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長い道のり ~あなたの愛を求めることは、~ 02

 そして、夕方、往診のドクターは、真っ暗な寝室でひっそりと佇む私の様子で修一が亡くなったことを理解したようだ。


 葬儀は、生前から決めておいたような段取りで行われたが、彼を慕うファンたちも拍手と大向うの掛け声とともに見送ってくれた。恐れ多いことに親族の席に座らされ、お嬢さんたち二人と共に、ご参列いただいた皆様へご挨拶をしたが、いたたまれない思いで、通夜、告別式を終え、今、私は、誰もいなくなった家の、修一の部屋で、ひとしきり声を出して泣いた。5日前まで修一がいた部屋は、今はただ、ひんやりと薄暗く寂しい。最後の掃除をして、少ない荷物をまとめ、17年住んだ、早智先生の、家を出た。そう、早智先生の家。


 私は、5年前に購入しておいた小さな自分の家に向った。手入れを放棄していた庭には雑草が生い茂っている。何も考えたくない私にとって無心に草をむしることは都合がよかったが、ふと手を休めると、この17年が何だったのか、そのことに捕らわれて、涙が流れる。私の人生は、これで良かったのかと言う後悔が、来る日も来る日も襲い掛かり、50歳を前に、呆然と立ちすくんでいた。


 修一の告別式から2か月ほどたったある日、加山家の弁護士だと言う男が、お嬢さん2人と共に訪ねてきた。修一の残した財産の1/2を私に相続させると言う。驚いている私に、美咲も結衣も、にっこりとやさしいまなざして私を見ている。私のこの17年間のことはお金の問題ではない。放棄すると言う私に、弁護士は手紙を渡してきた。とにかく、読んでから、決めて欲しいと言うのだ。


真知子さん

この手紙を読む頃は、きっと私はこの世にいないのだろうね。

17年、本当にありがとう。

わたしは、ずるい男だった。


 君を妻に迎えることもなく、ただただ、日々を送っていた。

 早智とは、中学からの付き合いだった。いいことも悪いことも一緒だった同志のような関係だ。私は俳優として身を立てようと思っていたし、彼女は、華道家として、成功しようともがいていた。だから、結婚が遅くなったのだろうし、娘たちも授かるのが遅くなった。子供ができても、早智は、華道家としての生き方を変えなかったし、私はそれで良いと思っていた。


 そして、早智が病を得て、君が我が家にやって来た。毎日の、なんと穏やかで、ゆたかな時間。こんな生活があるんだなあと、心が温かくなっていた。娘たちも同じように感じていたと思う。

 早智が、真知子さん、君に無理を言ったことに最初は戸惑っていた。でも、だんだんと君を好きになっていた。それが、早智にも分かるようになって、僕はあせった。早智のことは、どんなことがあっても、大切にしなければならない。早智は同志だ。でも、それでも、だからこそ、正直に伝えなければと思った。早智は、黙って泣いたよ。


 そして、しばらくして、

「わかったわ」

と、笑ったんだ。それでも、先に旅立つ者の悲しさをいやと言うほど、私は知らされた。そして、誰にも、そう、真知子さんにも、一生口にしないと決めたんだ。

「暗黙のうちに」

そう、早智も、私も。


本当に、すまない。

君が台所で、泣いていることを知っていた。

私が病気になる直前に、君が何か決心していたことも感じていた。それが、私の病気を知って、黙って、私の面倒を見てくれていたことに感謝しかなかった。

本当にずるい。どんなにわびても、帰ってこない17年だったね。

でも、もう一度言わせてくれ、私にとって、どんなに幸せな時間だったか。

17年間 すまなかった。

17年間 ありがとう。

17年間 幸せでした。


 娘たちに、財産のことを話した時、快く了解してくれた。真知子さんのことを早智は、娘たちに話していたそうだ。最初は抵抗があったようだが、真知子さんの陰ひなたのない献身的な愛情を受けるたびに、だんだんと二人は心を開いて行ったそうだよ。そして、早智の逝った後の10年間、ほんとうに家庭のあたたかさを感じた10年だったと感謝していた。娘たちがそう言ってくれたことで、私は少し救われた。君の時間は帰ってこないけど、私だけでなく、娘たちも、君を家族として大切に思っていてくれることがうれしかった。



私は、同志のところに向います。

でも、心は、貴女のところへ置いていきたい。

愛しています。

真知子さん。



追伸

置いていく心は、私のわがままです。

貴女が、こんなものポイっと捨てて、次の人生を送ってくれるほうが、

私にとって、もっと、うれしいことですから、重荷に考えないように、お願いします。

でも、真知子さん。

もう一度、言わせてください。


愛しています。

真知子さん。




 私は、手紙を胸に抱きしめた。生きている時、言葉にしてくれなかったことに、少し悔しさを感じるが、早智先生のことを思うと、仕方がないと諦めた。頬を伝う涙をぬぐっていると、美咲が言った。

「お母さんも、お父さんも、勝手よね。でも、真知子さん、私たち、お母さんのダメ主婦ぶりを知っていたから、真知子さんの手作りの料理も、清潔な洋服を着れることも、そして、私たちの話をじっくりと聞いてくれることも、うれしかったの。」

「お母さんが居ても、母親としては、居ないのと一緒だったのよ。」

「でも、お母さんのことかっこいいと自慢にも思っていたから、仕方がないと思っていたの。だいたい、手作りの料理なんて、まともに食べたことないんだから、他の家と違うなんて考えたことなかったのよね。」

そう言って、可笑しそうに、二人で笑っている。


「真知子さん、この17年、本当にありがとうございました。」

「5年前、私たちが家を出たのだって、父さんと真知子さんを二人だけにしてあげたかったからなのに、まるで介護をお願いするようなことになって、ごめんなさい。」

「でも、父さん、幸せだと言ってた。」

「なら、真知子さんに、ほんとうの気持ち言えばよかったのにね。」

「ごめんね。父さん、母さんのことも大切にしていたからね。」

私は、黙って、首を横に振った。何も言葉が出てこなかった。


「また、来ても良い?」

そう、言って手を振りながら、美咲と結衣が帰っていった。事務的な話があるからと残った弁護士が言った。

「あの子たちの気持ち、受け取ってやってください。」

「真知子さんは、きっと辞退するんじゃないかと心配で、一緒に行くと聞かなかったんですよ」

「案の定、貴方は放棄するって言ってましたよね。」

「こんな仕事をしてますと、修羅場、多いですよ」

「それが加山家のお嬢さんたち二人は、真知子さんの心配を真っ先にしているんですからね。」

「貴女が、あの子たちをいい子に育ててきたと言うことです。貴女が、修一さんを、お嬢さんたちを、そして、早智さんを幸せにしていたことになるんですね。」

「真知子さん、確かにお金の問題なんですけど、こんなものでしか、表せない愛情もあるのですよ。」

何も言葉に出せない私は、黙って「うん、うん」と、頷いた。


 小高い丘の上に建つこの家からは、駅まで続く住宅街が見渡せた。夕闇が迫り家々に、明かりが燈り(ともり)だしている。それぞれの窓に、それぞれの家族の葛藤があるのだろう。でも、きっと、それぞれの幸せだってあると思いたい。思えるようになりたいと、私は、長い影法師を連れて駅へ向かう、二人の後姿を見送った。







最後まで、お読みいただきまして ありがとうございました。

よろしければ、「長い道のり ~あなたの愛を求めることは、~」の朗読をお聞きいただけませんか?

涼音色 ~言ノ葉 音ノ葉~ 第34回 長い道のり ~あなたの愛を求めることは、~ と検索してください。

声優 岡部涼音君(おかべすずね♂ )が朗読しています。

よろしくお願いします。


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