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13. 緋色と白銀の記憶

 夢を見た。

 夢だとはっきりわかる夢だ。

 黒髪の少年が、その小さな手には不釣り合いなほどの大きなナイフを手に持って、二つの死体を前に呆然と立ち尽くす。ナイフからは真っ赤な血が滴り、少年の手も血で染まっている。

 そこへ、グレーのコート姿で同じ色のハットを被った男がやって来て、少年の頭を撫でる。少年は男を見上げると、緋色の目を細めて嬉しそうに笑った。

 昔の自分だ、これは昔の記憶だ、とアカメは理解する。


 アカメが育った街は、一部の裕福な住民以外はほとんどがスラムに住んでいるような街で、アカメはそのスラムで育った。

 物心つくかつかないかの内に、アカメはスラムに捨てられた。

 なので、アカメは自分の本当の名前も、親が誰なのかも、なぜ捨てられたのかも知らない。

 スラムを彷徨っていたアカメは、ある男に拾われた。男はその緋色の目を見て、アカメと名前をつけてくれた。男はアカメの面倒を見て、アカメに生きる術を教えた。アカメは言われるままに、言われた通りのことをした。

 与えられた仕事はなんでもやった。

 仕事がうまくできた時は男が褒めてくれた。それが嬉しくて、アカメはひたすら男の言う通りにした。

 ある日、アカメは男からプレゼントをもらった。

 それはカメラだった。

 街で見かけたカメラにアカメが興味を示したのを見て、男が買ってくれた物だった。

 正確には、本当に買ってくれたものなのかわからない。もしかしたら、盗んできた物かもしれなかったが、その時のアカメはそんな考えに到らず、ただ素直に喜んだ。

 アカメは男から愛情を受けて育った。少なくとも、アカメはそう信じていた。

 アカメが一五、六の頃、謎の病気にかかるまでは。

 それは、今まで誰も見たことがないような病気だった。スラムにも一応医者がいて、男はアカメを医者に診せた。

 しかし、医者は首を横に振った。

 原因がわからない謎の病気。治療法もない。なってしまったら最後、最早死を待つ以外にできることはない。

 それがわかると、男はあっさりとアカメを置いてどこかへ消えてしまったのだった。

 残されたアカメは、自分の体が次第に動かなくなって行くのを、どこか他人事のように感じていた。男からもらったカメラと、男が残して行ったグレーのコートに包まって、アカメは静かに廃墟の中で死を待った。

 男への恨みの気持ちはなかった。むしろ感謝していた。

 自分だけでは、きっとここまで生きることはできなかっただろう。都合のいい道具として思われていたとしても、ここまで育ててくれたことにアカメは感謝していた。

 悔いはない、とアカメは見えない死を受け入れていた。

 生きようとは思わなかった。

 女に出会ったのは、そんな時だ。

 黒いコートを着た女は、廃墟に一人で横たわっているアカメを見つけると、アカメを介抱した。食事を与え、薬を飲ませてくれる彼女に、なぜ助けようとするのか、と尋ねる気力もアカメには残っていなかった。

 気づけば、病気が嘘だったかのように治っていた。

 女はアカメの病気が治ったことを確認すると、何も言わずにその場を去ろうとした。

 そこでアカメは彼女を呼びとめる。

 写真を撮ってもいいか、と尋ねた。

 なぜ彼女を撮ろうと思ったのかはアカメ自身にもわからなかったが、動くようになった手で最初に写真を撮りたいと思ったのだ。

 彼女は怪訝そうにアカメを見ていたが、頷くと写真を撮らせてくれた。そして名前も告げないままアカメの元を去っていった。




 無意識に手が動いていた。

 ぼんやりした頭が急速に冴えて行くと、目の前にある小さな手と、その手を掴んでいる自分の手に気づく。


「……アカメ?」


 呼ばれて、怯えたようにこちらを見るユエと目が合った。

 そこで、アカメは我に返ってユエの手を離す。


「あ、悪い……」

「あんた、なんか魘されてたぞ」


 ケルトに言われ、魘されていたのか、とアカメは額に手を当てて息をつく。

 随分昔の夢を見てしまった。


「また……熱出たのかなって……思って」


 額に触れたユエの手を反射的に掴んでしまったのか、とアカメは理解してため息をついた。

 昔の夢を見たことでその時の癖が出てしまったのだろう、とアカメは再度ため息をつく。


「ごめんな、驚かせて」


 ユエの頭を撫でると、ユエは不安そうに目を伏せてアカメに抱きついた。


「アカメ、本当に大丈夫?」

「あぁ、心配させてごめんな。ちょっと夢見ただけなんだ」

「怖い夢?」

「そうだな」


 ユエを膝の上に乗せると、ユエはアカメの肩に顔を寄せた。


「やっぱりユエと一緒に寝た方が安心だな」


 軽い調子で笑いながら言うと、ユエは尚も不安そうにアカメを見る。


「本当?」

「あぁ。ユエと一緒に寝ている時は、俺も魘されないだろ?」

「……うん」


 ユエの頭を撫でながら、アカメはルーパスに視線を向けた。


「どれくらい寝てた?」

「一時間も経っていない」

「そうか」


 随分長く眠っていたような気がしていたが、それを聞いてまた眠気が襲って来て、アカメは欠伸をした。


「もうしばらくかかるみたいだし、寝てれば?」


 心配そうなケルトに言われ、アカメは苦笑する。

 風邪を引いていたせいか、随分気を遣われているようだった。


「そうだな……甘えておくか」

「私、隣にいていい?」


 アカメの膝から下りたユエに、アカメは笑って隣の椅子を叩いた。


「いいよ、座りな」


 それを聞くと、ユエは嬉しそうに隣に座ってアカメに遠慮がちに寄りかかってきたので、アカメは腕を回してしっかり寄りかからせる。

 ユエの小さな温もりに安心している自分がいた。

 故郷のスラムで暮らしていた頃には、こうして誰かが傍にいて安心を覚えることなど考えられなかった。その幸せを噛みしめながら、アカメは静かに目を閉じた。





 馬車がガタゴト揺れる音と、アカメの寝息を聞きながら、ルーパスはじっと窓の外を眺めていた。


「……雪、珍しいのか?」


 気になってケルトが問う。


「いや、思い出していただけだ」

「何を?」

「我が生まれた土地のことだ」


 窓から視線を外したルーパスの横顔を見るが、ケルトには何を考えているのかわからない。


「ルーパスの生まれたところってどこ?」


 向かいからユエが少し声を潜めて尋ねた。

 隣のアカメを起こさないようなるべく動かずにじっとしている。


「娘のいた村からずっと北にある山の中だ」

「雪いっぱい降ってたの?」

「そうだな」

「……ルーパスってさ、どうしてアカメと旅してるんだ?」


 ケルトを見て、ルーパスは不思議そうに首を傾げた。


「なぜそんなことを聞くのだ?」

「いや。ルーパスはディスカラになったわけでもなさそうだしなって思って」

「……ふむ」

「言いたくないなら……別にいいけど」


 何かを考え込むように黙ったルーパスにケルトがそう言うと、ルーパスは鼻で笑った。


「どうということはない。こうして座っている間の退屈しのぎになるかはわからんが、聞くというのなら話すぞ」


 ケルトとユエが黙って先を促すのを見て、ルーパスは遠い目をした。


「我の両親は、ごく普通の狼だった。我が生まれたのは突然変異のようなものらしい。詳しくは知らんがな。ただ、突然生まれた真っ白な狼が、群れの中での異端であるということは明白だった」


 ルーパスは淡々と続ける。


「案の定群れから外され、餌の取り方も何もわからぬ我は人里におりたのだ。そこで幸運にも人に拾われたのだ。どうやら犬だと思っていたらしいがな」

「じゃあ、最初から言葉を話せたわけじゃないのか?」

「生まれてすぐ話すことができたら我は化け物だな」


 と言って自虐的に笑う。


「その家の人間は、老人だった。身寄りもなく独りだと言っていた。我を話し相手に毎日毎日飽きもせず話しかけて来るのだ。気づけば、同じように話すことができるようになっていたのだ。初めて話した言葉はもう覚えていないが、老人が大層驚いていたことは覚えている」


 ルーパスは懐かしむように目を細めた。


「老人は我を大切にしてくれた。寝床を与え、食事も与えてくれた。我をまるで人間の子どもであるかのように接した。だが、幼かった我はどうしても母親に会いたいと思ってしまってな」

「ルーパスも、お母さんは好き?」

「そうだな。生まれてすぐ別れたが、親というものは妙なものでな」


 薄ら笑いながら答える。


「それで、我は老人に黙ってこっそり山へ向かった。時折、山から遠吠えが聞こえて来ていたから、まだ群れは近くの山にいるとわかっていた。その頃は冬で雪が積もっていたからなかなか前に進めなかったが、どうにか群れに辿り着いて、我は声をかけたのだ。さすがに人間の言葉は通じないとわかっていたから、軽く吠えてみた」


 馬車がガタンと大きな音をたてて揺れた。

 ユエが驚いて隣のアカメを窺うが、アカメは変わらず眠っているようだったのでホッと安堵する。


「群れの狼たちが一斉に我を見た。我が近寄ろうとした時、我の父親が我に向かって激しく吠えてきたのだ。恐ろしい形相でな。それに合わせるように群れの奴らも我に向かって吠え始めた。来るな、と言っていた」


 ルーパスの目が微かに揺れる。


「母親の姿が見えなかったので、我は群れに向かって吠えた。一目、会わせてほしいと。しかし、群れの奴らは許さなかった。終いには、我に襲いかかって来たのだ」


 ユエがショックを受けたように目を見開いた。


「人里でぬくぬくと育ってきた我には、野生の狼たちを複数相手にするのは些か分が悪くてな。噛みつかれ、血を流しながら我は雪で身動きが取れなくなっていた。あの時は、死を覚悟した」


 ケルトは固唾を飲んだ。


「そこにやってきたのが、主だった。クロスボウを手にしていて、狼たちを追い払ってくれたのだ。群れは、人間が来たことを知ってさっさと逃げて行った。結局、母親を見ることはできなかった」


 ルーパスは目を伏せた。


「どうも、いなくなった我を心配した老人が、たまたま里にやってきた主に、我の捜索を依頼したらしかった。傷ついた我を背負った主は、雪をかきわけて老人の元へ我を連れ帰ってくれたのだ。老人と一緒に我の傷の手当てもしてくれた。我が礼を言った時は、大層驚いた顔をしていたな」


 思い出したのか、小さく笑いながらルーパスは尻尾を振る。


「その時から、もう親への未練は断ち切った。我はもう、同族の中には帰ることができないと思い知った。一度人間の元へ外れた者は、もう二度と群れに戻ることなど出来ぬのだ。我は、育ててくれた老人のために生きようと誓った。そんな矢先のことだった」


 ルーパスは少し間を置いて続けた。


「老人が死んだ」


 ケルトもユエもかける言葉を見つけられなかった。


「我を拾った時にはすでにいい歳だった。持病もあったようで、先は長くないとずっと言っていた。我の傷が治る頃に、老人はベッドの上で静かに、眠るように死んだ。まだ里に留まっていた主に頼んで、老人を荼毘に付してもらった」


 ユエが寝ているアカメの服をぎゅっと掴む。


「主は、旅をしている理由を話し、よければ一緒に行かないかと言ってきた。老人の家を離れるのは忍びなかったが、我は所詮獣だ。そのまま残っていてもしょうがないし、主には助けてもらった恩がある。老人のために生きようと思った余生を、主のために使おうと思った。だから、我は主と旅をすることにしたのだ」


 語り終えると、ルーパスはふぅと息をついた。


「退屈しのぎにはなったか? はっきり言って、面白い話ではないだろう?」

「いや……なんか、辛いこと話させて、ごめん」


 ケルトが俯いて言うと、ルーパスはケルトを向いて、その鼻でケルトの頭を小突いた。


「無用な気遣いはいらんぞ、小僧。我はもうなんとも思っていない。そのことがあったおかげで、主にも会えたのだからな」


 笑うルーパスをケルトは躊躇いがちに手を伸ばして撫でた。

 過去のことをそんな風に言えるルーパスをケルトは羨ましく思った。

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