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感想受付停止しているエッセイや雑文達

プロットなんて、書きたくないんじゃー!!!

作者: あっちいけ

 


 『プロット』―――話を書く上での骨組み、と言われているものですね。


 突然ですが私、プロットを書くのが嫌いなんですよ。


 端的な事実だけ書いていくショートプロット、そこへ肉付けしていってロングプロットにする、さらにそこへ命を吹き込んで本文としていく。

 その工程自体は楽しいものです。主人公や登場人物の人生を好きなようにこねくり回して、喜劇だったり悲劇だったりイベントを用意して、泣かせて笑わせてその内面を覗いて書き散らす。非常に心躍り、楽しいひと時でした。


 しかし十数年、小説をちまちまと書き続ける中で度々『とある現象』が起こってしまった為に、私はプロットを書くことをやめました。


 その現象とは、プロットから主人公が離れて行ってしまうというものでした。


 ―――いや、それはプロットをしっかり書き込めていないからではないか?と言われる方もいるでしょう。実際、どこかのエッセイでそう書かれていた方もいらっしゃいます。


 であれば、私は逆に言いたい。


 あなたは、プロットの奴隷になっていませんか?










 プロットは人によって書き方様々でしょうが、おそらく短文で書かれる方が多いでしょう。

 例えば―――


 ・主人公、異世界に転生する

 ・転生先は赤ん坊

 ・言葉覚える

 ・親の目を盗んで魔法を使ってみる。すごいことになる。

 ・親にばれて褒められる。魔法の先生をつけてもらえることになる。

 ・魔法の先生は半魔。可愛い。ロリ。水系統が得意。

 ・水の魔法を教えてもらう。無詠唱でやったら驚かれる。


 みたいな。


 こういった作業って、数万文字~十万文字くらいで収まる話だったら私でも嫌がらずに書きます。しかし、それが百万文字を超える作品を書こうと思った時、私はプロットを捨てます。頭の中で何となくの構想は描きますが、本文だけをひたすらに書き続けます。


 書こうとしている作品が長いと、書き始める前に想定していた主人公と、その場面に辿り着いた主人公の感情が乖離する可能性が高くなってしまうんです。

 常に倫理観や思想が一定なロボットのような主人公であったり、とにかく無双!強い!女たらし!でも鈍い!みたいな軸のぶれないテンプレ型主人公であれば話は別でしょうが、その場面に至るまで様々な成功と挫折を繰り返してきた主人公は時に、作者の予想を超える成長をしていたり、逆に期待を裏切る自棄に陥っていたりします。


 その場面に至るまでの様々な経験を乗り越えた主人公の意思・倫理観・心情を、プロットを書いている段階で作者が正確に把握できるなら別にいいでしょう。ただ、私は出来ない―――そもそもそんなこと出来るの?って思います。


 ―――こういった話をすると、『プロットを書くときから人物の感情は想定しておくべきだ』という反応が返ってくると思うのですが、果たしてそんなことが出来る人は異常者(誉め言葉的な意味で)だと思っています。


 だって、私とあなたが別人なように、作者と主人公も全くの別人です。こう言われたらこうする! ああされたらああ思う! の行動原理も感情も違ってしかるべきです。

 自分は褒めたつもりだったのに相手側は馬鹿にされたと受け取ってしまった、みたいなすれ違いは誰にでも一度くらいはあると思います。


 そういった予想外は、別人であれば起こり得ると思います。それが作中で起こってしまっも、不思議ではありませんよね?








 例え話として1つ、拙作、現在連載中の『最強の吸血鬼はひとの血を飲まない!!』での出来事を挙げます。


 序盤、主人公にはどこまでいっても悲劇続き、心を壊したり他人を演じたり、そういった現実逃避を繰り返しながら心を少しずつ癒していきます。友が出来たり、目標を見つけたり、少しずつ生きる気力を取り戻していきます。


 そうして40万文字くらい話が進んだ時、とあるターニングポイントに差し迫ります。


 私はここで、『主人公は悲しんで逃げ出す。自分を幸せにしてくれるかもしれないと思っていた相手と場所を拒絶し、たった一人の友のもとへ泣きながらに帰る』という章内での結末を見込んでおりました。


 しかし、裏切られました。主人公はそこで悲しみとは別の感情と倫理観を発露させ、当初予想していた物語の結末を破壊し、別の道を歩み始めたのです。作者としては、完全に予想外の出来事でした。


 これは実際にその場面に至らないと分からない、少なくとも当初構想練っていた時では思いつかなかった感情でした。40万文字を費やして描かれた話の中で、主人公が知らず知らずのうちに心を成長させていたのだと、手前味噌ながら感動すらしてしまいました。







 結局、作者と主人公は別人格なんです。


 骨組み考えている時に全ての感情を想像することは出来ないし、いろいろな出来事あった後の主人公の心境なんて、誰が正確に想像できるでしょうか?


 むしろ、『最初から想定できて当然!』と言っている人がいたら、私はその人をプロットの奴隷と呼びましょう。

 もしくは、知らず知らずのうちに主人公を作者の操り人形にしてしまっているか、主人公に命が宿らないほどに平坦な物語を描いているのか―――よっぽど心の機微に敏い方か。


 私は、敏くなかった。


 だけど登場人物を操り人形にしたくなかった。

 話の中で生きている一個の人にしたかった。

 息づきつつある登場人物の意思を捻じ曲げる行為はしたくなかった。


 だからプロットと違う方向に登場人物が向いたら、私は彼ら彼女らが向く先に道を作りたい―――と、これが、私がプロットを捨てた原因です。

 どうせ捨てる前提であれば、書かなくていいと、思ったのです。


 主人公たちと物語を作っていく。それは私が小説を書きたい!と思った原初の衝動の根幹であり、今でも大切にしていきたいと思っている、理想です。





 とまあ色々ぐだぐだと書きましたが。

 結局はプロット通りに物語を描けない作者の愚痴です。


 プロット通りに書いて素晴らしいものを仕上げる作者様がいるのも知っています。私はそういう人を超人だと思っているのですが。

 ただ、他人の心の機微なんて、超人でもなけりゃあ分からんもんじゃない?と思ってこんなことを書いた次第でございます。あと、たまにはプロットを否定する系の意見があってもいいんじゃない?


 最後までお読み頂きまして、ありがとうございました!


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