現場で育った最強オカン ③
=流れ流れてどこ行くオカン=
廃業した後、 本当は少しゆっくりしたかったけれど、 そんなわけにもいかない。
すぐ仕事を探し、 決めたのは ゴルフ場のコックである。
ドシロウトで店をやっていたから、発見だらけでなかなか面白かった。
コックコートにコック帽。ちょっと照れる。
そして男の料理人とほぼ同じように仕事をする。
私の配置はストーブ。焼き物、揚げ物担当だ。
あれ? なんで?
イメージ的には麺場やろ。 あっち、もうちょい大人しいやんか。
女扱いはなかった。
でも、まかないを担当するときだけは、家庭料理を求められた。
都合良すぎちゃうか。
ゴルフ場のレストランはスピード勝負 。
お客さんはプレーの合間に上がってくる。早く出してあげなければいけない 。
コンロ 3つでフライパンをガシガシ振り、揚げ物も見ながら、盛り付けもする。
めっちゃ せわしない 。
でも この経験は、あとでちゃんと生きてくる。
食材の保管、仕込み、小鉢の回し方。
レストランのやり方を、私はここで一気に覚えた。
仕事が終わると、家で勉強した。
この間に、調理師の資格を取った。
6年、アマチュア調理師だった私は、 ようやく晴れてプロになったのである。
ついでに、食生活アドバイザーと食育指導士の民間資格も取った。
上を目指そうかと考えたが、お金がないのでやめた 。
民間資格って、結局お金で買う部分もあるやんか。
ならいらん。
1年バイトを続けていたら、知人から面白い話を持ちかけられた。
100人規模の工場 給食である 。
「あんたならやれるやろ。」
それまで給食会社が入っていて、 冷めたものが提供されていたらしい 。
「作りたて、出せるやろ。」
よし 。
面白そう。やる 。
辞めると言ったら、レストランのチーフには、1ヶ月間嫌がらせされた。
まあ 所詮そんなとこや。
辞めて正解やわ。
業務委託という形で始めた工場給食は、提供方法、メニュー作り、仕入れ、 調理まで、 全部1人だ。 補助の高齢女性が洗い場に1人 ついてくれた。が、かなりハードだった。
毎月メニューを作る。
がっつり系とヘルシー系の2種類を出し、 前もって予約してもらう。
要望を受けて 、ざっとではあるがカロリー表示もした。
やっぱり、やってきたことは無駄にはならない 。
社員さんは、ランチに上がると、まず予約票をカウンターに置き、食堂の奥に進む。
トレーを持って、ご飯、 味噌汁、サラダ、漬物を好きなだけ取る 。
カウンターに戻る頃には、小鉢が並び、メインが湯気を立てている 。
私はカウンターの中で鍋を振り続け、音と匂いが食堂いっぱいに広がる 。
1人で回すには限界があるので、昼休みは3分割してもらった。
大変だったが、 面白かった。
社員さんにも、とても喜ばれた。
残り野菜もちゃんと使い切る具だくさんのお味噌汁 。
手作りのお漬物 。
2種類から選べるサラダ。
表彰されて、金一封もいただいた。
けれど、一人で回す仕事には、当然リスクもある。
熱が出ても休めない。
変わりがいないのだ。
補助のおばさんが休んだ時は、娘を動員した。
私が、 身内のお葬式で休んだ時は、全く調理経験のない人が代わりに来たらしい。
次に私が出勤すると、補助のおばさんも社員さんも、ものすごくほっとした顔をしていた 。
だから私は、38度の熱でも、フラフラしながら働いた。
何度要望しても、改善されなかった。
1年頑張った。
でもやっぱり、そういう部分が許せない。
これは危機管理だ。
きちんとしていないと、お客さんに迷惑がかかる 。
口先だけで、何もしないやつには、ついていけない。
私は、自分で作ってきた1年分の献立を渡して、辞めた。
次の人は、老人施設で勤務経験のある、私よりかなり年上の女性2人。資格はあるが、どうやら補助しかしてこなかったようだ。
その上、一緒に頑張っていた補助のおばさんまで辞めさせてしまった。
引継ぎ1週間で、うまく回るわけもない。
多分、私の業務委託料より、パート2人を雇う方が、安かったのだろう。おばさんも切って、その分もうかせるつもりだったのかもしれない。
放っておこう 。
難儀すればいいさ。
ええかっこしたところで、所詮、金だけなんよ。
バカめが。
………と、辞めてしまったが、生活は待ってくれない。
また 懲りずに次を探す。
しかし、ない。
なかなか見つからない。
まずいなー。
困っていた時、 当時参加していたSNSで、トモダチの投稿を見つけた。
県の就業支援事業 。
やった♪これしかない 。
そして私は、 県民局に潜り込んだ 。
驚いたことに、私に仕事を紹介してくれたトモダチは上司だった。
就業支援で入った4人の仕事は、秋に予定のイベントの企画 運営。
もちろん メインで動くのは職員さん。私達は会議をしながら少しづつ準備を進めていく。
他には仕事のない私は、時間だけがたっぷりあった。
パソコンは使える。
でも検索の仕方すらよくわからない。
だから少しずつ 試した 。
娘の大学の教科書を拝借して勉強し、ワードを覚え、細かなレジュメも作れるようになった 。パワーポイントで画像を加工し 、ポスターまで作れるようになった。
残念なことに、他の就業支援 メンバー 3人は、ほぼ何もしていなかった。
なのでやりたいことは、 直接トモダチに相談して、どんどん進めていった。
イベント前には、 料理教室を開き、たくさんの展示物を作って 庁舎のロビーに飾った。
当日は、試食ブースを作り、大盛況だった。
やりたい放題の私を、いつもフォローしてくれたトモダチには感謝しかない 。
イベントの後は、その感謝を込めてホームページまで作った。
メインテーマから、色々な方向に飛べるようにリンクを貼り、 自分で調べた情報やよろず話にもいけるように工夫した。
なかなかの大作だった。
多分、今も探せば出てくる はずだ。
充実した面白い1年だった。
もう1年残ったら?
と言われて、それもありかと思った私は、初めて役所の試験を受けた。
翌年は、日々雇用という形で勤めることになった。
ほぼ同じ部署で、仕事は前年のイベントの続きと、某協議会の運営。
やっぱり あまり忙しくない。
なのでまた、娘の本で勉強した。
今度はエクセルを覚えた。
イベント前には、 はばタンの着ぐるみを着てババタンにもなった。
もう、楽しんだもん勝ちやで。
家では、結構 複雑な家計簿を作って遊んでいた。それを見た娘は、本気で驚いていた。
けれど、そもそも家計簿をつけるほどの家計ではなかった。
完全に火の車である。
役所のお給料はパート扱い。
厚生年金とかはきちんとしているが、 給料は安い 。
家賃と光熱費を払えばもうカツカツだ。
娘のバイトから援助してもらっていた。
若い実家暮らしのお姉さんが多かったのも、そりゃそうだと頷ける。
独立して暮らせる給料ではない。
仕事は面白い。
でも、やっぱあかんよな 。
引き止められたけど、いや、無理でしょ。
「辞めます。結婚するんで♥」
一発逆転である。
前年のイベントで忙しかった頃 、私はパパと出会った。
付き合って1年半、娘が大学を卒業するのを待って。
50歳の春。私は、パパのもとに行った。




