり並べられている。
「あっ、千紘の好きなものばっかね。お姉さん頑張りましたねぇ」
「こいつの好物を用意したって言っても出来合いだからねー。親父たちにはスポンサーになってもらったけど」
「これ山葉が作ったんじゃないのか?」
「ちゃんと龍には手作りしてやるから安心しなさい」
ノロケをさらっと展開し、姉は料理を取りわける。
「いい彼女出来て良かったね、龍。お姉さんは鼻が高いよ」
無い胸を張り、したり顔をしながら真理は頷く。
「変なとこで姉貴面すんな。そういうところが、ガキっぽいんだよ」
反対側で、同じ顔した龍が、苦虫を噛み潰したような顔で悪態をついた。
同じ顔でも表情一つで、こうまで違うかと思う。
「そういや、真理も知っていたんだな、二人が付き合っていること」
「うん。こないだ家に来て、挨拶していたもん両親に」
「ん? 両親?」
「そう、ちゃんと二人は付き合ってますって、宣言してたよ」
「そういうところキッチリしてんのな」
「当たり前だ。未成年相手なんだから、キチンとしておかないといかんだろう。あとついでに、『卒業したら結婚も視野に入れてます。それまでは息子さんに手は出さないのでご安心してください』とも言っといたよ」
「うん、誇らしげに言ってても最後で台無しだからな」
結婚を前提とか言いながら、なんてことを言い出しやがる、この姉は。
「でも、両親は喜んでたよー。龍にも彼女が出来たかーって。私は『彼氏作るな』って言われたけど」
「真理には親父さん厳しいからな……」
「で、千紘、お前、このままでいくのか?」
突然神妙な顔をして、龍が尋ねる。
「このままって?」
「ポジションの話だよ」
ああ、その話か。
「お前、自分からサイドのプレーヤーとして希望したんだろ?」
「そうだよ、今のユース代表のサイドプレイヤーは身長低いの多いだろ?」
「ん? 代表に選ばれたいから、ボランチ辞めるのかよ」
「第一、起用法は俺がどうこう出来る問題じゃないだろ? 監督やコーチがボランチっていうなら従うよ。それに怪我してから、左が蹴れないんだよ。四方八方から敵が来るボランチじゃ前みたいにゲームメイク出来ないと思う。だからサイドなんだ」
だんだんと龍の顔が暗くなっていくのが分かる。
「それで、本職のサイドに勝てるのか?」
「正直なところ分からない。練習試合では通用したけど、左が蹴れないって事がばれたら対策はされるだろうなぁ」
「……じゃあ代表どころか、試合に出れるかも怪しいじゃねぇか……」
「あーっ! 龍は千紘と一緒に試合出れないのが嫌なんでしょ?」
暗い空気を破って、真理が龍を茶化す。多分真理は和ませようとか考えていない。ただのスタンドプレーだろう。だがナイスだ。
「ち、ちげーよ。ずっとボランチでやってた奴が、出来なくなったからって、いきなりサイドとか本職のサイドプレーヤー馬鹿にしてるとしか思えないんだよ!」
「なに? 千紘、あんた龍の事、馬鹿にしてんの?」
うるせーよ、分かんないのに横から入ってくんな馬鹿姉! いきなり噛み付いてきやがって! 混沌めいてきたじゃねぇか。
「してるわけあるか! そもそも、ポジションに良いも悪いもあるかよ!」
「だったら大人しくボランチにでも収まっとけ。うちのチームにはサイドは足りてるんだよ、バーカ」
なんだコイツ、小学生か?
「バカって言った方がバカなんですー」
「あっ千紘、あんたいい加減にしなさいよ? 龍にバカとはなによ、バカとは?」
何という面倒くさい姉だ。
「あいつが先に言ったんだろうが、ちゃんと耳掃除しておけよ!」
「ちゃんとしてますー。あんたみたいなズボラと違って、身だしなみはきちんとしてますー」
「俺もちゃんとしーてーまーすー。それに、うちのチームのサイドは、どっかの誰かさんを筆頭にちびっこいから、身長が欲しくなるのは当たり前じゃないんですかねー?」
「あぁっ!? 喧嘩売ってんのかコラ」
「べっつにー、お前の事とは何一つ言ってませんー。ライン際のヘディング争いとか余裕で勝ってただろうが、ああいうボールを拾う行為が大事なんだよ。まぁ、お前には分からんだろうが」
「その折角の高さも、方向音痴のヘディングしたんじゃ宝の持ち腐れだなぁオイ。こないだは何度もパスしてもらって、ありがとうございました」
痛いとこを突きやがる。
俺はどうにもヘディングが苦手で方向が定まらないのだ。で、その調子っぱずれたボールを勘の良い龍が良く拾っていた。
「いえいえ、どういたしまして。届かないと思いまして、代わりに取って差し上げてたんですよ」
舌戦は続く。
俺と龍、ときどき山葉で喧々諤々と口角泡を飛ばす。
その様子を見ながら、真理がゲームを支配した。
「皆、小学生の頃と変わらないねぇ。子どもみたい!」
とたんに冷静になり、コホンと咳払いする山葉。
一番口論を引っかきまわしていた奴が今更、年長者ぶろうともう遅い。
「ねー、ご飯食べようよー」
何事もなかったかのように、真理はこの場の空気を変えて見せ、見事にゲームメイクをしてしまった。
もしかしたら、真理はボランチに向いているのかもしれない。