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あけました、おめでとうございます
嵐は間もなくやってきた。
黒々とした魔力の塊は渦を巻き、気まぐれに木々をなぎ倒す。
魔力の渦は大気を揺らし、風を呼ぶ。
風の呼び声に応えるように雲が集まり、産声を上げるように雷が轟き、気まぐれに地上に降り注ぐ。
望遠鏡を用いて城壁から見遣る騎士は言葉を紡ぐことは出来ず、口を開閉し意味もない音を喘いだ。
嵐の中心には一匹のクァール。
玩ぶようにゆっくりと歩いてくるクァールは長くしなる尾をゆったりと振り命を刈り取っている。
眼前にある街を守る頑強な防壁はただ邪魔な物でしかなく、賑わいを見せていた街並みを瓦礫と化していた。
「っ…!!えぇい、それを寄越せ!!……ぁ…あ…っあぁ…」
リモネス・アヴェーツァは焦れた様子で、騎士から望遠鏡を奪い取り、望遠鏡が写す無慈悲な絶望を見た。
先祖代々大事に慈しみ育て守ってきた景色は今はなく、領民が生きている希望もない情景。
剣を手に勇ましく挑んで行った騎士達も嵐に飲み込まれ、その命は軽く散っていた。
リモネスが絶望に沈んでいるのをハンガーナ魔法帝国次席魔法士ラオ・イーミンは横目で見ていた。
さもありなん。
溜息を噛み締め、魔法杖を握りしめる。
まだ遠くにありながら、ここまで届く魔力の圧と殺意。
さて、人生最後の魔法詠唱を始めよう。
ラオは深く息を吸い詠唱を始めた。
「我が命は華を散らそう。散らした後に種を残そう。
種が芽吹くのなら、我が命は寄る辺となり其を照らそう…。」
その詠唱は自分の命を養分とし、後世育つであろう若き英雄への餞。
自身の魂を養分として、敵を打倒し、今後生まれるであろう者が更なる強敵を打倒す際の手助けをする為の魔法詠唱。
昨今の情勢で、この魔法を使うとは思ってはいなかった。
小さな国同士の小競り合いはあれど、大きな戦はない。
平和な世と呼んでも差し支えなかった時代にそぐわぬ自らに手向ける鎮魂歌。
そして、これから産声を上げる英雄達への祝福と応援を込めた歌。
どのような効果範囲で敵を滅し、どのような副次的作用が生まれるのかは未知数であった。
産まれた魔法が誰にも愛されず死するのは惜しい…。
せめて、作り上げた自身がこの世への産声を上げてやりたかった。
年甲斐もなく心が躍る。
詠唱を唱えるラオの口元に笑みが零れるとともに、鮮血が漏れ出る、
「死せるモノは花への手向けの言の葉を手向けん。
手向けの言の葉は彼の者を斬り裂かん。
小川を渡らせ、死者上楽の喜びを与えん」
使い慣れた杖を握りしめる。
力強く返される弾力が力を与えてくれる。
半世紀以上共にした杖が最後を迎えるにたる最上の友である。
血と魔力が詠唱を唱える度に体内から失せていく。
ラオは静かに瞼を閉じ、これまでの人生を思い返しては微笑む。
彼の敵を倒さねば愛弟子達の輝く未来が消え失せてしまう。
人として長い人生を歩んできた。
あぁ、神から許しを得られずとも。
願わくば我が愛しい子供達が無事に本国に戻りますように…。
ラオの詠唱は終わらない。
本来、魔力と聖力は交わらない。
魔力とは己が為に発揮される力。
聖力とは他が為に発揮される力。
しかし、この詠唱は自分が敵を討つことによって、後世の為でもあるという聖魔詠唱であった。
「奴がくる!まだ戦える者は全て行けぇ!!少しでも奴を足止めするのだ!!」
投げやりな命令を下すリモネス。
防衛に回されていた騎士達は慌ただしく出撃の準備を始めた。
城に備え付けられているバリスタを騎士見習いが健気に撃ち出し、足止め作戦を行っている。
ラオは状況の変化を耳で聞きながらも、目を閉じたまま詠唱を続ける。
「我が愛しき子らに愛を。
愛し子らに牙を剥く悪しき者に神の鉄槌を。
愛し子らに愛と祝福を。
我が魂を鎖へと変え、狩りゆく魂を永劫の縛鎖に捉えたまえ」
その詠唱の効果は奇しくも、神獣ルナを討ち取った勇者を犠牲にして放たれた黒き鎖の呪縛に似た効果を発揮したのであった。
ラオの命では足りない代償を補う様に、黒き鎖は生き残っていた都市の人々へと突き刺さっていく。
突き刺さった鎖は命を吸い、太く黒々しく輝きを放つ。
「ぐっ…ぬぅぅぅっ!!」
詠唱をした本人であるラオもその黒い鎖からは逃れられなかった。
心臓に目掛けて刺さったその鎖は全てを吸い尽くす勢いで太く強くなる。
天上に集結する鎖の大元は厚い雲に隠され見えはしない。
両手で握っていた杖を片手に持ち替え、空いた右手で胸元から生える鎖を握りしめる。
年老いた身体で握っているとは思えない力で握る鎖からは鈍い音が悲鳴のように上がった。
「けっ…消されるべきものは…我が敵…っ!!」
詠唱と共に吐き出される血と想い。
全ては後世の世を支える子らの為に。
生贄となった人々への自身の力不足の謝罪を呑み込み紡ぐ言の葉。
「滅せられるは怨み敵。愛されるは我が愛し子…」
…間に合った。
詠唱を紡ぎ終わったラオはやりきった気持ちで満たされた。
敵が嬲る様に途中から歩を緩めたおかげだ。
人生最後にこんな大仕事をくれた敵に感謝の気持すら湧き上がる。
最高傑作の魔術が生まれた。
もう何も思い残すことはない。
「ルーイッヒリッテン!!」
人間の英知が裁きの鎖となってクァールに降り注ぐ。
「グオォォォォォオオオオン!!!」
霞ゆく意識の中に確かに聞こえた断末魔。
憎しみと悲しみが混ざった怨嗟の声を子守歌にラオは静かに永遠の眠りについた。
ゆっくり大事に書き続けます。