story4
「うまい!」
当摩が作ったリゾットにを口に入れた龍二が顔を輝かせて言った。
「ならよかったです」
鍋からはクリームのいい香りが漂い、白米や肉、野菜などが柔らかく煮込まれている。
そこから、ステンレスの杓子で器に中身を移していけば食欲を誘う香りが更に沸き立った。
「……そう言えば当摩、今回は前回のあらすじは無いの?」
「そんなものは無かった」
龍二の問に当摩が淡々と答えながら器にスプーンを入れれば、普段は彼が座っている場所に大人しく座っている詩月の前に静かに置く。
詩月はパーカーの袖から小さく出た手をテーブルに置き、身を乗り出すようにして中身を覗いた。
「……温まるぞ」
龍二の向かい側に座りながら、当摩は自分の分のリゾットを口に運ぶ。
赤い眼でその様子を見ていた彼女だったが、暫くして自分の前に置かれたリゾットをその小さな口に入れた。
「!」
詩月は白い睫毛を上げ、驚いたように当摩に目をやる。
その目は輝いており、それは彼女が何も言わずとも当摩を満足させるには十分すぎるものだった。
「鍋にまだ残ってるから、食べたいだけ食べていいぞ」
そう言うと詩月はこっくりと頷き、味わうようにリゾットを口に入れていく。
「当摩」
スプーンをくわえた龍二に声をかけられ、当摩は徐ろに顔を上げた。
「何ですか?」
「……いや、落ち着いたらエージェントについて説明するから」
「分かりました」
ふと当摩が詩月に目をやればリゾットは全て食べ終えており、眠気からかうつらうつらと白髪を揺らしていた。
疲労と安心がどっと押し寄せてきたのだろう。
当摩が肩を叩けばはっとしたように詩月が顔を上げる。
「どうする?寝ていっても構わないし何だったら家に連絡しても……」
「……泊まる……」
目を擦りながら彼女は細い声で言った。
正直、その回答に当摩は驚いた。
家に帰りたがるものかと思っていたからだ。
何か家庭に事情があるのか、という考えが頭を過ぎったが今はそれに触れる事をやめた。
「分かった」
当摩が寝室の前に立ち手招きをすれば、詩月はその後に付いていき二人はその中に入っていった。
─────
数十分後。
当摩は静かに寝室の扉を閉じるとテーブルに戻った。
「寝た?」
缶ビールを煽っていた龍二は、空になったそれを揺らしながら当摩を見やる。
「はい。案外あっさり」
返事をしながら空になった食器類を音を立てないよう、丁寧に片付けていく。
ある程度水を張ってから当摩は龍二と向かい合う位置に座った。
「……で、あれは何なんですか?見たところただの変態ロリコンにしか見えませんでしたが」
「お前は事態をもう少し重く見るようにした方がいいと思う」
新たに缶を空けながら龍二は当摩に言い放った。
それから冗談めいた様子で当摩にビールを勧めるが、彼は手をひらひらと振ってそれを断る。
「あれは反執行連の奴らだよ」
缶を煽りながら龍二が言った。
「……反執行連?」
その言葉に当摩は首を傾げる。
バイトとして働いていたが、その単語を耳にするのは初めてだった。
「知らないか?」
意外だ、と言いたげな顔で龍二は缶をテーブルに置く。
「執行連がどういうのかは勿論、理解してるよな」
「謌に関する文献、及び謌い手の回収、保護を主な活動としている……ですよね」
淡々と答えた当摩の言葉に龍二は頷く。
「対して反執行連ってのは、謌のその貴重さや故に金に目が眩んだ奴らが集まった組織だ」
「ゴミムシ野郎ですね」
「……何でお前はそんな強気なんだよ……」
真顔で言ってのける当摩に龍二は呆れにも似た表情を浮かべる。
「で、さっきのエージェントら……俺はあるテレビ番組の人物から、ハンターって呼んでるけどな。あいつらは反執行連の駒みたいな物で、ああいうのが反執行連にはうじゃうじゃ居るらしい」
「成程。ロリコンハンターと言うわけですか」
「俺の話聞いてる!?」
「聞いてますよ」
声を荒げる龍二に対して当摩はあっさりと返事をしながら、マグカップに入っているコーヒーを啜った。
「何回か執行連と反執行連とは衝突してな……あいつら、俺たちが回収した謌も奪おうとして来るんだ。一年前にも、執行連らが回収した謌を強奪しようとして怪我人が出たんだ。……やり方が汚いんだよ、あいつらは」
眉間にシワを寄せながら龍二は缶ビールの中身を飲み干すと、やや乱暴にそれをテーブルに置いた。
「つまり……反執行連は執行連と同様、謌を回収する上では手段を問わない。執行連も対策に拱いており互いに敵対関係。思考がフナムシの組織。下っ端には多くのロリコンハンターがいると言うことですね」
「大体合ってるけど……お前は知らない内に誰かの恨みを買ってそうだな。襲われたらどうするんだよ……」
頭を掻きながら龍二は当摩に目をやった。
「ある教えにこうあります。『汝、肉を斬られる前に粉砕骨折すべし』と」
「そんな教えあってたまるか!」
当摩に一喝した龍二は息を切らせ、そのまま机に突っ伏した。
年ですか?と龍二を一瞥しながら空になった缶をビニール袋に入れていく当摩に、んな訳あるかと悪態をつきながら上体を起こす。
「……さて、ということはあの詩月という子は何かしらに関わっているワケですね」
「うん、気付くの遅いよ。それとも分かってて黙ってたの?」
「反執行連という名詞を聞いた時点で予想はついていましたが、予想以上に話が長かったので切り出しませんでした」
「さり気なく俺のせいにされたっぽいけど、大体がお前に対するツッコミだったりするからね」
「それは失礼しました」
悪びれる様子も無くいう彼に龍二は深く息を吐きながら、男にしてはやや華奢なその指を自身の顎に宛がう。
「あの子が謌に関する文献を持ってるのか、若しくは……」
「まさか謌い手とか言いませんよね」
龍二の尾を引いた言葉に当摩が僅かに眉を顰める。
「……あの子の苗字は?」
その問いかけに当摩は椅子に座り直し、ゆっくりと息を吐く。
それから徐ろに口を開いた。
「一条、一条 詩月だと……俺はあの子から聞きました」
そう言った瞬間、空気がピンっと張り詰める感覚が彼に伝わる。
龍二は驚愕と戸惑いの表情を浮かべていた。
動くことさえ躊躇わられるような時間が暫く続いた後、ようやっと龍二が大きく息を吐いた。
「……お前、明日起きたら一番にオフィス行って室長に会いに行けよ」
先に俺から話はつけるから、と言いながら龍二は立ち上がる。
「……帰りますか?」
当摩の問いにあぁ、と低く答えながら龍二は猫耳のついた赤いパーカーを羽織りフードを被る。
それからピンクと紫の奇抜なマフラーを巻くと玄関に向かった。
「龍二さん、缶の処理だけ頼んでもいいですか?」
靴を履いている背中に当摩が声をかけながら先程缶を入れていたビニール袋を突き出す。
「あぁ。分かったよ」
それを受け取ると龍二はドアを開けて外に出る。
身を突き刺すような冷気が包み込み、彼は思わず身体を震わせる。
「さ、寒っ……!」
そう言う龍二の隣に部屋着の上からパーカーを着た当摩が来た。
すっかり雨は止んでおり、コンクリートの廊下に出来ていた水たまりも凍てついている。
「……龍二さん」
当摩の声に龍二は白い息を吐きながら目線を向ける。
「あの子……詩月は、謌い手なんですか?」
「…………」
当摩の問いに答えないまま背を向け、エレベーターをある方に歩いていったと思えば、ぴたりとその足を止めて龍二は振り返る。
「あの子は謌い手として代々伝わる一条家の末裔だよ」
「……何故分かったんです?」
「一条家は皆、目が血に濡れたような赤色をしているんだ」
そう言いながら龍二が踵を返す。
「──あ、」
当摩はその様子を見ていたが、ふとその足元を見て声をかけようとした。
え?と再び龍二が振り返った時だ。
凍った水たまりの上に足を乗せていた彼は、その拍子につるりと滑った。
視界からフレームアウトする龍二──。
宙に舞う空の缶ビール──。
派手に転ぶ音と────
「いってぇぇぇえ!! !!」
派手に転んだ彼に更に缶ビールが当たる。
正に泣きっ面に蜂。
「カッコつかないですね」
「うるせーやい!!」
涙目になりながら缶をかき集め立ち上がると龍二はズカズカとエレベーターに向かった。
「近所迷惑でしょうに……」
呆れた表情を浮かべながら部屋に戻ろうとする当摩の耳に、再び龍二の叫び声と缶がばらまかれる音が聞こえた。