本に光を。
「ねぇタケシ、本の顔ってどこだと思う?」
ルミが、読んでいた本を閉じながら呟いた。
「……いや、本に顔はないだろ」
タケシと呼ばれた少年が、読んでいた本から顔を上げながら答える。
「だーかーらー、例えばの話だってば」
「それなら……“表紙”じゃないのか? あそこが本の正面なんだし」
タケシが答えると、ルミは不服そうに眼を細めた。
「私も最初はそう思ったんだけどさ……“表紙”って本の『正面』なのかしら?」
「は?」
「あそこってどっちかって言ったら『裏』じゃない?」
「いや……何言ってんだ、だったら“裏表紙”とかはどうなるんだよ」
「だから……“表紙”はただの表紙であって『顔』じゃないと思うの」
「……すまん、分かるように説明してくれ、聞いてやるから」
恋人の突拍子もない言動を受け止めることに決めたタケシは、本を閉じてルミの方へを体を向けた。
「話すと長くなるんだけど……ちょっとこっち来て」
ルミがちょいちょいと手招きをしてきたので、
「はいよ」
タケシは椅子から腰を上げ、ルミの向かい側へ改めて腰を落ち着けた。
「いい、まず本はこういう形よね?」
ルミが持っていた本をずいっとタケシへと突き出しながら言う。
「まぁそうだな」
「それでこっちが“表紙”反対側が“裏表紙”それでこの縦の細い所――ここって“背表紙”よね?」
「そうだな……あ、まさか」
「そうよ!」
タケシが思い当たるのと同時に、ルミが高々と声を上げた。
「人間で言うなら背中のところが後ろ側よね? ということは本だって“背表紙”が背中側、つまり後ろ側になるはずよ、だから――――」
ルミはそこで一度大きく息を吸い、
「本の顔は『活字が書かれているところ』なのよ!」
「…………」
室内に一瞬の沈黙が流れる。
「まぁ……確かにそうかもな……」
「でしょう?」
ニヤリとした笑みをルミが浮かべる一方、タケシはどう反応していいものかと逡巡した。
「……それで?」
「何? 面白くなかった?」
「いや……面白かったけどさ……『話すと長くなる』なんて言ってた割には別に長くもなかったし……」
「ちょっと待った、まだ誰も終わったなんて言ってないでしょ」
ルミは前のめりになっていた体を椅子へと戻すと、読んでいた本をパラパラとめくり始める。
「この本は全部で307ページ――見開きだと約半分で153ページあるんだけど……“顔”ってどこだと思う?」
「あ~……それは……」
タケシは言葉に詰まる。
「私はね……『本の顔は、見開き1ページごとに一つずつある』って思うの」
ルミが静かに呟いた。
その言葉を耳に入れたタケシは、十分にそれを咀嚼して飲み込んだ後、
「…………なるほど、そりゃ面白いな」
深く頷いた。
「本は物語をずっと描いたものでしょ? だからページが進むごとにそこに書かれているもの……登場人物だったり、情景だったり、事件だったりが進んでいく、そうするとそこにある空気みたいなものも一緒に動くでしょ? それが――」
「『本の表情』ってか?」
「そう、一行分の文字だけを抜き取っても……いや、見開き一枚分だけ持ってきても本にはならない。全部のページが集まって、全部の『表情の顔』が集まって“本の顔”になるんだと思う」
はっきりとした口調で言い切ったルミをタケシは見つめる。それからふっと息を吐いて、
「お前、いっつもそんなこと考えてるわけ?」
「あら、悪い?」
「悪いって言うか……むしろすげぇなって思う」
「……それって褒めてる?」
「多分な」
タケシは椅子に寄りかかって、天井を見上げた。
「お……」
突然、何かに思い当たったようにタケシが椅子から飛び上がった。壁際にあった本棚の方へと歩み寄っていき、手を伸ばしたのは、本棚の一番上の方にあった埃をかぶっていた本。
「どうしたの?」
ルミが怪訝そうな目を向ける。するとタケシは、
「いや、もし文字のところに顔があるんならさ、本棚に置きっぱで読んでない本は、ずっと真っ暗な風景しか見えてないのかもな~、とか思ってさ」
手で軽く埃を払いながら、そう言った。
「…………」
「ま、読んだところで見開き一ページなんて二、三分で終わるんだろうけど」
タケシが手に取った本を開くのを見ながら、ルミは読んでいたお気に入りの小説をそっと閉じる。それからルミは、まだ手を付けたことがなかった本を手に取って、開いた。
部屋に響く紙が擦れる音は、以前よりほんの少しだけ遅くなっているように思われた。