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1. 緋色の少女

 その村人が死んだのは、少女が魔女に会ってから一ヶ月後のことだった。

 長い冬が過ぎ、本格的な春も間近という頃、命が生まれる季節に村人の男は死んだ。

 男がベッドの上で息を引き取る直前、両目から涙を流しながら、


「すまなかった」


 と、一言だけ言ったのを少女は聞いた。

 少女は泣きながら、男の体にシーツを被せて家を出る。

 しんと静まり返り、荒れ始めている村の景色が目の前に広がっていた。

 作物を育てて平和に暮らしていたかつての面影は残っていない。

 少女はとぼとぼと歩を進め、村の広場に生えている枯木の根元に座りこみ、膝を抱えた。

 もうこの村に少女以外の村人はいない。

 孤独感が少女の心を支配し、少女は独りで涙を流し続けた。


 少女は死んだ男の名前を知らない。

 同じ村に住んでいて、毎日とはいかないまでも頻繁に顔を合わせていたが、その男の名前も村のどこの家に住んでいるのかも、少女は知らなかった。

 少女は男だけでなく他の村人たちとほとんど会話をしたことがなく、村人たちも少女に話しかけるようなことはしなかった。

 少女がその村で珍しく、緋色の目を持っていたせいだった。

 不吉の象徴だと村中の人々から嫌われ、恐れられ、時には石を投げられた。

 男も、そんな村人の一人だった。

 少女はずっと村の異物として存在していた。

 そんな少女の味方は母親だけだった。村八分のような扱いをされても、少女の母だけは少女を守り続けた。


 膝を抱えて涙を流しながら、少女は母親の姿を思い出す。

 少女の母は、ある日謎の病に倒れて亡くなった。

 体中の皮膚の色が変わり、だんだん感覚がなくなっていくという病気。

 大きな街から往診に来ていた医者にも原因がわからず、匙を投げられた。

 少女の母が病で倒れてから、村の人々も次々と病に倒れていった。

 そして、少女の母は、謎の病によって最初に死んだ村人となった。

 唯一の味方がいなくなり、少女は毎日のように泣いて過ごした。村人の態度は相変わらずだったが、少女は誰かを恨むようなことはしなかった。

 誰かが悪いわけじゃない。少女の母は繰り返し、少女にそう言い聞かせていたからだ。

 数日後には少女も謎の病にかかったが、誰も少女を助けようとはしなかった。

 体中の皮膚の色が変色し、体を動かすことすら困難になった。

 そんな少女に手を差し伸べる者はおらず、見て見ぬフリをする村人たちを見ながら、少女はじっと死が忍び寄る恐怖に耐えていた。

 うまく動かない足で井戸へ水を汲みに行く途中、足が動かなくなって道端に倒れた少女は、薄れる意識の中で生きることを諦め始めていた。

 このまま死ねば母親に会えるような気がして、少女は目を閉じた。


 そんな少女を助けたのは、村の外からやって来た一人の女だった。


 女は、金髪に碧色の瞳を持ち、黒いロングコートを着ていた。倒れていた少女を見ると少女の家に運び、女は毎日欠かさず少女に薬を飲ませて看病した。

 ゆっくりと、しかし着実に少女の容体は良くなっていった。体の感覚も戻り、変色した皮膚もほとんど元通りの色に戻っていた。

 少女が女にお礼を言って名前を聞くと、女は魔女だと言った。

 魔女という単語が意味することを少女は知らず、それが女の名前だと思い、女のことを「魔女さん」と呼んだ。

 魔女は少女の病気が治ったことを確認すると、村を去って行った。

 それからも村の中では病が広がっていったが、不思議と少女が再びその病にかかることはなく、最後に残った男も病に倒れた時は率先して男の看病をした。

 男は一言もお礼を言わなかったし、少女もお礼が欲しいなどとは思っていなかった。

 しかし、少女の必死の看病も空しく、男は日に日に弱っていき、結局少女は一人になってしまった。


 なぜ自分だけが生き残ってしまったのか、と少女は独り枯木の下で泣きながら考える。

 自分だけが助けられた理由がわからなかった。

 次第に、なぜ魔女と名乗った女が母を助けてくれなかったのかという、理不尽な思いを抱き始める。


 そんな時だった。


「一人か?」

 

 膝に顔を埋めて泣いていた少女は、その声に顔を上げた。

 少女の目の前には、若い男と狼の姿。

 男は黒い髪に緋色の目をしていて、口元は飴色のマフラーで隠れている。風に揺れるグレーのロングコートの下には、黒のジャケットとパンツに擦り減ったブーツ。腰のベルトには小さなポーチが並び、小型の折りたたみ式クロスボウも下げられていた。背中には大きめのバックパックを背負っている。旅人のようだった。

 旅人の傍らに立つ狼は、少女と同じくらいの大きさで真っ白な毛並みを持っていた。一見すると大きな犬にも見えるが、顔立ちを見れば狼のそれだとわかる。

 突然現れた旅人と狼に、少女は肩を強張らせる。驚いたせいで、涙は引っ込んでしまった。


「怖がるな、娘。我は子供を喰うようなことはせぬ」


 突然声が聞こえ、少女は驚いて旅人を見上げた。

 しかし、今の声は先程の旅人の声とはまったく違う低い声だったので、少女は混乱する。


「こっちだ、娘」


 言われて少女は視線を下ろし、目の前の狼を見つめた。恐る恐る震える手を伸ばし、狼の頬を撫でる。


「今の、あなたなの?」


 尋ねると、狼は頷いた。


「如何にも。人語を話す狼は初めてだろう、無理もない」

「驚かせてすまないな。ルーパス、突然喋ったら駄目だと言っただろ」


 穏やかな声で優しく諭すように言って、旅人はその場にしゃがんでバックパックを下ろし、ルーパスと呼んだ狼の背中を撫でた。


「すまなかった」


 項垂れて言うルーパスの背を軽く叩いて、旅人は少女に尋ねた。


「それで君は? 一人か?」


 少女は旅人の問いに頷き、この村でこれまでに起こったことを説明した。

 自分はこの村で母親と暮らしていたこと。

 村の中で謎の病が流行ったこと。

 みんな病で死んでいったこと。

 看病していた村人が死んだばかりだということ。

 村にはもう自分しか残っていないこと。

 その話を聞いて、旅人は村人が眠っている家へ入って行った。旅人を待つ間、少女は傍らのルーパスの体にそっと手を伸ばす。ルーパスがじっとしているので、その真っ白な体を恐る恐る撫でた。毛皮の手触りが心地よく、その下からじんわりと伝わってくる体温をその手に感じた。少女が久しぶりに感じる、生き物の温もりだった。

 やがて旅人が少女たちの元へ戻ってきて、少女と視線を合わせるようにしゃがんだ。


「どうであった、主」

「遺体を確認した。同じ病気だ」


 旅人はルーパスの問いに硬い表情で答え、少女を見る。

 露わになっている少女の首筋を見て、顔を曇らせた。


「君も、病気になったのか?」


 少女は頷いた。

 病気の後遺症と言うほどではなかったが、病気で変色した皮膚の名残はまるで青痣のように少女の体に残っていた。その名残は、首筋だけでなく手や足にもくっきりと表れている。


「どうして、君は助かったんだ?」

「魔女さんに助けてもらったの」


 魔女、という言葉に、旅人の目の色が変わった。


「その魔女は、この人のことか?」


 旅人が取りだしたのは、手のひらサイズの紙だった。旅人からその紙を受け取って見てみると、そこにはあの魔女と名乗った女の姿があった。金髪に碧色の瞳、そしてファーの付いた黒いコートを着ている。

 少女は目を見開いて、旅人と手の中の紙を交互に見た。


「……お兄さんが描いたの?」


 まるで見たままを映したようなその絵は、少女が今まで見たこともない程の鮮明さで、まるで目の前にいる人を見ているかのようだった。驚いている少女に、旅人は苦笑して少女の頭を撫でた。


「いや、これは絵じゃなくて写真と言うんだ。見た物をそのまま紙に映しだすことができるんだよ」


 写真という言葉を聞くのも見るのも初めてだった少女は、興味深げに写真を凝視していた。


「それで、君を助けた魔女は、この写真の彼女で間違いないか?」

「うん、この人。この魔女さんに助けてもらったの」

「そうか」


 旅人に写真を返すと、旅人は写真をしまって立ち上がった。


「彼女がどこに行ったか、覚えているか?」


 少女は首を捻った。


「確か、ここから東に行くって言ってた」

「東か、東の方に何があるか知っているか?」

「行ったことは無いけど、村があるんだって。お母さんが言ってた」


 少女の言葉に、旅人は何か考えるように虚空を見つめ、徐に懐から地図とコンパスを取り出し、地図を睨み始めた。


「それ、なぁに?」

「地図とコンパスだ。道や方角を確認する物だ」


 少女の問いに答えたのはルーパスだった。先程からずっと少女に撫でられ続けているが、嫌な顔一つせずじっとしている。しばらくして、旅人は地図とコンパスをしまい、再び少女と視線を合わせるようにしゃがみ込んだ。


「すまないが、この村に食料は残っているか?」

「うん」

「少しでいいんだが、よければ分けてもらえないだろうか?」

「いいよ、こっち」


 少女が立ち上がって歩き出すと、旅人とルーパスもそれに続いた。一件の小さな家に入ると、少女はテーブルの上に置かれた物を指差した。


「残ってる食べ物、ここにあるのが全部だよ」


 テーブルの上に置かれていたのは、保存食用に加工された少量の干し肉と干し飯だった。


「全部あげる」

「いいのか?」

「いいの。もう誰もいないから」

「……そうか」


 旅人は何かを考えるように黙り込んで、傍らの少女を見下ろす。

 少女はそんな旅人を不思議そうに見上げていたが、思い出したように踵を返すと、棚から布袋を取り出してきて保存食を全て中に詰め込んだ。紐で口を縛って、保存食でいっぱいになった袋を旅人に差し出す。


「はい!」

「……あぁ、ありがとう」


 旅人は微笑んでその布袋を受け取り、少女の頭を撫でる。旅人の手の温もりを感じながら、少女は母の手の温もりを思い出していた。


「俺は魔女を探して旅をしている」

「どうして魔女さんを探してるの?」

「俺も、君と同じように魔女に救われた身だ」


 旅人は首のマフラーを引っ張って首を晒した。そこには、少女と同じ青痣のような痕が見えた。少女は目を丸くする。


「同じ病気?」

「あぁ、まだ薬も流通していない奇病だ。死にかけていたところを彼女に救われた。俺は彼女に聞きたいんだ、なぜ……俺を助けたのか、と」


 マフラーを巻き直し、旅人の目が寂しそうに伏せられるのを見て、少女は旅人の手を取った。


「私も一緒に行っていい? 私も知りたい!」


 声を張り上げた少女に、一瞬驚いたように目を見開いた旅人は、すぐに微笑んで少女の頭を撫でた。


「あぁ、君さえよければ一緒に行こう。ここに一人で置いて行くわけにもいかないからな」


 旅人の答えを聞いた少女は、旅人と同じ緋色の目を輝かせて満面の笑みを浮かべた。


「俺の名はアカメだ。こっちはルーパス」


 アカメとルーパスの名を復唱した少女は、嬉しそうに自分の名を口にした。


「私はユエ! ユエって言うの!」

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