夜ふかしな三味線
受験生の夏でした。連日、遅くまで大学受験の勉強に励んでいた時期でした。いつも通り、兄弟はもちろん、教育にさほど熱心でない私の両親はすでに寝ていて、田舎の一軒家で起きているのは私だけ。ふと見ると、時計は23時を回っています。勉強をもう少し続けようかもう寝ようか、迷っていたときでした。
どこからともなく、三味線の音色が聞こえてきました。テンテンと不規則にゆらぐその音は、でたらめのようでいて、音楽のようにも聞こえました。はじめは気のせいだと思いましたが、音は止みません。
その日は真夏日で、蒸すような暑さでした。夜になっても昼間の熱が抜けず、部屋には冷房を入れて窓は閉め切っていました。それでも音は聞こえてきます。私は気味が悪くなって、カーテンをぴっちりと閉め、勉強をやめてベッドに潜り込みました。なんとなく心細くて電気は付けっぱなしにしました。
朝、目が覚めると、母がいました。なかなか起きない私の様子を見にきたのでしょう。付けっぱなしの電気のスイッチを切って、これ見よがしにシャーっと豪快な音を立ててカーテンを開けます。そして私に向かって言いました。
「電気代がもったいない」
私はそれには返事をせず、
「友だちのお母さんは、遅くまでいっしょに起きていて、夜食を作ってくれたり、丸つけをしてくれたりするんだって」
と言ってみました。母は、
「へぇ、教育ママゴンだね」
とだけ言って、さっさと階下へ降りて行きます。教育ママゴンって何?
母に甲斐甲斐しく受験勉強の世話をして欲しいわけではありませんでした。友だちの母親の話を聞いたときにも干渉されないほうが私は気楽だなと思ったほどでした。しかし、頭の中には昨日の三味線の音がまだ残っています。何もしなくても良いから誰か起きててくれないかな、ただ、そう思いました。
次の日の夜、また音が聞こえてきたらどうしよう、とびくびくしながら勉強をしていましたが、三味線の音は聞こえませんでした。なんだ、やはり聞き間違いだったのか。私は安堵して日付が変わる頃まで勉強に励みました。電気もちゃんと消しました。
そうして1週間が経ちました。あの日と同じ曜日になりました。私は三味線のことなどすっかり忘れて勉強をしていました。
すると、また聞こえてきたのです。あの音がテンテンと。私は急いでぴっちりカーテンを閉めてベッドに入りました。掛け布団から体が出ているとなんだかよくないような気がして、体を丸めて手足の先も頭もすっぽり布団をかぶりました。ビザンツ帝国のとこ、もうちょっとやりたかったのになあと思いながら、ぎゅっと目をつぶりました。
次の日、目が覚めると、呆れた顔の母が立っていました。
「電気代」
とだけ言って、電気のスイッチをパチンと切り、これ見よがしにシャーっとカーテンを開けました。母の嫌味は右から左に流して、私は恐る恐る声をかけました。
「お母さん、夜、変な音がするんだけど」
「変な音?」
「三味線の音」
「なんで三味線ってわかるの?」
「だって四国のおばあちゃんがやってたじゃん」
四国のおばあちゃんは父方の祖母です。母はそれには関心が薄いらしく「そうだっけ?」と言ってそそくさ階下へ降りて行きました。あ、しまった、逃げられた。嫁姑の確執ってやつか。それよりあの音どうしよう。私は出不精なので自宅で勉強するいわゆる宅勉派でしたが、部屋にいるのが怖くて、昼間は高校の自習室へ行くことにしました。
行きも帰りも汗だくになりながら、往復1時間以上自転車を漕いで、夕方、家に帰ってきました。
「ただいま」
「おかえり。三味線のやつだけど」
すっかり話を流されたとばかり思っていたのに、わざわざ玄関まで私を出迎えて、母は三味線の話を切り出しました。
「お隣の佐藤さんもね、聞こえたって言うのよ」
ちなみにお隣といっても30mくらい離れています。
「それでね、ご近所のみなさんと、やだ怖いわ〜なんて言っていたら、ちょうど空き地の横のおばあちゃんが通りかかってね、『それ私だわ』って言うのよ〜」
なんでもおばあちゃんは最近ラジオ講座で三味線を習い始めたらしいのです。講座は週に1回で23:05開始。基本は木曜日なんだけど聞き逃したときは同じ時間で日曜日に再放送があるので、そこで練習するのだとか。なんだか曜日も時間帯もぴったり合います。
「おばあちゃんが『うるさかったかしら〜ごめんなさいね〜』っていうから『いいわよ〜こんな田舎だしね〜』『私らどうせ寝てるしね〜』ってみなさんで返してね。あそこのおばあちゃんも息子さん夫婦が町のほうに出てしまって一人住まいでしょう。楽しみがあったほうが元気で過ごせるんじゃない?ってことで、また遅くに三味線が鳴るかもしれないけど、許してあげてよ」
母は私にわざとらしくウインクをします。
「別にいいけど」
そっけなく言いましたが、奇妙な音の謎が解けて私は心底ホッとしていました。音がうるさかったわけではありません。おかしな時間に聞こえるはずのない音が、不気味で怖かっただけなのです。
非常識な時間ではあるのですが、ここは田舎。なんなら昼間のセミや、早くも鳴き始めた日暮れのコウロギのほうが、ずっと騒音ですし、そもそも自治会コミュニティを牛耳るおばさんたちが問題ないと言えばそれで終わるのです。
それからはときどき風に乗って届く三味線の音が聞こえても、私は、ああやっているな、と思うだけでした。
◇◇
季節は過ぎて、もうすぐ大学入試の共通テストが始まるという頃でした。私は秋から町の塾の直前講座に通い始めました。学校の評定が多少良いと割引になり、そのくらいならと両親もお金を出してくれました。ただ田舎のほうなので電車はなく、バスも1時間に1本か2本です。平日は通えないので、土日と冬休みのコースに行くことになりました。塾までは父か母が車で送迎してくれました。冬休みに入ると連日の塾で、私は帰りの車のなかで寝てしまうこともしばしばでした。最初は大学は家から通えればどこでも良いような両親でしたが、試験日が近づくに連れて、併願や学費免除についていろいろと調べたり、先生に相談したりしてくれるようになりました。
冬休みのとある日、ぽっかり塾のない日がありました。年明けに1日だけ講座休みがあるのです。それで久々に一日中、自分の部屋で宅勉をしていると、あの三味線が聞こえてきました。時計を見ると23:05です。その頃にはもう懐かしいなという気持ちになっていました。最初に比べて、ずいぶん曲らしくなっています。でもあと少しで終わるというときに曲は途切れてしまいます。もう一度最初から通しで始まりますが、同じところで途切れます。続きはどんなメロディなんだろう。気になった私はネットで検索しかけましたが、本番の試験まであと何週間もないと我に返って、勉強に戻りました。
朝、目が覚めると、母がいました。冬になり、日の出より早く家を出ることも増えていました。電気のスイッチを入れて、暖房のスイッチを入れて、熱が逃げないようにカーテンはそのままです。
「昨日、久しぶりに夜中の三味線聞こえた」
「へぇそうなんだ」
母はなんということもない感じで返事をして、ベッドの中でもぞもぞしている私のかけ布団を剥ぎ取っていきます。それから呆れた顔で、
「もう本番近いんだから、朝方に変えたほうがいいんじゃないの」
と言ってきました。それもそうだなと思って、その日から夜10時には寝るようにしました。
直前になるとさすがにうちの両親も気合が入ってきたのか、夜食を作ってくれたり、採点を手伝ってくれるようになりました。さらに早寝早起きも推奨され、
「夜遅くまで起きていると強制消灯だよ」
とまるで修学旅行のようです。
「ここまできたら体調管理」
そう言って勉強が理由でも容赦なく電気を消されました。
『友だちのお母さんは、遅くまでいっしょに起きていて、夜食を作ってくれたり、丸つけをしてくれたりするんだって』
急に甲斐甲斐しくなった母を見て、私が口にした言葉を覚えていてくれたのかなあと嬉しくなりました。家族の応援を糧に、本番に向けて頑張るぞ、とあらためて気合を入れたのでした。
◇◇
ついに合格発表の日。思いのほか共通テストの自己採点が良かったので、県内の国立大学に出願し、無事、ひと足早く合格をもらいました。
県内と言っても、合格した大学は家から通うにはずいぶん遠いので、大学紹介の女子寮に入ることになりました。一般入試組の戦意に影響するからという理由で、2月中は高校に登校できません。この間に私は少しずつ自分の部屋の片付けを始めました。それから片田舎の地元では車の免許証は必須です。春休み中に自動車教習所にも通うことになりました。合格した嬉しさと新生活への期待と忙しさから、私はすっかり三味線のことは忘れていました。
大学に入学して最初の5月の連休、私は帰省しました。実家に帰るとずいぶん甘やかされました。家を出てから1ヶ月も経っていませんが、何でも好きなものが食べられるし、至れり尽くせりです。手伝いをしようとしても「いいからいいから」と言われて居間でゴロゴロしています。やることもないので、新入生歓迎会であれこれ渡された部活やサークルのパンフレットやチラシを見ていました。チェックしておいたサークルのひとつに和楽器同好会があります。
居間でチラシを見比べる私に、母が声をかけました。
「やだ〜変なサークルとか入らないでよ〜」
「入らないよ」
気づくと母は私の手元をじっと見ています。
「あ、これね、気になってたんだけど。私も三味線ちょっとやってみようかなと思って。買わなくても最初は貸してくれるんだって」
私は和楽器同好会のチラシを母に渡します。
「へぇいいんじゃない?」
三味線やお琴、横笛のイラストが書かれたチラシを一瞥すると、それを私に戻して、母はそそくさと台所に行こうとします。私はふと引き留めたくなって質問をします。
「ねぇ、あのおばあちゃん、まだ三味線やってる?」
母はぴたりと足を止めました。
「あんた受験だったからね、言わなかったんだけど」
ひと呼吸おいて母は続けます。
「あのおばあちゃんね、亡くなったの」
「そうなんだ……」
私はしんみりとした気持ちになりました。
「倒れて救急搬送されて、町の病院のICUに入ったの。ほら息子さん夫婦も町の方だし、この辺には大きな病院もないから」
「そうかあ、それ、いつぐらいの話?」
私の質問に母は固まっていましたが、観念したように答えました。
「去年」
去年?去年のいつごろ?え、じゃあ、年明けに聞いたあの三味線は何。
「今は、もう聞こえないんだよね?」
「ん?まだ聞こえるよ」
なんということもないようにしれっと言って、母は「だから今日も早く寝なさいよ〜」と言って昼食の支度のために台所へ行ってしまいました。
私は和楽器同好会のチラシをもう一度見たけれど、やっぱりちょっと怖くなって、四つ折りに小さく畳んで、分厚い新歓パンフレットの隙間に挟んで閉じました。




