第6話 名月と習い事
――月々に月見る月は多けれど、月見る月はこの月の月
日本に来てふと目にした和歌。
どうも作者は不明で、そういう句は、(詠み人知らず)と言うらしい。
けれど、月を愛でるのが好きなシュウはこの句がお気に入りだ。
今日は中秋の名月。
名月は必ずしも満月ではないらしい。今年も満月には2日ほど早い月だ、とは言え、今日は夜になっても雲1つなく晴れていて、絶好の観月日和だ。
そんな本日。
『はるぶすと』のランチは、デザートが珍しく和菓子、と言うか、なんと! 月見団子なのである。
いつもそういうことにはあまりこだわらない冬里が、珍しく提案してきたのだ。
「珍しいね、冬里がこんなことを言い出すのは」
「何が?」
「デザートが月見団子」
「そう?」
ふふん、と言う感じで微笑む冬里は、シュウこそ珍しいよ~、と思っていた。いつもなら変わったコトしてもポーカーフェイスでスルーするのに。
月が絡んでるからかな? シュウは月が好きだもんね。
けれど、冬里はそんな思いはっさい口に出さず、少し首をかしげて言う。
「夏樹の腕をお披露目する良い機会だから、かな?」
「?」
「茶道のお手前」
「……ああ」
夏樹が冬里に茶道を習いだしてから、もうずいぶん日にちが過ぎていた 他の2名(志水さんと椿)は経験者なので以前の復習という感じだが、夏樹にとってはすべてが初めて。抹茶茶碗さえほとんどさわったことがなかったので、まずは道具の名前を覚えるところから入ったのだ。
そんな夏樹も、いまではもうすべての所作が身についている。
そこで、デザートの月見団子に添えるお茶を、抹茶も選べるようにしてみた。しかも、今日なら夏樹のお手前つき! 大変お得になっております! という触れ込み付で。
と言うわけで、今日の夏樹は冬里に無理矢理羽織袴を着せられて(もちろん他2名も今日は羽織袴姿です)、慣れない着物でランチを頑張り、そのあとソファーコーナーにしつらえられた畳敷きの小上がりで、目を輝かせる奥様やお嬢様に、順次お手前を披露したのだった。
「ふええー、疲れたあー」
ランチ営業終了後。
シュウが玄関にCLOSEの札をかけに行ったのを確認した夏樹は、畳コーナーにドサリと倒れ込む。
「なさけなーい」
「う」
冬里の容赦ない言いぐさに、夏樹は「ひどいっすよお」と泣き真似をしつつ、畳に顔を伏せた。
「冬里、その辺で。……よく頑張ったね、夏樹」
いつものごとく遊ぶ冬里をたしなめながら、シュウはキッチンを出てくると、すっと夏樹にマグカップを差し出す。
「え? うわ」
シュウが持っているのは抹茶ラテ。
「私が点てたのではないよ。私も茶道は習ったことがないからね。これは、マシンで」
「え? でも、この、この……」
夏樹が驚いているのは抹茶ではなくて、その上に描かれた、と言うか、なんと3Dで盛り上がるように描かれたラテアート。
「すげえ! これってテディベアっすよね?」
「……いや」
感激して嬉しそうに言う夏樹に、シュウはちょっと情けない顔をした。
「やはりまだまだのようだね」
「え? 違うんすか?」
「ああ、いや、それは、ネコ子をイメージ、……したつもりなんだけど」
「へ?」
少し苦笑したあと、シュウは「もっと練習しなければね」と、今度はいつものように綺麗に微笑んだ。
夏樹は、シュウさんでさえこうやって少しずつ練習して習得するんだな、と、感慨にふけってしまったので、ちょっぴり上の空でラテに口をつける。
と。
「! うわあ、不意打ちっすよ、シュウさん」
かなり本気がこもっていたそのラテに、心がどうしようもなく温かくなって、夏樹は思わず涙ぐんでいた。
「ああ、すまない」
「シュウのラテアートが下手なのはセンスの問題なんじゃない。あれ? こっちはそうでもないね。本気込めてないの?」
失礼な意見を提示した冬里が、受け取ったラテを一口飲んで言う。
「冬里はいつも以上のことはしていないからね」
「わあ、えこひいきだあ」
面白そうに言う冬里にため息を落とすシュウ。
「でーも、そうだったんだ」
「なにが?」
「シュウって茶道習ってなかったっけ」
「ああ、そのこと」
幕末は悠長に趣味を満喫する時代ではなかったので、さすがのシュウも茶道まで手が回らなかったのだ。
「じゃあ、覚える?」
「……いや、それはまたそのうち」
「オーケイー」
あっさりと引き下がる冬里を、シュウはまた不思議そうに眺めるのだった。
その日の夜。
ディナーが終了したあと、『はるぶすと』の2階リビングに顔を覗かせる2人がいた。
「お邪魔しまーす」
「お疲れのところすみません」
言わずと知れた、由利香と椿だ。2人は今日の話を聞いて、特に椿が夏樹を気にしてやって来たのだ。
「どうだった? お手前」
少し心配そうに聞く椿に、夏樹はイェイと親指を立てる。
「もうバッチリ。俺にかかれば、軽い軽い」
「って言って、終わったあと畳コーナーに突っ伏したんだよねー」
えっへん、と胸を張ろうとする夏樹に、冬里の一撃が落とされる。
「冬里~」
「アハ、やっぱりね。夏樹情けなーい」
と、由利香の第二撃。
シュン、と肩を落とす夏樹のその肩にポンと手を置いて、椿が言った。
「大変だったよな。でも、俺もまだ夏樹の本格的な所作、見たことがないな」
「あれ、そうだったっけ?」
おでこに指をあてて天井を仰ぐ夏樹。
「うん、今度見せてくれよな」
「おう! 任せとけ」
などと和気あいあいとしていると。
パチンと音がして、いきなり部屋の明かりが消えた。
「わ」
「なに? 停電?」
思わず椿にすり寄る由利香。
すると、シャッと音がして、ベランダへ続く窓のカーテンが全開になり、明るい光が差し込んだ。
「だったらさ、せっかくだから、月を愛でながらお茶会って言うのは、どう?」
冬里の声に誘われるように皆が外を見る。
天空に、中秋の名月が微笑むように浮かび上がっていた。
明かりを絞ったリビングに、優しい月の光が差し込んでいる。
日本人にとっては心地よい虫の音が、えもいわれぬBGMだ。
「急ごしらえにしては、良く出来てるね」
楽しそうな冬里の言葉に、やれやれと息をつくシュウ。
「冬里の思いつきに、いったい何百年付き合わされているんだろうね」
「それで創意工夫力が身についてるんだね、シュウは。良いことだねー」
少しも懲りない冬里に、シュウは肩をすくめるしかない。
リビングの窓際には、畳代わりのカーペットが敷かれ、椿、由利香、冬里、シュウの順に並んで座っていて、その前で夏樹がお手前を披露している。しつらえは、店からそのまま運んだので、本格的にお茶を点てられると言うわけだ。
少し広めのベランダには、月に捧げる団子が飾られ、なぜかこの時期になると庭に出てくるススキも活けられている。ときおりそよそよと流れる風に、その穂が美しく輝きながら揺れている。
夏樹のお手前は、そこにいる皆が見惚れるほど堂に入っていた。
「やるな」
「うん、今日はカッコいいわね、夏樹」
由利香と椿は、ふふ、と、顔を見合わせ。
「感想は? 先生」
「うん、まあ合格」
また素直じゃない冬里に、可笑しそうに笑うシュウ。
なんだかんだ言いながら、4人は夏樹の点てたお茶を心ゆくまで味わったのだった。
「それにしても、由利香さんが着物の着付け出来るなんて、驚きっすよ」
2人が帰ったリビングで。
再度着付けてもらった羽織袴姿のまま、夏樹がちょっとすねたように言う。
せっかくだからと、月を愛でるお茶会も着物を着ようと言う話しになって。ホスト側だけずるーい、とのたまう由利香さまが、自分も着る! と、急遽着物を取りに帰ったと言うわけだ。
「若い頃に習ったんだって。さすがにあの飾り帯は僕が結んだけどね」
「冬里もずるいっす。女の人の着物まで着付けできるなんて~。けど、若い頃っていつだろ、由利香さんっていくつでしたっけ」
「さあ? 僕らと同じくらいじゃない?」
冬里の答えに、「まさかー」と笑う夏樹が、続けて言う。
「あーあ、俺も着付け、習おうかなー」
すると窓のそばで、いつの間にか出てきた雲の上に乗るように浮かぶ月を、飽かずに眺めていたシュウが言う。
「どんどん増えていきそうだね、夏樹の習い事。でも、出来れば店に支障がないようにね」
「あ、はい」
と答えたものの、シュウがこんな説教めいたことを言ったのは始めてなので、夏樹はなぜか落ち着かなくなる。
すると、ニーッコリ笑った冬里が説明するように言った。
「あのさ、夏樹」
「はい」
「そんなに焦んなくてもね、必要なことは、その時が来れば必ず習えるんだよ?」
「え?」
「僕たちがなぜこんなに簡単に着物を着ることが出来るか。だって、前に僕たちがいた頃の日本って、着物が日常着だったから」
また綺麗にニッコリする冬里に、夏樹がハッと息を詰める。
「だからすんなり着られてあたりまえ、毎日のことだったんだもん。由利香はなんで習ってたのか知らないけど」
「そう、……っすね。へへ、またやっちまったかな、俺」
「そ。毎日をきちんと生きていくこと。僕たちにとっては、それがすごい習い事なんだから。この世はバリエーションに富んでいて、どんどん変わっていくんだもん、これからいっぱい覚えることも習うこともあるよ?」
夏樹はちょっと尊敬したように冬里を見つめ、それからそっとシュウに目をやると、シュウは微笑んでかすかに頷いてくれた。
そのあと冬里は立ち上がり、シュウの横に並んで空を見上げる。
「今日は本当に綺麗だねえ、おつきさま。あ、でも、もうお休みなさいだって」
「ああ」
「え? お休みなさいって言ってるんすか?」
慌ててやって来た夏樹に、「まさかー」と、可笑しそうに言う冬里。
そこには雲が流れて、隠れていく月があった。
「あーあ、見えなくなっちゃった。じゃあ、僕はもう寝ようっと」
「俺もです。あ、ところで脱いだ着物ってどうすれば良いんすか?」
「うん、じゃあ教えるから部屋へ来て」
「はい。じゃあシュウさん、おやすみっす!」
「お休み~」
「ああ、ふたりともお休み」
肩を並べて冬里の部屋へ行く2人を見送ったあと。
もう一度、雲が隠した月のあたりを仰ぎ見ると、シュウは静かに窓を閉じた。
了
ここまでお読み頂き、ありがとうございます。習い事シリーズ最終話です。
実は作者も、鞍馬くんに負けず劣らず、月を愛でるのが大好きです。
中秋の名月、綺麗でしたねぇ。残念ながらお団子を買うのを忘れてましたが(笑)
ところで、千年人は生きることすなわち習い事。そうですよねえ、どんどん変わっていく世界に対応していかなきゃならないんですから。
でも、100年人はそうも言ってられないですね、命短し習えよ乙女? ですよ。気になった事はとりあえず足を突っ込んでみましょう、なんてね。
とにもかくにも、『はるぶすと』は、これからも通常通り営業致しております。
また、遊びにいらして下さいね。