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父である雄のクァールはまだ戻らない。
子であり、兄であるクァールは毎日せっせと狩りに出かける。
母とその腹で育つまだ見ぬ兄妹の為に栄養のあるものを狩りに。
そして、言葉は交わせずとも親しくなった人間の雄に会いに。
「お前は良いなー。そのしなやかな筋肉に覆われている身体はどこまでも素早く走って行けるんだろう?俺みたいなダメ人間は走ってもすぐに捕まっちまう」
寝そべった人間は、懐から保存食である乾燥肉を取り出して顔に近づけてくる。
そういう時は食べていいものだと分かっているクァールは大人しく乾燥肉を咀嚼し食らう。
お礼にいつも親のクァールにするように、人間の顔を舐めてやれば嫌がった。
「辞めろ、涎で臭くなる。屋敷に戻ったら色々言われる俺の身になれ」
両手でクァールの顔を挟んで笑う人間は、少し寂しそうな笑顔だ。
クァールは何故そんな表情をするのかが分からない。
初めて会ったあの時からこの人間は生きることを諦めた獲物のような態度をとる。
食べる気はないぞと伝える為、親愛の行動として身繕いとして舐めてやっても嫌がられる。
いつもある程度一緒に横たわっていると、人間は満足していつもいなくなる。
今日も人間は立ち上がる。
「どうすれば俺は跡継ぎになれるんだろうな」
そう言って、クァールの頭を撫で立ち去っていく。
その背中を見つめながらクァールはどうすればこの人間は元気になるのだろうかと考える。
別な日には狩りで得た獲物を咥えて持って行ってやった。
だが、苦笑いをしつつ首を振って要らないと拒否された。
また別な日は綺麗な花、クァールは知らなかったが人食い花を持って行き、剣の錆と化して
切り捨てられた。
思い付くままに元気を出させようと行動を起こすクァールに男はついに不信感を露わにした。
「おい、一体何なんだよ。魔鳥とか人食い花を持って来たりして嫌がらせか?」
眉間に皺を寄せ、仁王立ちする男にクァールは狼狽える。
何故か分からないが怒られている。
元気がないよりはいいのかもしれないが、何故自分が怒られなければならないのか。
一生懸命に励ました自分に対して感謝することはあれど、怒られる謂れはないはず。
「俺に対して何か言いたいことがあるならはっきり言え!って言っても伝わらないんだよなぁ…」
髪を掻き毟り呻く。
クァールは首を傾げ、尻尾を不安げにユラユラと揺らす。
互いに微妙な空気が流れた。
「どうすっかなぁ…」
頭を抱えしゃがみ込むとクァールが鼻先で手の甲をつつく。
「あぁぁぁ!!可愛い過ぎるだろ!!」
ガバッと抱きしめられ、驚くクァールの尻尾は毛が逆立ち太くなっている。
だが、元気に自分をわしゃわしゃと撫でまわすさまにクァールは安堵する。
元気がないモノから死んでいくのが野生のルール。
初めての友達が死ぬのは嫌だからと行動した結果、今は息を吹き返したように元気になった。
これで当分死ぬことはないだろうとゆるりと長い尻尾を男の腕に巻き付ける。
「お、なんだ?甘えてんのか?可愛いやつだな」
目尻を下げて笑う男に若干苛立ちを覚えるが、まぁよいだろうと頭を擦り付ける。
異種族間でありながら一人と一匹は友情を覚えていた日々だった。
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「父上…私はその命令には従えません…」
ある貴族の館。
振り絞るように発するその言葉は苦渋に満ちていた。
力強く握りしめた拳はギリギリと音が聞こえてきそうなほどだ。
そんな男の様子を軽薄な表情で見つめる初老の男は先程言った言葉を再度紡ぐ。
「お前が手懐けているクァールを討伐してこい。さすれば我がアヴェーツァ家はお前のモノだ」
難しいことはないだろう?と言いたげに首を傾げる。
「しかし…私は…」
目を閉じて、思い浮かぶのは美しくも可愛らしいクァールの姿。
尻尾を太くし、目をまん丸にして驚く姿。
気づかわし気に湿った鼻先でつついてくる姿。
艶やかな毛並みを惜しみもなく自分に撫でさせてくれる姿。
食われてもいいとまで思った魔獣。
「アヴェーツァ家の当主の座よりも魔獣の方が大事か?お前は産まれた時から当主になるべく研磨してきたのではないか
それを一時の心の迷いで蹴ってしまって良いのか?次男のアーノックに譲ってもいいのか?」
わざと心を逆なでるような言い方に奥歯を噛み締める。
「お前がずっと望んでいた当主の座と魔獣。お前はどちらを選ぶ?」
悪魔のような囁き。
幼少の頃から望み望まれた当主の座。
男は、ルドウェルは、震える唇で言葉を紡ぐ。
「わ…私は…」
お久しぶりです。
のんびり更新していくので、よろしくです。