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令嬢の遺言状ー首を拾えば桔梗が咲くー  作者: 山崎 桜


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令嬢の遺言状ー首を拾えば桔梗が咲くー 『結婚』

 牢の扉が、軋む音を立てて開いた。


「セリーヌ・ルヴェール。面会だ」


 看守の無機質な声に、私は顔を上げた。差し込む光の中に、ひときわ凛とした影が立っていた。その人影が一歩、また一歩と近づくたび、胸の奥がざわめく。


「……レオン?」


 彼の瞳は、あの庭で見たときと同じ、まっすぐな光を宿していた。けれど、そこにはあの頃にはなかった翳りと、決意の色があった。


「……どうしてここに?」


「君を迎えに来た」


「……処刑は明日よ」


「いや、もうない。止めた」


 私は目を見開いた。言葉が、喉の奥で凍りついたように出てこない。


「……どういうこと?」


 レオンは静かに、手に持っていた書類を差し出した。それは、王印の押された再審請求の受理通知だった。処刑の一時停止、そして新たな証拠に基づく再審の開始が記されている。


「再審が認められた。君の無実を証明する証拠が見つかったんだ」


 私は震える手で書類を受け取った。紙の端が、涙でにじんでいく。


「……どうして、そんなことを?」


「君の手紙を読んで、気づいたんだ。あれは嘘だ。でも、誠実な嘘だった。君は僕を守ろうとした。だから、今度は僕が君を守る番だ」


 彼の声は静かで、けれど確かだった。私は言葉を失い、ただ、涙が頬を伝っていくのを止められなかった。


 レオンは、事件の夜の記録を洗い直していた。セリーヌの父が殺された夜、屋敷にいた者たちの証言を集め、矛盾を探した。


「おかしい……このメイド、事件の時間に“台所にいた”と言っていたが、他の使用人は“彼女を見ていない”と言っている」


 そのメイドの名は、マルグリット。セリーヌの幼い頃から仕えていた、信頼の厚い女性だった。彼女はいつも控えめで、決して前に出ることはなかったが、セリーヌにとっては母のような存在だった。


「彼女が……?」


 レオンはマルグリットの過去を調べ始めた。そして、ある古い記録にたどり着く。マルグリットの家族は、かつてルヴェール家の商売の失敗に巻き込まれ、家を失っていた。その後、彼女はルヴェール家に仕えるようになったが、復讐の機会をずっと狙っていたのだ。


「まさか……セリーヌはそれを知っていて、彼女を庇ったのか?」


 レオンは震える手で、セリーヌの手紙をもう一度読み返した。


「これは私のための桔梗」


 ──いや、違う。これは“あなた”のための“竜胆”。彼女は、彼を守るために、そしてマルグリットをも守るために、すべてを背負ったのだ。


 再審の場。重苦しい空気が法廷を包む中、セリーヌは静かに立っていた。その姿は、かつての令嬢の気品を失わず、むしろより強く、凛としていた。


 マルグリットは最初、無実を主張していた。だが、レオンが提示した証拠と、セリーヌの沈黙が彼女の心を揺さぶった。


「どうして……どうして、あの子は黙っていたの……?」


「セリーヌは、あなたの過去を知っていた。あなたが父親に何をされたのかも。だから、あなたを責めなかった」


 マルグリットの目から、ぽろぽろと涙がこぼれた。


「私は……あの人を許せなかった。でも、セリーヌ様は……私を……」


「あなたの罪は裁かれる。でも、セリーヌの命は、もう奪わせない」


 マルグリットはうなだれ、静かに罪を認めた。その瞬間、法廷の空気が変わった。セリーヌの無実が証明されたのだ。


 セリーヌが釈放された日、空は晴れ渡っていた。牢の扉が開き、レオンが手を差し伸べる。


「おかえり、セリーヌ」


「……ただいま、レオン」


 ふたりは、何も言わずに抱きしめ合った。その瞬間、すべての誤解と痛みが、涙とともに流れていった。


 釈放されたその夜、セリーヌはレオンの屋敷に招かれた。久しぶりに袖を通したドレスは、少し緩くなっていた。牢の中で削がれた体重のせいだろう。だが、鏡に映る自分の瞳は、かつてよりもずっと強く、澄んでいた。


「ようこそ、セリーヌ」


 レオンが微笑みながら手を差し出す。その手を取った瞬間、彼女の胸に温かなものが灯った。


「……ありがとう、レオン」


 ふたりは、かつて紅茶を交わしたあの庭へと向かった。バラの香りが風に乗って漂い、夜露に濡れた桔梗と竜胆が、月明かりに揺れていた。


「覚えてる? あの日、君が“嫌です”って言ったとき、僕は本気で落ち込んだんだ」


「ふふ、あれは……ちょっと意地悪しただけよ」


「君の意地悪は、心に刺さるんだよ」


「でも、あの時のあなた、泥だらけで……本当に子犬みたいだったわ」


「……やっぱり、笑ってたんだな」


 ふたりは顔を見合わせ、声を立てて笑った。その笑い声は、夜の庭に静かに溶けていった。


 数日後、セリーヌはマルグリットのもとを訪れた。彼女は裁判の後、王都の修道院に身を寄せていた。


「……セリーヌ様」


「もう、“様”はやめて。あなたは、私の大切な家族だった」


 マルグリットは目を伏せ、震える声で言った。


「私は……あなたの父を……」


「ええ、知ってる。でも、あなたがどれほど苦しんでいたかも、私は知ってる」


 セリーヌはそっと、彼女の手を取った。


「私は、あなたを憎んでいない。むしろ、あなたを守れたことを、誇りに思ってる」


 マルグリットは声を上げて泣いた。その涙は、長い年月の痛みと悔いを洗い流すようだった。

---

 結婚式の日。空は雲ひとつなく晴れ渡り、春の風がやさしく庭を撫でていた。

 ヴァルモン家の庭園には、白と青紫の花々が咲き誇り、桔梗と竜胆が並んで揺れている。まるで、ふたりの歩んできた道のりを静かに讃えているかのようだった。


 セリーヌは、純白のドレスに身を包み、バラの花冠をそっと頭に乗せた。

 鏡に映る自分の姿に、かつての不安や痛みはもうなかった。あるのは、未来を見据えるまっすぐな瞳と、胸に灯る確かな想いだけ。


 扉が開き、彼女は一歩ずつ、花道を進む。

 その先に立つのは、深紅の礼服に身を包んだレオン。

 彼の瞳は、あの日と同じように、いや、それ以上に強く、優しく輝いていた。


 参列者たちが見守る中、ふたりは向かい合う。

 神官が静かに問いかけた。


「誓いますか? この人を、愛し、支え合い、共に歩むことを」


「はい、誓います」


「誓います」


 その瞬間、鐘の音が高らかに鳴り響いた。

 ふたりの唇がそっと重なり、風が庭を駆け抜ける。

 桔梗の花が揺れ、竜胆がそっとうなずくように揺れた。


 過去の痛みも、誤解も、すべてがこの風に溶けていく。

 残ったのは、誠実な想いと、未来への誓いだけだった。


 レオンはセリーヌの手を取り、そっと囁いた。


「これからは、ずっと一緒だ」


 セリーヌは微笑み、彼の手を握り返す。


「ええ。あなたとなら、どんな波も越えていけるわ」


 ふたりの影が、春の陽に寄り添うように重なっていた。

 その姿は、まるでひとつの花のように、美しく、揺るぎなかった。

 

これでこの話は終わりです!めでたしめでたし


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