現れる男
翌日、約束の時間に、運動場へ向かう。
いったい、依子さんが紹介したい人とは誰だろうか。
もしかして、彼氏が実はいて、その彼氏が俺をボコボコにしに来たとか。
落ち着かない気持ちをボールをいじって紛らわす。
「君が磐田千紘君かな?」
後ろからの声に反応し、振り向くと眼鏡をかけた、いかにも優しそうで爽やかな男が立っていた。
やはり彼氏がいたのか……。優しそうな人だし、何とか話し合いで解決したいものである。
「初めまして、依子の兄、川崎風太郎です、よろしく」
「!?」
お兄さんだと!?
「あ、その、はは初めまして、お兄さん!」
「お義兄さんとかフザけてんのか」
え?今、なんておっしゃったんですか? よく聞こえなかったんですが。
「早速だけど本題に入ろうか」
「えーと……はい」
「依子に言われて、君を鍛えに来た」
と、眼鏡を直しながら風太郎さんは言った。その表情は実に真剣で、冗談ではないようだ。
「プロのパーソナルトレーナーとしてね。あ、無料だから安心して」
「パーソナルトレーナー?」
「高校生には聞き慣れないか。ザックリ言うと、一対一で筋トレを人に教えている人だよ。高校生だから、そんなマッチョになるようなトレーニングしないから、安心して」
ふむ、筋トレに関しては、正直、よく分からないことがあるから、凄くありがたい。
そもそも、筋肉をつけると、スピードが落ちるとか、怪我が多くなるとか言われるけど大丈夫なのだろうか?
「どうやら筋トレに対して、あまり知識はないようだね?」
俺の顔を見ながら、風太郎さんはニヤリとした。
「日本のサッカーは大きく進歩した。けれども、サッカーの強豪国に比べると、代表も国内リーグもあと一歩及ばない。何故かな?」
「……フィジカルですか?」
「そう! いろいろ有るけどもフィジカルも大きい要因だね。日本では『体の強さ』だけを指す言葉だね。けど、ちゃんとフィジカルっていう言葉を知ってる人が多いなら、日本はもっとサッカーの強豪国に近づけるんだろうけどね。でも悲しいことに皆、勘違いして認識してる」
困った顔をしながら風太郎さんは首を振る。
「勘違い?」
俺も困った顔をしながら問いただすと、一転明るい顔をして答えてくれた。
「うん、本来は肉体の~って意味。つまり、身体能力全てを指す言葉。スタミナとかジャンプ力もみーんなフィジカルって言えちゃう」
「身体能力ですか。そしたら、なんで『体の強さ』だけをフィジカルって言ってる人が多いんですかね?」
「元々はフィジカルコンタクトって言葉が、いつの間にか縮まったんだろうね」
「フィジカルコンタクト……」
「読んで字の通り、肉体接触だよ。体をぶつけ合ったり、足を刈りに行ったりね。ボディコンタクトって言い方もあるかな」
「なるほど」
「さて、そんなフィジカルコンタクトの話も含めて、話を続けようか。じゃあ日本代表のサッカーに足りないフィジカルってなんだと思う?」
「足りないフィジカル……やっぱり体の強さなんじゃないですか?」
「そうだね、未だに国内のリーグをみると、激しいタックルやチャージを苦手としている選手は多いよね」
やはり、代表戦なんかを見ると、海外の選手と比べて体も小さく、背も低いのが分かる。
「だけど、体の強い、激しいサッカーって、本当に強いのかな?」
「えっ!?」
意地の悪い笑顔を浮かべながら、風太郎さんは俺の横に立った。
「思い切りショルダーチャージをしてごらん? 僕はただ、こらえるだけだから」
「……いきます」
依子さんのお兄さんに、そんなことをするのは気が引けつつも、精一杯の力で肩をぶつける。
鈍い音が、体の中で響く。
しかしバランスを崩したのは、俺の方だった。
「さて、分かったかな?」
よろめく俺を支えながら、風太郎さんは言った。
「……なんでか分かりませんけど、こんなチャージじゃダメってのは分かりました」
「まぁ理論はおいといて、走った状態なら僕も飛ばされていただろうね。体をぶつけるって、実はぶつけた方も当然、バランスを崩すんだよ」
「なるほど」
「フィジカルコンタクトに強いサッカーはもちろん有利にしやすい。プロとアマチュアの一番の違いって、身体能力の違いでもあるからね。体の大きさの違いも分かりやすいんじゃないかな?」
「あぁ、テレビでスポーツ選手を芸能人と比べると、小さいって言われている人も実はでかかったりしますね」
「じゃあブラジル代表のイメージってどうかな?」
「うーん、色んな意味で上手いって感じですね」
「でしょ。相手に体を寄せられて、無理にこらえる必要はないんだよ、ファールになるんだからね」
「じゃあ、フィジカルコンタクトに強くなくても、テクニックやスピードでかわせれば良いってことですか?」
いぶかしむ俺を見て、満面の笑みを浮かべ答える。
「そう、そこが日本のサッカーを、ひいてはスポーツ界を駄目にしている! 人種のせいにして体が違うだの、筋トレをするとスピードが落ちるだのと騒ぐ連中が多すぎるんだ」
「あっ、筋トレすると、スピードが落ちるって話は良く言われますよね」
「そういう誤解を少年たちに植え付ける老害どもも多いね。どうせ、筋トレでつけた筋肉は使えない筋肉とかもセットで言ったんだろうね」
老害とはけっこう過激な発言をする人だな。
「その通りです」
「イメージしてくれるかな、短距離走の選手と体操選手を」
「……マッチョですね」
「そう、スピードがもっとも求められる短距離走で、ホントに筋肉を付けてスピードが落ちるというなら、長距離選手みたいにガリガリじゃなきゃおかしいよね。体操選手もあんなに空中で体をコントロールしつつ、複雑な動きをして尚かつ柔らかい」
「そしたら、何で筋トレは悪みたいな風潮が……見れば誰でも分かるというか、気付くのに」
うんざりした顔をしながら風太郎さんは口を開いた。
「個人的に思うところは色々あるけど、武道の理念と根性論が原因かな。『柔よく剛を制す』と『スポ根』。技術を特化させて、ただの力自慢を悪役にしてしまった。それに、スポ根精神で頑張りすぎてしまった選手が故障したりとかね。だから筋トレが悪になってしまった」
「そういう一面もあったんじゃないか、ってことですか」
「いちいち、技術と力を別個に考えすぎなんだよね。剛柔一体ってことだよ」
「剛柔……一体」
「さて、話が長くなったね。君の症状は聞いているよ、プレーの傾向もね。もちろん、ユースチームのフィジカルコーチの下、体幹トレーニングはしっかりしているとは思う。なら、ちょっと違った視点から強化していくとしよう。まず手始めに……アレをやろうか」
そう言った風太郎さんの視線の先には、バスケのゴールが。
「はい、これボールね。まずは左右のレイアップからね。膝が不安だから、思い切り飛ばなくていいよ」
ホントにバスケをするのか……。いぶかしんでいる俺を見ながら、風太郎さんはニッコリ笑っている。
果たして、俺のフィジカルとやらはこれでレベルアップするのだろうか。