雑草の歩く道 ①
私は春が好きだ。
草木の芽吹く春 。
だが、一番に動き出すのは雑草たちだ 。
植えられた 花よりも、一足先にぬくもりを感じて葉を広げ、 背伸びする。
踏まれても、また次の日には起き上がる 。
そして、知らぬ間に小さな花をつける。
そんな名もなき草たちが、私は好きだ。
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=ひかげに咲く はこべ=
私には、幼い頃の記憶があまりない。どうやら 自分で蓋をして隠してしまったようだ。
一つだけ覚えている映像がある。
3、4歳の頃だろうーー
大きな玄関の上に飾られた、能面 。
部屋に入ると、ベッドに横たわる優しそうなおばあさん。
奥の部屋には、2人のお姉さん。
一人は怖い顔、 1人は笑顔 。
たったそれだけだ 。
後から知った 。
これは、母が私を連れてお給料を運ぶ場面だ。
おばあさんは本妻さん、お姉さんは腹違いの姉だ。
私は、私生児として生まれた。
幼い頃の私は、あまり泣かない 、手のかからない子だったそうだ。
父親の記憶は、小学校まで飛ぶ。
背が高く、仕立てのいい背広に アスコットタイ、いつもハットをかぶっていた。
おしゃれな紳士。
でも、顔にはシミが浮き、髪は薄くなっていた。
記憶の父は、おじいさんだ。
父であることは分かっていたが 、事情を把握したのは、中学に上がった頃だ。
それまでの私は、うちは何かおかしいのか?と思う程度で、時折家に来る父をパパと呼び、たまには一緒に釣りに行った。
ただ、どうしてこんな年寄りなの?と思っただけで、かなりぼんやりした子供だった。
3,4年生ぐらいの時、学校家庭調査の紙に、父の名を書いた。
翌日、母は学校に呼び出された。
そして帰ってきて、 烈火のごとく怒った。
でも私には分からない。苗字が違っても、父には変わりないのに。
それからは、このことには触れないようにした。
いつも、母の顔色を伺っていた。
母にとっての私は、ペットのようなものだった。
外では、さも大事そうに可愛がるが、家の中はいつも暗かった。
機嫌の悪い時は、体罰こそなかったが、当たり散らされた。
家族の団らんや、笑った記憶など全くない。
中学に上がる前、さすがにぼんやりしていた私にも、大人の会話から薄々事情が分かり出す。
父が、母や本妻さんと別れた。 3号さんのところで、余生を過ごすという。そんな修羅場に連れて行かれた。
正直 あまり覚えていない。
キーキー騒ぐイメージしかないのだが、そうか、そういうことかと、私はやっと理解した。
母は、ちゃんと認知してもろたで。と、誇らしげに私に言った。
が、もうぼんやりな子ではなくなっていた私は、今更何なの、関係ないやん、と思った。
そして私は、母の見栄を張る道具になっていった。
中学に上がると、私はソフトボール部に入った。
みんな真新しいグローブをつけている。私1人だけ、叔父の古いグローブだった。
手にはよくなじんで、使いやすかったけれど、恥ずかしかった。
3年間、そのグローブを、紐が切れても修理して使った。
勉強はよくできた。
母は、私をその頃まだ少なかった進学塾に入れた。
どこで聞いてきたのか、私が数学では女子のトップクラスだと言われ、鼻が高そうだった。
でも私は、 塾のためにクラブを早退するのが悲しかった。
母は、虫の居所が悪いと、勝手に怒り出す。
さすがに中学生になると、こっちも言い返す。
そして私は、その頃には、正論で論破する技を身につけていた。
謝れと言われても、絶対に謝らない 。
だって、小さい頃から、いつだって、母にごめんなさいって言っても、
「ごめんで済んだら警察いらん」と言われ続けていたから。
そして、どんどん母の怒りは飛び火し、わけがわからなくなっていく。
「そんなに言うなら 産まなきゃよかったのに」
と冷たく返す私。
そして母はさらに逆上する。
私はもうスルーする。
そんなことが何度もあり、私は母には話が通じないことを悟り、正面から相手しないようになっていった。
学校のことも、自分のことも、必要以外の会話をしなくなった。
高校は、市内でも一番の公立進学校だ。
やはり、母は鼻が高そうだったが、もうどうでも良かった。
家の中が暗い分、外では明るく振る舞った。
いつもヘラヘラふらふら。そんな私のキャラの土台は、多分この頃できたんだろう。
でもその裏で、別の私はずっと黙っていた。
隠れネクラは知られざる私の本質だ。
中学後半から背が伸びて、160cm を超え、まだ伸び続けていた。
母は小さい。
これは父の遺伝子だと確信した。多分 頭も父の遺伝子だ。
高校では、全く勉強する気になれなかった。
母は、公立大学進学を夢見ていたようだが、そんなもの無視だ。
他にやりたいことを見つけた。
陸上競技だ。




