第1話 夏樹の習い事
「習い事?」
ある日、椿は夏樹に相談を受けていた。
「そ。それもさ、正座が出来るようなやつ。俺、日本文化にあんま詳しくないからさ、正座がつきものの習い事ってわかんないんだよね」
「正座する習い事って、お茶とかお花とか。あ、お花は正座じゃなくても出来るか。あとは、習い事って言うより、柔道とか空手とか。囲碁や将棋も本当なら正座して対局するんだけど、習うだけだと基本椅子だよね」
「ふうん、で、で! やるならやっぱ茶道?」
勢い込んで聞く夏樹に、椿はどうにも訳がわからず反対に聞く。
「ところでなんで正座なんだよ?」
「は?」
「なんで正座にこだわるのかって言ってんの」
「あ、いや、えーと、」
急に慌てだした夏樹はあらぬ方を向きながら言葉を濁すが、椿はあきらめずに目や態度で促す。すると、少し開き直ったように夏樹が本音を漏らした。
「この間の旅行でさ。俺、5分も正座が出来なくて、シュウさんにあきれられちまったもん。なんか恥ずかしかったし、もっとこう、きちんと認めてもらえるようにしたくてさ」
「はあ? ハハハ、夏樹はほんっと鞍馬さんが好きなんだな。べつに正座なんか出来なくたって、夏樹は日本で生まれて育ったんじゃないから、当然と言えば当然だよ」
すると、夏樹はちょっとふくれて、
「好きとかそう言うんじゃなくて、ちゃんと認めてほしいだけ。それに冬里は日本生まれじゃないのにできてたもん。まあ、料亭の元当主だったからかもしれないけど」
などとブツブツ言っている。
夏樹にとっては鞍馬さんは、やっぱり尊敬すべき偉大な人なんだなー。だから夏樹がこだわるのもわからんでもないけど、と、椿は微笑ましく思いながらアドバイスを考える。
「別に習い事なんかしなくても、正座って慣れだからさ、毎日少しずつ練習する方が効率的だと思うよ?」
「毎日? ってどうすんだよ」
椿はそこでうーんと考えて言う。
「そうだな」
「うんうん」
「お前も考えろよ」
「うーん」
頭を抱える夏樹を可笑しそうに眺めたあと、椿が何か思いついたようだ。
「そうだ! 夏樹はさ、レシピ考えるの好きだから、毎日自分の部屋で正座して料理のレシピ考えるようにすればいいんじゃない?」
「え、そんなんでいいの?」
「だって夏樹、毎日考えてるんじゃないの? それも結構長い時間」
そこで夏樹は自分の日常に思いを巡らせる。
「そうかなー、でもレシピってさ、歩き回ってる時とか、他のことしてるときに考えつく事が多いんだよね。あ、じゃあそれを書き留めるときに正座って手があるか」
「それだ! でもさ、いきなり固い床じゃ大変だから、色々策を練ってやるよ」
「ほんとか? サンキュ。やっぱ持つべき者は椿だぜ」
そのあと、2人は正座のトレーニングメニューをあれこれ考え始めるのだった。
次の日から夏樹は、暇を見つけては正座をするようになった。
とはいえ。
「う! ぐぐぐ、いってえー!」
最初はやはり3分間も我慢できず。
「だから固い床じゃなくて、座布団敷いてしろって言っただろ」
「けど、そんなんじゃあ修行には」
「修行じゃないって、慣れだって!」
椿のアドバイスを受けつつ、夏樹は試練を受け止めていく? なんてそんな大層なもんか。
「う、き、今日は5分、か。けど、いってー! しびれっていやだあー」
「やったぜ、5分半! けど、やっぱり、足が、足が……」
夏樹の挑戦は続いていく。
そんな事を細々と続けたある日。
「あとは盛り付けの注意事項。ほいほい、うん、我ながらいいこと考えつくよなー。enter。よし、これで、新レシピ完成!」
夏樹はパソコンにさっき思いついたレシピを打ち込んでいた。ウンウンと頷いた後、ふと夏樹は自分が正座していることに気づく。
「あれ? 俺、ずっと正座してたんだ。え!、と言うことは、えーと、思いついたの何時頃だっけ」
慌てて時計を見て、さっき見たときの時間を思い出そうとする。
「えーと、確かリビングで冬里の雑誌のぞき込んでひらめいて。え? え? おおー! あれから30分も立ってる! すげえ、やったぜ俺!」
と、立ち上がろうとしたのだが。
「あれ? うわっ」
しびれを考慮に入れていなかった夏樹は、足に力が入らず、スッテンコロリンと倒れてしまう。
「あーイテテテテー。けど、けど、30分! 30分オーバー。やったぜー椿ー!」
寝転びながら、大喜びで叫ぶ夏樹。
その頃リビングでは。
「なんだか嬉しそうだね、夏樹」
「ん? ああ、よほど今回のレシピがすごかったのかな。お披露目が楽しみだね」
ふたりは、まさか夏樹が正座が長く出来て喜んでいるとは、これっぽっちも思わなかったのだった。
「おめでとう、夏樹。よく頑張ったな」
たかが正座が出来たくらいだが、夏樹にとってはされど正座だ。2人はお祝いを兼ねてバーで乾杯としゃれ込んでいる。
「うん、ありがとう。椿のおかげだぜ。けどやっぱりしびれはくるなあ」
「そんなもん、どんなに慣れてるヤツだってしびれるって」
「そうかな、そういうもんかな」
「そういうもんだ」
椿に30分超えの報告をして、喜びを分かち合った? 夏樹だが、本当はシュウにこそ報告したいのだ。
「じゃあ、どうする? 何か正座で出来ること考えてみようか?」
「うん……」
なぜか夏樹は歯切れが悪い。
「どうしたんだ?」
「せっかくだからさ、シュウさんがあっと驚くみたいな方法がないかなって」
「なにそれ」
「だってさ、おおー! 夏樹出来るようになったんだー、って驚いてもらう方がインパクトあるだろ?」
なぜかそんな風に言う夏樹に、また変な事考えてるよ、と、椿は思ったが、それは本人次第だから仕方がない。そこで、ふいに思いついたことを口にしてみた。
「じゃあ、またあのときみたいに鞍馬さんを怒らせて、正座させられてみれば?」
「あのときって、……ああ、枕投げ合戦!」
「そうそう」
椿は軽いジョークのつもりで言ったのだが、夏樹はかなり真剣に乗り気になっている。
「それだ! 相変わらずいいこと考えるな、椿。けどさ、俺、シュウさんを怒らせるようなこと、思いつかないなー。椿考えてよ」
「俺だって思いつくもんか。……あ、けどいるよ1人」
「?」
「鞍馬さんをしょっちゅう怒らせてる人」
「それってまさか」
うんうん頷く椿と少し怖そうな夏樹は、顔を見合わせて同じ人物の名前を口にした。
「冬里か」
「冬里だね」
「シュウを怒らせること?」
「はい。冬里ってば、しょっちゅうシュウさんにため息つかせてるから、きっとすごくいい方法を思いついてくれるんじゃないかって」
勢い込んで相談してみたのだが、どうやら冬里は違う所に引っかかったようだ。
「へえー、僕ってさ、そーんなにしょっちゅうシュウを怒らせてるかなあ」
そこまで言うと、冬里はニーッコリと微笑む。
「へ?」
「いやあ、心外だなあ。夏樹にそんな風に思われてるなんて」
「え? え? いや、そういう意味では、……冬里? 冗談っすよね。ハハ、い、イヤアーーーー!」
と、また遊ばれるのはいつものこととして。
「僕だってわからないよ? だって普通にしてるのにシュウがものすごく大きなため息ついてるとか、フルネーム呼ばれてるとか」
「………」
「どしたの?」
真顔で冬里の話を聞く夏樹が少し青ざめている。
「まさか冬里、あれって無意識」
「え? なにが? 僕わざとシュウを怒らせたことなんて、一度もないよ」
「そ、そうなんすか」
「んー、ただ、遊んでくれるから面白いよねー。シュウも夏樹も」
夏樹はハハ、と笑いながら、あれが遊び、と、訳もなく怖くなるのだった。
「じゃあさ、ちょっと失敗してみれば?」
「へ?」
また冬里お得意のつながらない会話。
「シュウを怒らせる方法」
「ああ、それですか。でも、失敗って」
「あんまりすごいと料理に支障が出るから、そこは影響しないようなのをいくつか考えて立て続けにしてみれば? シュウもさすがに何度も続いたら、堪忍袋の緒が切れるかもよ」
「そうっすかね」
「そうっすよ」
少しうつむき加減で真剣に考え始めた夏樹は、いつものように冬里がイタズラっぽく微笑んだのを、まんまと見逃していた。
その日夏樹は、何やら調子が悪そうだった。
ちょっとしたところでつまずいて食材をこぼしたり、塩と砂糖を間違えたり。そのほかにもチマチマとした失敗が続いている。
シュウは何度も「夏樹、大丈夫?」と聞くが、そのつど夏樹はヘラヘラと笑って「大丈夫っす」と答えるばかりだ。
けれどさすがに、小麦粉をぶちまけたところで、シュウがストップをかけた。
「夏樹、やはり調子が悪いんだね。だから無理はしないように。これ以上調理場にいると、大変なことになってはいけないから、今日のディナーは私に任せて、もう上がった方が良いよ」
「え? ち、違いますよ! ちっとも調子なんて悪くないっす!」
「けれど」
「ほーんと、調子悪そうだから、しばらくランチもディナーもお休みした方が良いんじゃない?」
すると、黙って2人のやり取りを聞いていた冬里が口をはさんできた。
「と、冬里!」
夏樹は何を言うんだとばかり、冬里にくってかかる。
「だって! シュウさんを怒らせるには、わざと失敗すればいいって言ったのは冬里じゃないっすか! なんで、あ」
そこまで言ってから、夏樹はポカンとしているシュウに気がつく。
「わざと?」
そのあと確認してくるように言うシュウに、夏樹はもう誤魔化せないと、ガバッと頭を下げて言った。
「すんません! えっと、俺が冬里にシュウさんを怒らせる方法聞いたんです。で、チョコチョコ失敗すればシュウさん怒るかなって、で!」
「怒らせる。私を怒らせてどうするの?」
「えーと、そしたらまたあのときみたいに正座しろって言ってくれるかなって」
「正座?」
シュウは訳がわからず、今度はいぶかしげに冬里を見やる。すると、冬里が今までのいきさつを話し出した。
「正座に関しては、僕何も知らないけど。でも、夏樹が何だか真剣にシュウを怒らせたいって言うから、協力しただけ」
肩をすくめて言う冬里に、シュウは小さなため息を1つ落として、真顔で夏樹に向き直る。
「夏樹。私が、失敗を怒るのではなくて、夏樹がこんなに失敗するのはどこか具合が悪いんじゃないかと、心配するって言う考えはなかったの?」
「あ」
少し哀しそうに言うシュウに、夏樹ははっと気がついた。そして、また今度はもっと頭を下げて言う。
「ごめんなさい、そうっすよね。シュウさんは俺が失敗しても、どっちかって言うと怒るんじゃなくて心配する方ですよね。本当にすんませんでした」
すると、冬里も、こっちはチョコッと頭を下げて言う。
「ごめーんね。でもさ、夏樹ってばなんでシュウを怒らせたいのかなーって不思議だったから、ちょっと本音が聞きたくてね」
「え、だったらあのとき聞いてくれれば良かったのに」
「聞いたらホントのこと言った?」
ニッコリ笑う冬里に、夏樹はすぐさま「言いましたよ!」と答えて、ちょっと自信なげに付け加える。
「たぶん。言う……と思う」
「で? なんで正座なの?」
「あ、それは」
言いよどむ夏樹に、冬里はまた恐ろしいことを言う。
「言わないなら、このあと1週間、ランチもディナーも作るの禁止、だよ。ね? シュウ?」
げえっと言う顔をした夏樹に、シュウは少し困った顔をしながらも同意する。
「そうだね。私を困らせるような事をするのなら、それくらいは」
すると夏樹は、があっと頭をかきむしって機関銃のように話し始めた。
「わー! 2人ともひどいっす。言いますよ、ええ、言いますってば。俺、練習して正座が出来るようになったんです! で、それをシュウさんに言いたくて。でも、普通に言っても、へえーそう、で終わるとなんかガッカリするなーって、で! シュウさんがあっと驚くような方法はないかなーって椿と考えて。あの、枕投げん時みたいに怒らせたら、シュウさんに正座なさい、とか言われて。そしたら、俺は待ってましたとばかりに正座をきちんと長いことこなして。で、夏樹正座出来るようになったんだね、とか、シュウさんに褒められて、で、俺はまあこのくらい、とか言いながら内心では大喜びしてて、で、……なんすか! 人が真剣に話ししてるってのに!」
シュウは夏樹の話を聞いているうちにうつむき始め、肩を揺らし始める。そしてとうとう我慢できなくなって、大笑いし始めた。
「あっははは、夏樹、ちょっと………話が、なんで、あはは、」
「ほーんと、夏樹って妄想癖があったんだね」
「妄想癖なんかじゃないっす! これでもどうすればシュウさんに認めてもらえるか真剣だったんです!」
「あ、そ」
「なんすかその冷たい反応!」
なぜか由利香顔負けでギャアギャアとうるさい夏樹と、しれっとしてそれを受け流す冬里。その横ではなかなか笑い止まないシュウがいた。
で? そのあと夏樹の正座はどうなったかって?
「そんなに披露したいんならさ、茶道とか習ってみたらどう?」
と、冬里に言われてお茶の稽古を始めることにしたんだとさ。
しかも!
冬里の指導でね。
「椿~お願いだから一緒に稽古に参加して~」
冬里の申し出は断ると何が起こるかわからないため、夏樹はやむなく椿を引き込んだ。
だが天の助けか、そのあと話しを聞いた由利香も、「私もまぜて!」と、身を乗り出し。
「時々私もまぜて頂けるかしら?」
と、なんと志水さんまでお稽古に参加することになったそうだ。
「いいですよ~。でも、きちんとお手前覚えるまで、人前での披露はなしだからね」
と宣言した冬里のおかげで、夏樹の正座がシュウに褒められるまで、まだまだ時間がかかりそうだ。
夏樹の正座修行から始まった、お稽古事のおはなし。
ここまでお読み頂き、ありがとうございます。
出雲大社で正座出来ないことが露見した夏樹が、苦労を重ねて克服していく所から話が始まります。習い事やお稽古事は興味や趣味で始めなくてもいいのかなー、とか思いつつ、ゆっくりのんびり更新していくつもりです。さて、お次は誰でしょうか、お楽しみに。